あなたにもできる自閉症のシミュレーション(いささか乱暴ですが) 東田直樹君の場合 Mr. Beanを教材に クレヨンしんちゃんも教材に
障害,個性 認知行動療法のヒント わかって あげる もらう くれる 参考サイト
事の始まり:どこが始まりなんだか知らないが意中の女性 時間の無駄 性差・効率性・距離感:コミュニケーション論 不完全な離婚 Normalizationという言葉 ゴミ屋敷の病態生理 最近の二つの記事から もう一つの生物学的多様性 書評:ニッポンのミソジニー 人格障害系に学ぶ:おさらい 男性のリスクは10倍 最初で最後の功績 距離と影響力 包括的組み入れ基準のイカサマ 衝突依存症 人格障害系に学ぶ 不同意という切り札 鏡としてのリテラシー 詐欺と信頼関係と 絶望の必要条件 結婚という名の行きがかり 「しない」と「できない」 変えるということ 再び愛の動詞性について あなたのMission Impossible 幻の認定委員会 素敵な男性との結婚 ストーカーとの同居 人望という装い 療育のエンドポイント No.1ホストを目指して 言語化へのこだわり なぜ女は婚活するのか? 男は生涯ゲーマー ロベカルは一日にして成らず リスク回避行動:結婚と臨床開発の共通点 苦労の受容体 知命を越えて 「みっともない」という言葉の意味 学生相手に 双方向のIntensive courseとしての結婚 療育反応性・予後の目安としての冗談・皮肉 発達障害への女性の対応:3つの類型 自信はどこから生まれるか? 東京支部の研究員からのレポート 相手の陰性感情が感知できない 療育疲れ いいおじいさん悪いおじいさん 中身で勝負? 目の付け所が違う 草食男子と発達障害療育 源氏物語における発達障害の研究 貧乏ゆすりは男の専売特許か? 鉄道ファンが男に多い理由 自閉症における言語発達障害の背景 アスペルガー症候群はなぜ男性に多いのか? 犬と健常者と自閉症 自閉症療育と医学教育の共通点 室町時代のアスペルガー? 米国小児科学会の自閉症ガイドライン 「子どもの心の診療医」研修会参加報告 発達障害支援と行政:特別支援教育コーディネーターという名のいじめ 軽度発達障害診断の問題点 背が高くて美男子
今回の転職の面接では、どうしてそうころころ勤めを変えるのかとまたもや問われたが、説明しなかった。もう少し正確に言うと、百万言を費やしてもわかってもらえないと知っていたから、一番簡単な言葉で説明をした。”人を診るという点では、生化学研究も、病理解剖も、薬事行政も、発達障害の診療も、全部同じことでしょう”
と、このように、ひどく鷹揚な姿勢で始めた仕事だから、以下の説明も決して系統だったものではない。
(実はその後も、一部の方もご存知のように、2008年10月には、今度は熱帯病治療薬・ワクチンの臨床開発という、またもや全然違った分野に転じた。)
発足:2009/7/15 私からSさんへのメールの中で初めて登場。
所在地:私の頭の中
所長:とりあえず私
研究員のポスト:数に制限なし。自称、他称全く自由
採用資格:「人生の真のエンドポイントは、幸せな気分である」と考えられる人
待遇:完全裁量労働制、完全無給
アスペルガー症候群の概念→アスペルガー症候群を知っていますか?(日本自閉症協会東京都支部の解説)
その葛藤の歴史
「アスペルガー症候群の歴史は、その概念を狭めるか拡げるかをめぐる(他の場合にはみられないほど纏綿(ママ)とした)長期に及ぶ攻防の軌跡にほかならない。操作診断(DSMやICD)や鑑定結果が”狭める”代表なら、高機能広汎性発達障害あるいは特別支援教育でいう’高機能自閉症’の基である自閉症スペクトラムが’拡げる’騎手(ママ)であることは論をまたない。」
(石川 元、市橋香代 アスペルガー症候群の歴史ー統合失調症か人格障害かという論争から広汎性発達障害に組み込まれるまでー。日本臨床
2007;65:409-418)
DSM-IVにせよ,ICD-10にせよ,概念を狭め,中核群だけを取り出して議論しようという,臨床医にありがちな態度が見える.一方,社会的に問題となっているのは,わずかな数の中核群だけではない.社会的な問題に対応しようとすれば,Lorna Wingの主張する通り,もっと疾患概念を広げる方向になるのだろうが,では広げて診断した子供達に対して,適切な対応ができるのかというと,全くできていない.我々が抱える最大の問題はここにある.
発達障害の有病率
2002年、文部科学省が、学習面ないし行動面あるいはその両方に著しい困難を持つと担任が回答した数字が6.3%。この中には、高機能自閉症だけではなく、注意欠陥多動性障害やその他の原因による学習障害が混在していると考えられる。
2002年の河村らの調査によれば、広汎性発達障害は1.7%、そのうち高機能群は1.1%であった(河村雄一他。豊田市における自閉性障害の発生率。第43回日本児童青年精神医学会、2002)。また、鷲見らは、2006年の名古屋市における調査で、広汎性発達障害は2.1%、うち、高機能群は1.5%であったとしている。(小児の精神と神経 2006;46(1):57-60) 石川らは、名古屋市西部地域療育センターでの調査の結果として、アスペルガー障害が56/10000、自閉性障害60/10000としている。
海外では、英国で、15500人の2.5-6.5歳児を対象にした調査で、自閉症スペクトラム障害全体で62.6/10000、そのうち自閉性障害16.8/10000、アスペルガー症候群8.4、特定不能の広汎性発達障害36.1/10000であった。(JAMA
2007;285:3093-99) 米国では、8896人の3-10歳児を対象に調査を行い、自閉症スペクトラム障害全体で67/10000、そのうち自閉性障害40/10000、アスペルガー障害と、定不能の広汎性発達障害をあわせて27/10000であった。
あなたにもできる(やや乱暴な)自閉症のシミュレーション
言葉の通じない外国で生活した経験があれば簡単だ.そうでなくても,あなたはアラビア語ができるだろうか.もし,できないのならば,自閉症の(やや乱暴な)シミュレーションは可能である.サウジアラビアにいきなり強制移住させられたと考えてみよう.言葉は全く通じない.習慣,文化も全く違う.自分が異端視され,受け入れてもらえないと感じてしまう.友達もできない.自分は決して悪くないのに,理解してもらえない絶望感,焦燥感,被害的な気分・・・・・
だとすると,何が必要かわかるだろう.言語以外のコミュニケーション手段の活用,日本と全く違う文化,社会習慣について一つ一つ丁寧に教えてもらい,実際の場面で,構造化した指導を受ける,根気よく自分を理解しようとしてくれる友人・・・
東田直樹君の場合
言語の表出に障害がある自閉症児の豊かな内面を知る機会は非常に乏しい.その貴重な機会を提供してくれるのが,東田直樹君である.私が彼の存在を知ったのは,NHK教育テレビ福祉ネットワーク「ボクが生きる“自閉症”の世界」
だった.
言語で意思伝達ができない自閉症児の場合,本人の思考・感情や,一見奇異に見える行動の動機を伺い知ることができず,しばしば知的障害があると断定されて,密なコミュニケーションの機会を与えられなくなってしまう.
しかし,東田直樹君はコンピューターのキーボード操作を習得し,文字で自分の思考や感情を表現することができるようになった.自閉症児に関わる全ての人は彼の書いたものを読むべきである.そこには,知的障害という言葉を全く寄せ付けない,同年代よりもはるかに豊かな内面的世界が広がっている.そして一見奇異に見える衝動的な行動も,彼なりの理由があって行っていることがわかる.
Mr. Beanを教材に
イングランドが誇る世界的名優Rowan Atkinsonが演じるミスター・ビーンは、世界的にも有名なコメディである。彼の行動は典型的なアスペルガー症候群であり、それゆえに生じる世の中との軋轢が、観客の爆笑を誘う。かといって、決して、その劇も、観客も、アスペルガー症候群を蔑んではいない。何せ、Rowan
Atkinsonその人がアスペルガー症候群だから。観客の誰しもが、自分の内に、多かれ少なかれ存在するアスペルガー症候群を認め、その結果、ミスター・ビーンが出会う様様な困難に対して、世が世なら、自分もあんな目に遭っていたかもしれないと共感し、身代わりになってくれたビーンを見て、ほっと安心して笑うのである。→ミスタービーンを見てください
アスペルガーの業績を紹介した一人で、Rowan Atkinsonと母国を同じくするLorna Wingも、”ミスター・ビーンは完璧なアスペルガー症候群”と言っている。アスペルガー症候群を負った人間がどのような困難に立ち向かわなければならないのかをミスター・ビーンはよく表している。アスペルガー症候群を理解する教材に使えるのではないかと思っている。
クレヨンしんちゃんも教材に?
こだわり(例:パンツへの),やってはいけない,言ってはいけないことが理解できない点などは,自閉症でよく見られる症状ですが・・・
病気ではなく,個性
”発達障害は,病気ではなく,個性です”
”どうして病気ではないのですか?”
”肺炎や糖尿病は,自分の人生の途中から加わってきたやっかいなお客さんです.肺炎の場合には,お客さんに出て行ってもらいます.糖尿病の場合には出て行ってもらうことはできませんが,片隅に閉じ込めておとなしくしていてもらいます.でも発達障害は,その人と人生の初めから一緒にいる家族なのです.だから病気ではありません”
”でも,本人は苦しんでいます”
”本当にそう思いますか?”
”もちろんです.なぜ,いまさらそんなことを.あの子がいじめられて苦しんでいるって何度も言ったじゃないですか”
”そう,いじめられて苦しんでいるのですよね.つまり,周囲の理解さえあれば,本人は苦しまずに済む.発達障害は自分達と違った宇宙人みたいな奴だから排除しよう,そういう周囲の考えと行動が発達障害者の苦しみを生んでいる.肌の色が黒いのは個性の一つですが,その個性ゆえに攻撃された,あるいは今でも攻撃されている人たちがいます.それと同じ事が発達障害で起こっています.病気ならば,あいつは肺炎だから,あいつは糖尿病だからといって攻撃されることはありません.だから発達障害は病気ではなく,個性だというのです”
認知行動療法のヒント
うまく思春期を乗り越えるには,”自分には他人と違った良い点がある”という意識を持つことが必要である(市川宏伸)
→まさに認知行動療法そのものずばりの一言.認知行動療法の常として,障害の有無にかかわらず,思春期を乗り切るのに必要なことである.
わかって あげる もらう くれる
アスペルガー症候群をはじめとした発達障害を持つ人たちへの支援には,
わかってあげる努力
わかってもらう工夫
わかってくれる人を増やす根気
このすべてが必要である.
(吉川 徹)
2008年9月に秩父学園を離れる時,ああ,もうこれで発達障害者の療育とはしばらくおさらばだなと、一抹の寂しさを感じたのですが、とんでもない、長崎でも、40名近くの発達障害者集団面接会に参加させられる羽目になりました。月に二度、第一・第三水曜日の午後からです。全て男性で、40歳以上、知的障害がない点が大きな特徴です。
医学部教授って、発達障害者の雇用枠だったと、これまでも意識下では切実に感じていたはずなのですが、実際に教授会に参加してはじめて言語化できた次第です。
中身で勝負?
まず,私からの問いかけ
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外見じゃない、中身で勝負だ そう言う男の子って、とっても多いけど、外見で伝えきれる技術もないのに、中身を伝えられるわけないじゃん、ってことに、なかなか気づけないのよね。
中身はご立派かもしれないけど、外見をわざわざ敵に回す理由って何?利用できるものは、何でも利用するって、"戦略好き"の男の子は言ってるのに?
服装だけではない。自分の言動・行動が、他者にどう映るか、どのような感情を引き起こし、それが自分にどう跳ね返ってくるか?
そこに思いを馳せられる人と、馳せられない人がいる。もちろん、これもデジタルではなく、また、同一人物でも、時間経過で変化するものなのだけれど。→私の出会ったヘッドハンター
10年ちょっと前。自分の内なる発達障害的な部分に気づき始めた時期のエピソードなんだなと、今読み返して気づく始末。男って、発達障害的自我の割合を低減するのに、どうして、こんなに手間隙がかかるんだろうか。
上記に対する返事
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相手によって、行く場所によって、職場によって、季節によって、・・・・事があるとまず、「何を着ていこうか?」「着るものがないんだけど」「靴があわないんだけど」等々、洋服だらけのクローゼットを前にして家族に真面目に相談し、笑われた経験がない女性は少ないのではないでしょうか?
いつも背広とネクタイで決まる男性はいいわよね、と言いながら、やっぱり身につけるものを買う楽しみは捨てがたく、いそいそと買い物に出かけてしまいます。女性はそういう外見的なもので自分を演出することを、本当に幼い頃から身につけていくものです。
母親の影響はもちろん一番大きいでしょう、しつけとして教育される部分と、娘にかわいい格好をさせたいという母親自身の楽しみもあるでしょう、でもそういう後天的なものだけでなく、先天的な、性差とはまた違ったカテゴリーの影響もあるのかも?
洋服を選ぶとき、かなり優先順位が高いのは、「この格好で周囲から浮かないか?」ということです。
それを一般にTPOと言うのですが、この判断はまさに非言語的コミュニケーションの一手段であり、「雰囲気をいかに把握しているか」「当日会う人がそれを見てどう思うか」等々、言われてみればかなり高度な判断ですね。そして、人から浮かない、でもみんなと同じ格好はイヤ(=これは趣味というか遊びの部分)、人よりちょっと違うところを印象づけたい(=非言語的コミュニケーション手段)、この狭間でまたさらに悩むという贅沢な遊びと仕事を女性は日々繰り返していると言えそうです。
研修医のころ、医局の後輩の結婚式に医局員全員が招待されたのですが、私の隣に座った男性先輩医師が、礼服になんとスニーカーですまして座っていて心底驚いたことがあります。私としては「あーあ、○○さん、またやっちゃったよ?」てなかんじだったのですが、失礼だと怒り出す人もいて、なんだか騒然としていました。
みんなただのルーズなやつと思って怒って(あきれて)いたのだと思いますが、それが彼なりの「こだわり」であったことに思い至ったのは、つい最近です。
自閉症における言語発達障害の背景
言葉の発達の遅れは,自閉症の重要な指標だが,一体何故言葉の発達が遅れるのかはわかっていない.池田清彦(僕とは何の親戚関係もない)の「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫)を読み直していて,次のような節の欄外に,自分で,「自閉症児の言語発達障害の原因はここにある」とボールペンで書き込みをしたのを見つけた.
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ソシュール言語学でいうコトバの恣意性とは
しかし、恣意性というのは単にでたらめということではありません。子供はコトバを覚えてゆく過程
で、その集団(民族)あるいは言語によって、暗黙裡に決定されている、コトバと同一性との間の対応
規則を習得します。
面白い事に (あるいはあたり前ですが)、コトバと同一性との間の対応関係は、決してポジティプ
に正面きって教えられる事はありません。お母さんは決して子供にネコとはこれこれしかじかのもので
ある、などと教えたりしません。縁側で昼寝をしているネコを指して、「ニャンニャン寝てるね」と言
い、台所から魚をくわえて逃げてゆくネコを見て、「あのニャンニャンどろぼうニャンニャン」と言う
だけです。子供が犬を指してニャンニャンと言えば、「あれはニャンニャンでなくて、ワンワンだ」と
言い、ライオンを指してニャンニャンと言えば、「あれはニャンニャンではなくて、ライオンだ」と言
うだけです。子供は何がネコであるかと同時に、何がネコでないかを繰り返し教えられますが,ネコと
は何かを教えられることはありません.
池田清彦 「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫)pp62-63
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何がネコでないかを繰り返し教えられても,それを受け入れられなければ,言語は決して獲得されないだろう.テンプル・グランディンが,牛の気持ちはわかっても,牛とは何かがわからない(牛という言語が獲得できない)って,そういうことだろう.
(杉山登志郎「発達障害の子どもたち」P87 テンプル・グランディンにとっての「犬」とは何かを説明した部分より)
彼女は犬がなぜ犬なのか、あるとき不思議に思ったという。犬といってもセントバーナード犬のように巨大な犬もいれば、チワワのように小型の犬もいる。毛の長いものも、毛の短いものの、ヘアレスドックまでいる。さらにシェパードのように鼻の長いものもあればシーズーのように鼻の短いものもいる。なぜこれらが犬という共通の言葉で言われるのか。彼女のとった戦略はすべての犬の写真を丹念に見ることであった。その結果、グランディンは犬に共通項があることを見いだしたという。それは犬の鼻の穴の形であった。そこはすべての犬に共通していたのである!
上記をタイプしてくれた秘書さんからのコメントと私のコメント
共通項は・・・鳴き声かとおもいました。
> 共通項は・・・鳴き声かとおもいました。
非常に重要な指摘.そうなると,自閉症では,犬の鳴き声を共通項として捉えられないという仮説が成り立つ.これはありうることで,様々な犬の鳴き声が,ばらばらの雑音としか捉えられず,共通項を抽出できていない可能性がある.つまり,視覚情報で,個体差による雑音と共通項が弁別できないとの同じように,聴覚情報でも同様の弁別障害が起こっているのかもしれない.
→我々凡人が窓の外を通る車の音をきいて「あ、車だな」と思う瞬間に、隣にいる人が「あ、トヨタの○○の△△系だな」と凡人には聞き分けられない音の違いを知覚して判断している、とかあり得るんですよね。これが音楽分野とかに発揮されればすごい天才ですが、逆に言えば、イヌの鳴き声がわからないように、聴覚にしろ視覚にしろ深部感覚にしろ、感覚の統合ができないというか、総体を判断できない困った状態ではありますね。
結局それを病気とするかどうかは「本人が困っているかどうか」が分岐点でしかないような気もします。
しかし・・・
> その結果、グランディンは犬に共通項があることを見いだしたという。それは犬の鼻の穴の形であった。そこはすべての犬に共通していたのである!
→同じものをイヌだと思って見ていたのに、隣の人がそれを鼻の穴の形で判断しているとわかったらすごいショックでしょうね。
まあ実際、仕事していればそういうショックはよくありますけどね・・・(泣)
立派なガイドラインだが,大きな問題がある.早期介入が必要だとの主張はわかるが,早期介入に関与できるマンパワーがどこまであるのか?少なくとも,日本にはない.学校での対応さえ間に合わないというのに.国民皆保険制度がない。
(2007/11/8)米国小児科学会が自閉症の新しいガイドラインを発表
米国小児科学会(AAP)は、自閉症スペクトラム障害(autism spectrum disorders)をもつ小児の発見および対処法について2つの勧告を発表した。米ニューヨーク大学小児研究センターのMellissa
Nishawala博士によると、小児の発達には大きな個人差があるとして親を安心させる傾向があるために、小児が正式に自閉症であると診断されるまでに1年以上を要することもあり、治療に最適な時期を逃してしまうことがあるという。この報告は医学誌「Pediatrics」11月号に掲載されたほか、サンフランシスコで開催されたAAP年次集会でも発表された。
第1の報告は、自閉症スペクトラム障害の発見方法を詳細に示したもので、下記のような徴候を挙げている:
両親や世話をする人を見つめるとき、嬉しそうな表情がみられない。
生後5カ月ごろ以降、親子の間での喃語でのおしゃべりがない。
親の声を認識しない。親が子どもの名前を読んでも振り向かない。
目を合わせない。
9カ月を過ぎても喃語(なんご=片言を言う)が出ない。
手を振る、指差すなどの身ぶりが少ないか、全くない。
反復的な行動がある。
言語が発達するころに明確に現れる危険信号は以下のとおり:
16カ月までに単語が出ない。
1歳までに喃語がなく、指差しなどの身振りによる伝達もみられない。
2歳までに2語文が出ない。
年齢にかかわらず、言語能力が低い。
この報告では、たとえ親が特に心配していなくても、生後18カ月から24カ月の間にすべての小児について共通のスクリーニングを実施するよう推奨している。
第2の報告は、自閉症と診断された後の対応に焦点を当てたもので、早期介入の重要性を強調。自閉症が疑われる場合は、診断が確定するのを待たずに、できる限り早く介入治療を開始するよう推奨している。少なくとも週25時間、1年間の治療が必要だという。
また、小児科医へは家庭で行われる可能性のある補完療法や代替療法を知っておくよう推奨している。例えば、自閉症改善のために子どもにカゼイン・グルテン除去食を与える親がいるが、栄養障害を生じる危険もある。小児科医がこれを把握していれば、栄養士を紹介するなどの対応が可能である。睡眠障害や胃腸障害など、自閉症の小児に共通する医学的問題についても、小児科医は知っておく必要があるとしている。
専門家は、この2報告はともに包括的で優れたものと評価している。Nishawala氏は、自閉症の治療法で誤りと判明したものについての情報も付け加えられていれば、さらに有用なものになっただろうと指摘している。
[2007年10月29日/HealthDay News]
「子どもの心の診療医」研修会参加報告(2007/9/25)
2007年9月23日(日),千代田区大手町はJAビルで行われた,「子どもの心の診療医」研修会()に行ってまいりましたので、手短にご報告を。
参加した動機は、私の外来には、幼児から思春期の患者さんもいらっしゃいますが、私は小児の診療経験が全くないからです。特に自分が勉強し始めた発達障害(自閉症、アスペルガー症候群等)診療の勘所が聞きたかったのでした。
会場は千代田区大手町のJAビルの中で、たぶん一番大きなホールで、厚労省が当初100人前後と見積もっていた参加者は400人を超えたので会場を変えたと聞きました。年齢層は卒後15年以降が過半数を占めていた印象です。必然的に開業の先生方の割合が多く、勤務医としても部長クラスの方の比率が高かった印象です。
一時限目(と、そう呼んでいました)の、”乳幼児期から学童までの心の発達”は、文学部教育学科への学生の講義そのままで、少なくとも私にとっては、そしておそらく来場していた臨床医にとって、何の役にも立たない話でした。
二時限目の小児の心身症は、それよりましだったのですが、やはり、高学年の医学生への講義のように、総論的でした。期待していたような日常診療のtipsのような話は聞けませんでした。
それに比べて、三時限目の、日本家族計画協会クリニック所長 北村 邦夫先生による”思春期の性の悩みとその対応”は、何が現場で問題となっているかに絞り込んだ実践的な内容とともに、プレゼンテーション技術の素晴らしさを見せていただきました。
昼食後の四時限目は、最も期待していた”発達障害の早期診断と対応”だったのですが、講師の先生の御専門が、てんかん→注意欠陥・多動性障害だったためか、自閉症・アスペルガー症候群に関しては、最近の教科書や商業誌の総説に載っていること以上の話は聞けなかったので、がっかりしました。
最後の五時限目は、虐待についてで、これも聴きたかったのですが、別件があったので退席して聴いていません。
まとめると、演題構成が総花的で、的が絞れていない。現場で悩んでいる聴衆が、聴きたいと思う要点を考慮せず、既存の紙媒体に文字で書いてある情報の提供に終わってしまった演題が多かった。ということになります。
厚生労働省が予算を取った仕事の柱の一つとしての講習会であり、講師の先生方も休日に、大して高くもない謝金にもかかわらず、誠実にやっていらっしゃるのはわかりましたが、日常、家庭医療学会のセミナーなどで、超一流の講師陣のプレゼンを見慣れている身には、北村先生のお話を除いては、決して、来て良かったと思える研修会ではありませんでした。ちなみに、”パソコンの持ち込みはご遠慮下さい”という意味不明の注意書きが参加要項にあったのですが、その理由については全く説明がありませんでした。
元役人として気になったこと:
この研修会は、”子どもの心の診療医の養成”で予算を取っている雇用均等・児童家庭局 母子保健課の肝いりです。一方、発達障害支援事業をやっているのは、厚労省の中でも、社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課です。さらに、この領域、特に学校関連の事業は、文部科学省が主導しています。この三者の連携は一体どうなっているのか、重複して無駄なことをやっていないのか?今後、発達障害研修1年生として、行政の動きも勉強させてもらおうと思っています。
研修医3ヶ月で気付いた問題点を自分の頭の整理の意味で書き出してみた.主な問題点は以下の3つである.
1.たこつぼで仕事をしてきた人たちはどう連携したらいいのかわからない:教育・保健・福祉・医療の全ての分野が関わっているので、関与する組織・個人が広汎であること。これらの組織・個人が連携して活動しなければならないが、未曾有のことであり、どうやればいいのか見当もつかない。
2.高い有病率,膨大な人数:特別支援教育の対象となる自閉症(知的障害がない〜軽度知的障害を含める)、ADHD、学習障害の児童・生徒の割合が全体の6.3%と膨大な人数である。
3.支援なき特別支援教育:介護保険制度のように、広く一般の国民から経費を徴収するわけではないので、新たな人員配置はない。つまり、仕事だけ増えて、金も人も増えない。
1に関しては:発達障害に関連した中央官庁は、厚生労働省でも、障害保健福祉部が障害者福祉の立場から、母子保健課が、小児保健の立場から関わっているが、この二つの部署の役割分担がさっぱりわからない。さらに、医療サービスの実務面からは国立病院機構、地方厚生局と医政局、発達障害者の就労支援の面からは、障害者雇用対策課が関与しなくてはならない。発達障害支援の根拠となる法が障害者自立支援法となる以上、行政での中心となるのは、厚労省障害保健福祉部となるのだろうが、障害保健福祉部は地域の実働部隊として保健所、児童相談所に連絡回路を持ってはいても、多くの医療機関には連絡回路がない。厚生労働省だけではない。特別支援教育を始めとした学校の場での支援は文部科学省の仕事である。
文科省と厚労省の姿勢からして違う。文科省が特別支援教育の対象者を自閉症(知的障害がない?軽度を含める)、ADHD、学習障害としているのに対し、厚労省母子保健課は、それに加えて、心身症、思春期の性行動、虐待とさらに範囲を広げて、子どもの心の診療医の研修会を開催している。同じ厚労省の中でも、障害福祉部は、発達障害に的を絞る一方で、児童・生徒ばかりでなく就労支援も重要な事業の柱にしているといったように、大元の役所からして、やっていることがばらばら。そうなると、それから末梢の組織(学校、教育委員会、保健所、児童相談所、市町村自治体、各医療機関)はもっとばらばらになる。
元来たこつぼの中だけで仕事をしてきた人たちが、どうやって連携したらいいかわからず、ただ連携、連携とわめいているだけで、肝心の仕事は少しも前へ進まない。
2の問題に関しては、医療機関の診療だけに限って見ても、知的障害のある自閉症の診療だけで、すでにどこも飽和しているのに、この上さらに軽度の発達障害を早期に診断して対応しようという意気込む人々は、ただ予算や研究費を取るためだけに声を上げているのではないかと疑いたくなる。
発達障害を診る医療機関の方も、小児科医と児童精神科医が、奇妙なまでにきれいに棲み分ける形になっているところが多いが、私のような外の人間から見ると、同じ病気を見ているはずなのに、診断も療育方針も異なる部分も多く、戸惑ってしまう。
3の問題に関して象徴的なのが、文科省がこの4月から始めた、特別支援教育、特別支援教育コーディネーターという名のいじめである。特別支援教育というのは、従来の特殊教育(おおざっぱには身体障害+知的障害)に加えて、自閉症、注意欠陥多動障害、学習障害をも対象に含めた、言うなれば、特殊教育改訂版だが、その活動の中心となるとされている”特別支援教育コーディネーター”たるや、何の支援もなしに官僚の作文だけで始まった特別支援教育を象徴する悲惨な存在だ。苦しくても支えてもらえない人間が,”特別支援教育”などできるわけがない.そんな小学生でもわかる簡単なことさえも理解できない人間が作ったプログラムが,現実に働くわけがない.
なんとなれば、一般の教師が何の手当や特別な処遇もなく任命されるからだ。なのに,その仕事たるや、特別教育支援運営計画の企画立案,運営から始まって,理解資料の作成,校内職員への啓発,保護者への啓発,対象児童の実態把握,調査票の作成,個別支援の実施,数々の組織との連絡調整・・・・ありとあらゆることに関与することになっている.私は850床の病院でたった1人の神経内科医として働いていたことがあるが、それより仕事量は多いだろう。
通常学級への対応だけでも教師は疲弊し,医療現場と同様に崩壊が進んでいるのに,その上さらに特別支援教育か.一体どこの誰がやるのだろうか.
何がこんな悲惨な状態を招いたかといえば、やはりたこつぼの中だけで仕事をしてきた人々ばかりだから、連携とか、調整が、どういう仕事なのか全く理解できていないので、こういうことになる。教育は専門家に任せろ、私は福祉の専門家だ、医療のことはやはり医師でないと・・・そういう事ばかり言ってたこつぼの中に閉じこもり、何か問題が起こると、それは私の専門ではありません(木っ端役人の大好きな科白だ)と馬鹿の一つ覚えを繰り返してきたから、こういうことになる。
自分では何もやらずに暇をもてあましているのが、本来のコーディネーターの姿である。なのに,現行の特別支援教育コーディネーターときたら,そこらじゅうのたこつぼ連中から丸投げされた仕事を引き受けざるを得ない立場に立たされている.これは、虐待でしかない。孤立無援で虐待されている人間が,他人の支援なんかできるわけがないんだ.
軽度発達障害診断の問題点(2007/10/1)
軽度の発達障害を早期に発見し,診断することの意義はどこにあるのだろうか.特に,
○どういう集団に対し,どんな介入が,どのような点で(社会適応,就労,二次障害・・・)有効性があるのか?
○上記の点が明らかだとしても,その適切な介入を行える人材,組織が身近にあるのか?
○スクリーニングの感度を高めると,必然的に特異度が落ちる.つまり,発達障害のない児童に,発達障害のラベルを貼る危険性が高まる.この問題に対してどう対処するのだろうか?
以上の三つの疑問に対し,まだ明確に答えは得られていない.
自閉症の男性は背が高くて美男子が多い?
私自身,そういう感じを持っていますし,周囲にも賛成してくれる人が結構います.この仮説を検証すれば,背が高くてハンサムな医学生は外科を志し、容貌の冴えない医学生は内科を志すという仮説を検証した論文と同様,BMJに論文が載せられまっせ.
室町時代のアスペルガー?
> ちなみに、高齢アスペルガーって60歳や70歳だと報告モノらしいです。
> 実際はいくらでもいるんだけど、みんな「ちょっと困ったおじさん」みたいなかんじで一応社会に適応しているので、正面切って発表する機会がないっていうだけだとは思いますが。
ごみ屋敷(がらくたへの拘りがあるのでため込んで捨てられない)に住んでいるおじさんなんか、その疑いが強いよね。アスペルガーって、いかにも現代の病みたいに考えられているけど、今ほど物理的な人口密度やコミュニケーションが密ではなかった時代には、相対的に地域社会の余力があったから、自閉症やアスペルガーなんて病気の範疇に入らなかったはずだ。一番近くの人家まで歩いて1時間もかかるような環境ならば、そもそもコミュニケーションとか対人関係なんか必要ないし、敷地も広く取れて、いくらがらくたを集めても、庭はごみで一杯にはならなかったし、そもそも、物資が乏しくて、がらくたもごみも貴重な存在だった。
自閉症療育と医学教育の共通点
自閉症では、「××してはいけない」という指示が極めて入りにくい。殺すなかれ、姦淫するなかれといった戒めは通用しないということ。だから、自閉症者の療育・対応では、「○○しましょう」という形で指示を入れるのが鉄則。健常児でも、「テレビを見てはいけません」、「ゲームをしてはいけません」という指示は決して入らないでしょ。
我々が学習する時も、実は同じ。だから、私の公演でも、極力、「○○しましょう。なぜならこういう楽しいこと、面白いことがあるからです」という形で話すことにしている。たとえば、「心窩部痛が来た時は、心筋梗塞を見逃してはいけない」「心窩部痛が来た時は、糖尿病性ケトアシドーシスを見逃してはいけない」ではなくて、「心窩部痛が来たら、見落としがちな心筋梗塞や糖尿病性ケトアシドーシスの除外を診断早期に行うと、診断リスクの低減が図れる」というように。
犬,健常者,自閉症,そしてべてる
上記のことについて,医学出版社の編集者の方からお手紙をいただいた
> 自閉症では、「××してはいけない」という指示が極めて入りにくい。
には目から鱗でした。うちで飼っている犬は「散歩」という言葉に激しく反応して喜びます。以前うっかり「散歩」と言って大喜びされてしまったので、すぎに「……じゃないよ」付け足したのですがダメでした。「犬には否定語は通用しないのだ!」と大発見した気になりました。並べて悪いけど自閉症の人もそうでしょう。実は健常人と言われる人もそうなのだと思います。
私:
犬と健常なヒトに共通な学習障害があるというのが”大発見”.その発見を経由すれば,自閉症のヒトにも,同じ学習障害があるというのは,発見でも何でもなく,”当然”である.この,”当然”感覚が,また新たな”発見”で,自閉症者と自分の共通点の発見により,自閉症者への共感が生まれ,潜在的な差別感の後ろめたさから解放される.
「べてる式」の教えるところもそうですよね。自称健常人達は、関係妄想を疑心暗鬼と呼び、誇大妄想を夢と呼ぶことによって、自分たちを統合失調症患者と区別可能と考えていますが,果たしてそうか? と疑問を投げかけるところから始まり,幻覚・妄想と折り合いをつけている彼らの姿を見て,ついには自分のstress coping戦略を彼らから貪欲に学ぶようになる.
実際,DVDで「爆発救援隊」が登場する場面なんか、ガミラスの攻撃機をヤマトが迎撃する場面(こういう例えの世代間ギャップ、たとえば、私が使えるのは、”北斗の拳”までで、それ以降は全く思い浮かばない については、また別途論じます)より興奮します。一流の娯楽作品に仕上がったあのDVDに、はまった内科医を何人も知っています。
狐憑き・巫女として社会的役割を与えてきたのに→精神分裂病として隔離し→統合失調症という言葉遊びによって差別感を振り切ろうとしてきた そのような後ろめたさから、こうして解放されます.フーコーが目指したものが、べてるにあるのです。べてるは構造主義共和国です。堺やベネツィアと違って、お金や権力のことを考えず、理念で築く千年王国というわけです.
アスペルガー症候群はなぜ男性に多いのか?
古くは弊衣破帽,放歌高吟といった態度に典型的に見られるように,男性は,自分はこれが好きだというものを身に付ける,自分の好みの格好に拘る.それが周囲からどう見られようと、あまり頓着しない.だから、男性の場合、自己主張の道具である。一方、女性は、自分が見られることを前提に日夜生活している.自分の好みのファッションであろうとも,それがどう見られるかを強く意識する.つまり,外観,服装,おしゃれといったアイテムを通して,常に非言語性コミュニケーションを行っている.男性の自己主張と、女性のコミュニケーションとは、前者が一方通行なのに対して、後者が双方向性である点が大きく異なる。
アスペルガー症候群では、服装、行動、言動といった表現型がしばしば周囲に強い違和感を与えるが、これは、自分の服装、行動、言動が周囲の人々にどのような感情を引き起こすか、考えが及ばないためである。これが自閉症スペクトラムの一つであるアスペルガー症候群の中核症状としての社会性の障害である。加齢によりアスペルガー症候群が目立たなくなるのも、自分の行動や言動に対する周囲の反応による攻撃を受けた経験から、”こんなことをやれば人はおかしいと思うだろう”と繰り返し学習するからだ。
また、ゲームについても、男女差が甚だしい。囲碁、将棋、ボードゲーム、ビデオゲーム、電車でGo!のようなシミュレーション。夢中になるのは、みんな男の子達だ。アスペルガー児がゲームを好むのはよく知られている事実だし、ビデオゲームを使って自閉症児とコミュニケーションを図る試みもある。
こう考えていくと、アスペルガー症候群が女性よりも男性に圧倒的に多いのは、素因がもともと男性に備わっているためではないか。と思えてくる。また、高齢者のアスペルガーは珍しいというが、学習により社会適応能力を獲得しているだけであって、現症と病歴が把握できれば、診断できるケースが数多いのではないかと思っている。
鉄道ファンが男に多い理由
鉄道は徹底的に構造化されたシステムである。しかも、その構造化の様子が非常にわかりやすい。決まったレールの上を決まった時刻に決まった列車が走る。特別列車が走る場合でも、何日の何時からどの駅のどのホームで待ち構えれば写真が撮れるか、簡単にわかる。構造化オタクにとって、こんな素晴らしいシステムはない。男と女、どちらに構造化オタクが多いか、そんなことは、ここを読んでいるあなたには自明の理であろう。
貧乏ゆすりは男の専売特許か?
自閉症児の体幹のロッキングはよく見る症状だが、私の数少ない経験では、貧乏ゆすりをさかんにする自閉症児は記憶にない。となると、貧乏ゆすりは発達障害と関係ないのだろうか?
あなたは、貧乏ゆすりをしている女性を見たことがあるだろうか?その女性は発達障害ではなかっただろうか?
ロッキングチェアの周波数はどのくらいだろうか?その周波数と自閉症児のロッキングの周波数は似ているだろうか?
源氏物語における発達障害の研究
Background:発達障害、コミュニケーション、gender gap、愛と来ると、やっぱり源氏物語。女性が描いた愛の物語で、千年の試練を経て残っているという点も資料価値が非常に高い。
Aim:発達障害の観点から源氏物語を理解し、光の君が女湯に入っていた人だったのかどうかを検証する。貨幣経済が発達しておらず、身分も固定していて、政治闘争もごく限られた人々によって行われ、アニメも鉄道模型もフィギュアもなかった世の中、つまり発達障害者の依存対象が極めて乏しかった時代に、発達障害者はどう息を潜め、女性とのコミュニケーションを図っていたのかも、副次的に評価する。さらに、宇治十帖は、「存在するとは別の仕方で」の具体的なモデルかどうかも検討する。
Materials:橋本 治 「窯変 源氏物語」 多くの訳本の中でこれを選んだのは、内田樹が橋本治を大変高く評価しているからだ。
だから、対談集「橋本治と内田樹」を買った。アマゾンから届いてから3週間。まだほとんど読んでいないが、これは、読み出したら、一気に読んでしまう安心感があるからだ。
草食男子と発達障害療育
確かに世代,年齢は草食男子の比率に大きく影響するけれども,その時々の時代の背景に合わせて,より「困り感」を少なくするためには,どういう生態を取ればいいか,真剣に戦略を練れば,おじさんでも草食男子になれる事例を示していきたいと思っている.そうやって変わっていける自分が見られる(=初老男性における発達障害自己療育の有効性検証を目的とした介入試験)のは,とっても楽しい.
@あと1か月で五十三:昨日の発達障害集団面接会も,またもや学生の進級・教育や教授選を巡るバカの壁だらけで疲れた.
クルマを買わない草食男子は、「見栄消費」しない(この記事を見せれば,霞が関ビルの33階のレストラン,「けやき」で,僕でもレディースランチが注文できるようになるかも.2年前拒否された時は悔しかったなあ.いつかはリベンジ.)
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深澤 そういえば最近、男性からは「なぜレディースデーだけなのか」「なぜレディースプランしかないのか」「なぜ女性専用車両だけなのか」という声も、聞くようになりましたね。
牛窪 ええ、私もよく聞きます。
深澤 女3人で温泉に行くと安くなるプランなどがありますが、今は男子も男3人で温泉に行くから、「僕たちにはなぜあのサービスがないんだ」と思う.
あとレディースランチ。いろいろな料理がちょっとずつ出て、飲み物とデザートが出る。「僕たちもあれがちょうどいいから食べたいのに、男はオムライスとかハヤシライスしか選択肢がない」などと言いますね。
最近では女性向けのサービスが男性にとっても有効ですから、これはもっと増えた方がいいと思います。
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(草食男子の比率を年代別ばかりでなく,都道府県別に見ると面白いだろうね.)
目の付け所が違う
テンプル・グランディンが鼻の穴の形で犬を同定するという話題から派生したやり取り
> 以前診ていた患者さんを思い出しました。その子は、
> 相撲取りのへそが好きで、へそで現役から歴代の相撲取りの名前を言い当てるので
> す。また、魚の尾ひれを見て魚を言い当てる子もいました。外来では、今度こそわか
> らないだろうと思って、魚の写真を選び、その尾ひれを見せましたが、いつも私の完
> 敗でした。
こういう子が長ずると母指IP関節一つでパーキンソン病を一撃診断なんて自慢するようになるんじゃないかなと,ふと思いました.
画像診断も,もちろんそうですけど,筋病理組織オタクページや視診オタクページも「こだわり」そのものですよね.
いいおじいさん悪いおじいさん
先日、あるクローズドな会合(職場における成人発達障害者への対応を真剣に考える数人のグループ。場所は東北一の大都市の、とある居酒屋)にゲストとして迎えられた際に提出されたアジェンダが表題です。
communication のgender gapという観点から、「全ての男性は発達障害という資源を負っている」という作業仮説を、全ての男性に突きつけている(女性にとっては言語化されていないだけで、周知の事実)わけですが、「いいおじいさん悪いおじいさん」はという言葉は、その作業仮説に魅力を感じた方から投げかけられた問いかけです。
いいおじいさんと悪いおじいさんを分岐させるものは何か(年齢、療育、配偶者、職業・・・・)?、中年期以降の発達障害者の臨床
といった観点から生じた主要論点を書き出してみました。
○高齢発達障害者の処遇問題は、高齢化社会に伴って出現した新しい問題では決してなく、すでに何百年も前から知られていた。
○中年期以降の発達障害者:疫学(頻度、職種・肩書きとの関係等)、臨床(症状=周囲がどういう形で被害を受けるか?、診断基準)
○発達障害の療育介入の有効性とその可能性:いつの年齢で、発達障害のどの側面に対する、どんな介入が、どこまで有効なのか?NNTはどのくらいなのか?投入される労力や時間のことを考えると、療育介入よりも、周囲の対応に力を入れるべきなのか?
○職場での発達障害対応普及活動:先日の某大手製薬企業での発達障害に関する(コミュニケーションのgender gap)講演会で、かなり自信が出てきました。問題は男性の間で、私のような役割を果たせる人をどうやって育てていくかです。悲観的になるつもりはありません。オーソドックスな方法として、まずは本の執筆かなと思っています。
○療育介入担当者(=配偶者。なぜなら、配偶者しか担当できる人間がいないから)の教育?ケア?先日の某大手製薬企業での講演会の後で、「職場の男性に聴いてもらったのも良かったが、自分の旦那にも是非聴かせたい」という声を多数いただきました。
療育疲れ
働く女性は,当然のことながら,職場で,発達障害への対応に忙殺され,疲弊します.そしてさらに家に帰ってからも,療育が待っている人生って・・・・
そんな心境を知らずして,女性のキャリアを論じるなんぞ笑止千万・・・・
そうおっしゃりたいんですよね?
こんなに嫌がっているのに、なぜ、あの人は理解できないのだろうか?本当にいらいらする。そう思ったことはありませんか?
周囲へのストレスと、状況改善のための介入手段がないという二つの面で、相手の陰性感情に対する致命的な感度の低さは、発達障害者が抱える最も重大な問題です。
では、相手の陰性感情に対する感度はどのようにして発達してくるのでしょうか?ここでは、まず簡単なモデルで考察してみましょう。
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人の考えがわからない(杉山登志郎 発達障害の子どもたち 第5章 アスペルガー問題 P111-P112)
心の理論とは、他の人の信念とか考えとかを把握する認知能力のことである。この他の人の信念と、事実とはしばしば異なっている。自閉症グループの児童、青年は圧倒的に事実に引きずられてしまって、信念の把握が不十分になるのである。
これは次のようなテストでわかる。はじめに子どもにチョコレートの箱を見せる。あけてみると、中には鉛筆が入っている。もう一度、鉛筆を箱の中に入れて、そこで別の人H君が登場する。子どもに「今来たH君は、箱の中に何が入っていると考えると思う?」と尋ねるのである。もちろん正解はチョコレートであり、健常児は四?五歳ごろにはこの課題を通過してしまうが、これに自閉症グループの青年は正常知能の者であっても特異的に失敗するのである。
高機能広汎性発達障害では言語発達年齢が9-10歳において、この単純な心の理論課題を通過することが明らかになっている。つまり健常児に比べて四?五年遅れるのである。この時点で、アスペルガー症候群および高機能広汎性発達障害の児童は他者の考えが読めるようになってくる。しかし健常児とは脳の異なる部分を用い、異なる戦略を用いて「心の理論」課題を遂行していることが確かめられている。われわれが直感的に速やかに他者の心理を読むのとは異なって、自閉症グループの児童、青年は推論を重ねながら苦労して読んでいるようなのである。
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チョコレートの箱に入っている物についてさえ、相手の考えを適切に推測できないのです。ましてや、「偉大なる俺様」の行動や、「偉大なる俺様」の出す指示に対して、相手に陰性感情が湧き起こるなんて、金輪際想像できるわけがないじゃありませんか。
そんな人の相手が職場だけならまだいい。それが家庭だったらと思うとぞっとするって?いや、実際に毎日家庭で相手にしますって?
私が口を酸っぱくしておじさん達に「奥さんの愚痴を聴け」というのも、奥さんが自分の陰性感情をせっかく言語化してくれているのだから、その療育の情熱を受け入れて、奥さんの陰性感情を学び、かつ、黙って愚痴を聴くことによって、自分が成長したこと=奥さんの療育成果の証を見せて、安心してもらい、喜んでもらう。そうすれば、自己評価が高まり、「奥さんの喜ぶ顔が見たい」という気持ちが芽生えてくるからです。
発達障害戦略研究所東京支部の研究員からのレポートと所長コメントです。
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「職場の平和」研究について、最近のフィールドワークをご報告いたします。
職場環境は至って良好です。これは以前にもご報告させて頂きましたがまず、私の心の持ちようが大きく変わったことによります。「男性は多かれ少なかれ発達障害である」という前提のもとに相手の男性の話を聞けるようになりましたので、以前よりイラッとすることが少なくなりました。
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コメント:今まで、相手の行動を受けて「得体の知れない不合理な感じ」が生じた時には、自分が何かに過敏に反応しているのか?と、自己攻撃性が生じていたわけですが、それが「発達障害の問題行動」と言語化され、外在化されることによって、自己攻撃性が消失してしまうわけです。
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幸いなことに、私のまわりには「高圧的偉大なる俺様」はいらっしゃいません。
「内向的偉大なる俺様」系の方がいらっしゃいます。
内向的というのは、内弁慶的といいますか、
身近な人に、自分の学歴、経歴をことあるごとに自慢し、人を学歴や職業で判断し、
いざ自分より下とみると馬鹿にしたような態度をとる傾向にある人です。
大っぴらにはしません、世界で一番だとは思っておらず、ただ、「周辺では一番」
だと思っていて、常にそれを確認したい、認識させたいのだと思います。
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コメント:「内向的偉大なる俺様」系という言葉は便利ですね。というのは、「高圧的偉大なる俺様」はほとんどの場合(反応性が極めて乏しいゆえに)療育の対象にならなずに、ひたすら距離を置く、係わり合いにならないようにする、放置するのが得策なのですが、「内向的偉大なる俺様」系は、後述のように、それでも何とか関わりを切らずに、辛抱強く対応していけば、行動変容が起こる可能性があるのです。
特に、「内向的偉大なる俺様」系の意識下には、実は、自己評価の低さが横たわっています。自己評価が低いから、どんなに素晴らしい仕事をしても、まだだめだと思う。それを自分だけではなくて、自分がこれほどやっているのだから、あなたもそうしなければいけないと攻撃してくる。
ちなみに、職場によって、「高圧的偉大なる俺様」系と「内向的偉大なる俺様」系の比率は異なってくると考えています。たとえば、病院外科系では、高圧系の比率が高く、PMDAのようなチームワークが必要なお役所では、内向系の比率が高くなるという具合です。
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根はいい人ですし、悪気はないのですが、お気の毒としか言いようがありません。
それほど頭が良いのですから「発達障害である」という自覚など
いとも簡単なことなのではないかと思うのですが、それがなかなか難しいようです。
ご家族はサイレント・クレーマー化している模様です。
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コメント:典型例ですね。自分の両親の夫婦関係を見て、結婚のリスク・ベネフィットのバランスを冷静に考える女性も多くなってきているとか。また、学校の試験の成績と、発達障害者の自覚とは、全く関係ないようですね。
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私は、その方のお話に耳を傾け、努めて機嫌良く接するようにしています。
それは「そんなに自慢なさらなくても、あなたの素晴らしさには気づいています」という表明です。
もちろん、ご専門の知識は深く、その領域では信望のある方なのですから。
そして、その方が自慢たらたらだったり、人の話を聞かなかったりした時には、
すかさず、「そういうのは、どうかと思いますよぉ?」と冗談めかして申し上げるようにしています。
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コメント:そんなに他人を攻撃しなくたって、あなたの優秀なのは誰もが認めていますよ。唯一つ、あなたの問題は、他人を攻撃してコントロールしようとするところです。神様ではないのですから、他人の頭の中と行動は変えられません。みんな自分なりに一生懸命やっているのです。他人を攻撃しても、誰も幸せにはなれません。
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その時、その時、その発言を捉えて言わないとダメなのです、後でまとめて「あの時は・・・」なんて、ダメです。
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コメント:ここ、技術的に大切なところです。なぜなら、男というのは極めて忘れやすい動物だからです。すっかり忘れているところへ、後で言っても、「言いがかり」と思われるだけ損になってしまいます。
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そういうことを繰り返していくうちに、だんだんと「気づき」が生まれ、
何か余計なことを言ってしまった後、ハッと思い至ることがあるようです。
そういう状況を何とも嬉しい気持ちで見守っています。
患者様の全快を祈りつつ、私自身、ひと言多い、その「ひと言」を飲み込み、
笑顔を絶やさない、愛のある女性を目指して精進します。
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コメント:やはり療育は「時間がかかる」というより「時間をかける」ですねえ。「成長の喜び」「教えてもらえる。助けてもらえる自分て素敵」。そういう感覚がわかってくると、本当の意味での自信とは何かがわかって、伸びていきます。
所長
(続き)
> 男性に対して、許容範囲が少し・・・広がったように思います。
> そう実感できることが、嬉しいです。
> これまでずっと、男性に対する度量が極めて狭かったと思いますし、
> そういう自分を「何様?!」と感じることさえあります。
これが自信(=これまであった自己攻撃性&他者への攻撃性の低減)です。
> 私自身、この患者様に育てられている気がします。
この感覚ですね。これ、大きいんです。つまり、自分が療育してやっているっていう被害者意識だけだと、相手にもそれがわかってしまうから、相手が療育に抵抗する。すると療育の効率が途端に悪くなって、療育が楽しくなくなって継続できなくなる。だけれども、自分も一緒に育っていると思うと、自分に余裕が出てくる。その余裕が療育者としての自信につながる。
そういう自信の生まれ方は、実は男性も同じです。自己&他者への攻撃性が低減され、逆に、妻に育ててもらっていると思える夫。患者に教えてもらっていると思える医者。学生に教えてもらっていると思える教授。それが口先だけでなく、行動に表れれば、周囲から尊敬の眼差しが集まります。そこから自信が生まれる。女性が惹かれる男性の自信て、そういう自信なんですが、そこに気づける男性って、不思議なことに限られている。
発達障害の療育のこつは、そこに気付かせることにあります。
> だから、その「俺様」っぽいところが無くなったら、もっと良い人なのに、と思うのです。
> 今まで誰にも指摘されなかったのだと思います。
> 療育は女性の任務!と心得ます。
実際にもう始めているわけですね。
> 自己嫌悪と自尊心の堂々巡り・・・とでもいいましょうか。
> それが、上記のような「職場での鍛錬」から、辛抱や忍耐といった負荷を
> それほど感じることなく、男性の言動行動を許容できるようになってきました。
> このトレーニング、続けるべきですよね。継続はチカラ、ですね!
そうです。自信が出て来ると継続できる。継続できるとまたそこから自信が生まれる。良いサイクルを作ることなんて、実は簡単なのです。発達障害の療育なんて、mission impossible。とてもじゃないけど、私になんてと、つい先日まで思っていたはずなのに・・・騙されているみたいだけれども、本当なのです。
(続き)
> でも、療育「してやってるモード」には、私は幸い陥らないで済みそうです。
> 療育が奏功するのを目の当たりにして、ほくそ笑み(^^)
> そして、イラッとしなかった、ひと言を飲み込んだ、笑顔で乗り切った
> そんな自分を見つけて、またニコリ(^^)
> 療育って、患者様と自分の、両育・・・なのかもしれませんね。
「両育」。いいですね。これ、いただきます。
「自分が楽しい」って大切な、そして基準です。そこには自己攻撃性がないからです。反対にいらいらしているってのは自己&他者攻撃性が高まっている証拠。
> 「自信」・・・地に足の着いた、確固たる、そして、たおやかな
> おごらない「自信」に満ちた人に・・・なりたいです。
> 一生かかりそうですが・・・一生勉強ですね!
これも、「一生成長し続けられる」と読み変えられます。自分が楽しくなるように自由に読み変えるようになる。これも成長の成果の一つです。
> 結婚のリスクを引き受ける器が形成されつつあるのか、自分?!・・・などと。
> ・・・などと、短絡的に考えてはなりません、なりません・・・(^^;
いや、決して短絡的ではないですよ。確かにそうなんです。自分も育っているのです。判断力が育つ。しかし、人は神ではないから、決して完璧な判断力を得ることはない。どこかで判断力は欠如するから、結婚できる。結婚できれば忍耐力が育って結婚を継続できる。結婚が継続できれば、常に目の前に自分の判断の誤り動かぬ証拠があるから、再婚なんて馬鹿げたことを考えることは一切なくなる。
所長
「結婚は判断力の欠如、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如である」
アルマン・サラクルー
「夫婦というのは、別れそこなった男と女のことです」
永六輔『一般人名語録』
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諏内氏が考える魅力的な男の基本は、自信があるか否かに集約できる。
「自信のある方は、すべての振る舞いに余裕があります。見ている側もとても安心させられます」(諏内瑛未。日経WagaMaga
「モテる」を真剣に考える。今、再びの男磨き より)
諏内さんは、肝心の疑問、つまり、「自信はどこから生まれてくるか?」 については教えてくれない。もし尋ねたとしても、「そこを自分で考えることが自信につながるのです」 と返されるの関の山とあなたは思うだろう。そうかもしれない。いや、たとえ、諏内さんがあっさり答えを教えてくれるとしても、奥ゆかしいあなたは、諏内さんを直接訪ねて行って、直接質問したりできないだろう。そんな奥ゆかしいあなたに、諏内さんに代わって、ずばり私が答えを教えてあげよう!
答えは最高に簡単だ! もう、すでに、こんなところを読んでいるあなたは、実は、十分な自信をすでに持っている。それを懸命に押しつぶして、自分の意識下に追いやって、あたかも自分に自信がないかのように振る舞っているだけだ。
こんなに素晴らしい業績を上げているのに
こんなに素晴らしい肩書があるのに
こんなに素晴らしい学歴があるのに
こんなに素晴らしい趣味(時計、車、ワイン、ゴルフ、盆栽・・・)を持っているのに
なのに褒めてもらえない自分はまだ努力が足りない(自己攻撃)=いつまでも自信が出てこない。さらにまずいことには、俺様はこんなに頑張っているのにそれを理解できないお前はおかしいと、本来助けてもらえるはずの大切な周囲の女性達も攻撃してしまう。
自信がないから自分を攻撃する。自信がないから他人を攻撃する。どんなに素晴らしい業績を上げようと、どんな素晴らしい肩書を得ようと、どんな素晴らしい学歴を持っていようと、お願いだから褒めて頂戴と甘える男が、いつまでたっても自らを信じられない男が、自信のない男が、魅力的に見えるわけがない。
「勝手に自己満足してなさいよ!」ってブーイングが飛びまくっているのに、まだ気づかないんですか?
そうです。自己満足なんですよ。それが「自信」なんです。自己満足で満足せずに、まだ足りないと言っては自分を攻撃し、こんなに頑張っている自分を褒めないお前はおかしいと言っては他者を攻撃する。それが今まであなたが延々とやってきたことなのです。
業績、肩書、学歴、年収。素敵な女性はそんなものには一切興味はありません。そんなものを自慢する男にも一切興味はありません。自信がないから、そんなくだらないものを自慢するんでしょ。そんなことをするから、すぐに、自信がないって、簡単に見破られてしまうのです。
発達障害に対応する女性を3つのタイプに大別すると:
1.「殿方のお気に召すままに奉仕するのが女の幸せ」と信じて疑わずに一生を終えられるタイプ
2.この不愉快さ・イライラは何なのだろうと思いながらも、その本態を外在化できずに、自分にも問題があるんじゃないかと思って、時に自己攻撃性も生じて悩み続けるタイプ(現代の日本では一番多いタイプ)
3.発達障害と言語化するしないは別として、徒に疲弊しないために、療育担当の時間と労力を意識して限定し、問題行動と相手の双方を突き放し、距離を置けるタイプ(増えつつはあるが、まだ少数派)
1、2、3はもちろんデジタルで境界線が引けるわけではないが、タイプ1は結構独立した群。東京をはじめとした都市部の女性には信じられないかもしれないが、タイプ1が多数派の地域が、日本にはまだまだ数多く存在する。
タイプ1はタイプ2に移行すると、自分自身が苦しくなるから、おのずからタイプ1にとどまろうとする。また周囲がタイプ1ばかりだと、正統派として安心できる。典型的なタイプ1の女性が、周囲にタイプ2かタイプ3しかいない地域に出ると、途端に異端派として扱われ、ひどいカルチャーショックを受ける。だからタイプ1が多い地域に住む女性は、一生、その地域から外に出ないという事例が続出する。そういう地域では、タイプ1の女性に全面的に依存する男性も、同じく地域に留まることになる。あるいは、「やっぱり故郷がいい」と言って戻ってくる。
私の伝道活動はタイプ2からタイプ3への移行の促進である。タイプ1からタイプ2への移行については、本人にその気がないから対象外。タイプ1からタイプ2への移行が果たして現実に起こるのか?起こるとすれば、どういう機序か?多分、世代間の時間軸と地域社会という空間軸の相互作用が鍵だろうから、個人の中で1から2への移行が劇的に起こることは、まずないのだろうが、いずれにせよ、この機序の究明よりも、今は、伝道活動の方に力を注ぎたい。
療育反応性・予後の目安としての冗談・皮肉
療育に対する反応性、予後の判定基準に冗談や皮肉の上手下手があります。構造化した言語しか使えなければ、冗談や皮肉は思いつきません。冗談や皮肉を使う際には、それが通じる相手か、そういう場の雰囲気かどうかの判断が厳しく要求されます。冗談や皮肉は、その生成過程にも、使用する際にも、人間関係の適切な認識が必要になります。言語性メッセージを額面通り受け止めずに、その背景や行間を読むという特殊な能力も要求されます。
女性が男性を魅力的と思う重要な要因の一つに、良質なユーモア感覚がありますが、それはやはり、療育に対する反応性、発達障害の予後を考えてのことでしょう。
療育疲れの項でも述べましたが、女性は職場でも家庭でも療育を行います。では、職場と家庭ではどちらが疲れるか?それはやはり家庭です。職場なら、一人の発達障害者を複数の療育担当が交代で受け持てる。だから、ストレスが分散される。さらに、いざとなったら逃げられる。逃げ方もいろいろある。
しかし配偶者の療育は自分一人で担当しなくてはならない。空間的にも時間的も逃げ場がない。療育する方もされる方も追い込まれた状況で療育が行われるわけです。ですから、家庭での療育の方が職場でのそれとは比較にならないぐらい、徹底的と言えましょう。
ですから、職場で、仕事の必要上から、発達障害の療育をやらざるを得ない立場に追い込まれてみると、同じことを、いや、もっと大きな負担を、仕事が終わって、本来はくつろぎたい家庭で、強いられるかと思うと、私はそんな超人にはなれない、なりたくもないと思う女性が職場で多数派になったとしても、決して不思議ではないのです。
学生相手に
2009/8/8、家庭医療学会 学生・研修医部会夏期セミナーで、いつものように、学生相手に発達障害の雑談中、ある男子学生から。*は爆笑が起こった部分。でも私は例によって爆笑場面ほど大真面目で話を継続。
「でも池田先生、男性に発達障害があるように、女性にもあまねく存在する障害があるんじゃないでしょうか?」
「ちょっと待って、そんなもの、探してどうするの?」
「・・・・・・」
「まず、自分に集中しなさいって言ったでしょ。他人のこと、構っている場合じゃないでしょ。(*)そんな余裕がどこにあるの?それよりも、今すぐに当事者研究始めなさいって。当事者研究の素晴らしいところは、コストゼロ、いつでもどこでも、時と場所を選ばないわけ。それに学生であろうと、研修医であろうと、誰でも今日から始められる。そして成果は直ぐにその場で自分に還元できる。ゼロリスク、ハイリターン(*)。その成果ってのも半端じゃないのよ。出会う女の子を片っぱしから魅了できるのよ(*)。そして、教授を辞めても医者を辞めても、ホストで食べていけるようになる(*)。そしてついには世界の半分が愛人になる(*)。あとの半分はどうでもいいから(*)、結局世界征服ができるわけ(*)」
経験的に、療育に対する反応性は、三十歳を過ぎると極端に低下するので、二十代に積極的に伝道するようにしています。
ただし、上記のように、医学部の男子学生は、すぐに他人の病気云々に考えが及んでしまって、自らが発達障害という成長の資源を持っていることや、当事者研究の面白さを素直に認識できない傾向がありますね。中にはとても素直な男の子がいて、すぐに当事者研究に取り掛かる子もいますが、そういう子に限って、いわゆる草食系の傾向が明確で、発達障害は軽症なのが皮肉です。
女性に教えられてもらって成長していく醍醐味が味わえればしめたものなのですが、「女より俺様の方が偉いんだ」という発達障害者特有のこだわりが、療育に対する抵抗性の源になっています。偉大なる俺様妄想は、自分のことを外在化できていない=自分を適切に評価できていない証拠です。「女性にも何らかの障害があるはずだ」という設問の背後には、自分を外在化して評価(自己攻撃とは違います)することの抵抗があります。
「みっともない」という言葉の意味
「みっともない」という言葉は、他者から自分の姿・行動・言動がどう受け止められるかを想像できる能力を持たない人間には通用しません。「みっともない」は決してマニュアル化できません。「みっともない」という言葉は、それ以上、言語化、構造化されません。個人により、個人同士の関係により、周囲の状況により、「みっともない」の判断基準は千変万化です。
マニュアル化できない!?、言語化できない!?、構造化できない!?、千変万化する判断基準だって、そんなもの、基準でも何でもないじゃないか!!発達障害者のそんな悲鳴が聞こえてくるかと思いきや、全く聞こえてきません。そうです。「みっともない」という言葉は、彼らの宇宙の外にあるのです。
他者との関係性を踏まえて、自分の行動がどう評価されるかを予想して対応を考えることが当然のごとくできる人間とできない人間がいます。この能力はいわゆる知能とは一切関係がありません。この能力の発達は、家庭教育に負うところが大なので、通常、思春期までに急速に発達し、それ以降の有意な発達はほとんど期待できません。社会に出てからは、「みっともないから、止めなさい」と言ってもらえなくなるからです。
「みっともないから、止めなさい」と言う役割は、ほとんど母親の肩にかかってきます。なぜなら、父親の方は、大抵、「みっともない」が、服(それもよれよれだから、余計みっともない)を着て歩いているような存在だからです。
知命を越えて
五十を越えますと、それ以前は時間、日、せいぜい週単位でしか効率性を考えられなかったのが、残された人生の効率性を考えるようになります。つまり、残された時間が少ないことがわかると、却って長期的視野で時間を捉えられるようになるのですね。そうすると、配偶者との関係のように、長期に継続しなければならない関係を改善して、幸せな気分で過ごせる時間を長くしよう、それが、残された人生のもっとも有効な効率化手段だろうと考える。
世の殿方はそこまで言っても怪訝な顔をするので、さらに、「後ろから(家庭から)弾が飛んできては、前から(仕事場)どんどん飛んでくる弾に対応できるわけないだろ。あんた、まともな仕事をしたいと思うのなら、なぜ後ろから飛んでくるかを考え、撃ち方を止めてもらうように行動しないんだ」と説明します。それでも、重症者はまだ怪訝な顔をしていますが、そういう人はどんな療育にも反応しないので、療育対象の選別にも、このたとえ話は役立ちます。
ともかく、そうした、実は、極めて実利的、功利主義的な観点に立って、後方から陣地との停戦協定の成立、さらには愛情の補給契約締結に成功し、幸せな気分で過ごせる時間を長くできると、気持ちにも余裕ができて、コミュニケーションスキルやストレス回避・軽減スキルも上達し、それをまた仲間と共有すると、自分の仕事もチームの仕事も効率化するのです。
世の多くの殿方は、そんな簡単なことがなぜわからないんだろうという素朴な疑問が当然素敵な女性達の心の中に湧くわけですが、上記のように、療育に対する反応性が極めて悪い集団というのは、ある一定の割合で必ず存在しまず。そういう人達には一切構わず、短期的、長期的、両方の視野に立って自分が幸せに過ごす時間を確保する方策に集中してください。それだけでも大事業なのですから。
苦労の受容体
椅子が人を育てるという。しかし、大きな椅子に座れば、そこに座った人が必ず育つかというと、実はそうでもない。そんな実例をあなたもたくさん知っているだろう。知っているばかりでなく、そんな実例に散々苦しめられているだろう。
どんな椅子に座ってもデフォルトで苦労がついてくる。問題は椅子に座った人にその苦労の受容体があるかどうか。座っている椅子の大きさや年齢は、その人の育ち方には関係がなく、苦労の受容体があるかないかで、椅子に座った人が育つか育たないかが決まる。
苦労をしなければ受容体は育たないし、メインテナンスを怠ると、直ぐに受容体は消失してしまう。
正確に言うと、椅子が人を育てるのではなく、椅子に座った人を見る人が育てるのである。人を育てるのは人以外ではありえない。椅子に座った人に苦労の受容体があれば、同じ受容体を持った周囲の人たちの共感が得られて、助けてもらえる、教えてもらえる、守ってもらえる、育ててもらえる。苦労の受容体を持ち合わせない人が椅子に座ってしまうと、まともな人は取り合わずに取り巻きだけが残ってバカ殿・裸の王様→悪いおじいさん路線まっしぐら。
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結婚、どんなものか経験がないのでわかりませんが、私の印象では「ハイリスク・ハイリターン」な代物です。だからといって、私自身、安全策を選んで独身でいるわけでもないんですが・・・。のんびりしていたら、いい歳でした、という輩です。でも、そんな人生を選んでも元気で健康なうちは、また都会にいる分には、誰に焦らされることなく、それなりに楽しく生きられる時代に感謝しています。
ひと昔前では、もっと窮屈だったでしょうから。。。正月などに感じます、もはや嫁にいけずに30代半ばを迎えた娘は、結婚の二文字は禁句かのような気の使われようですので、、、。
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>結婚、どんなものか経験がないのでわかりません
まず、こういう当たり前のコメントがすんなり出せることが当たり前の世の中になったことがあります。これが以前の世の中だったらどうだったか?結婚していないと「1人前じゃない」という根拠のない差別がコンビニのように普遍的に存在していましたから、
○だったら、一度結婚してみればいい←ゴルフやスキーじゃねえんだから
○自分は結婚しているから知っている←「人生の先輩」気取り
とかいった愚劣なコメントが反射的に返ってくるのがわかりきっているので、言えなかったんですね。
>私の印象では「ハイリスク・ハイリターン」な代物です。
徴兵制度のように、ある年齢になったら結婚するのが当然のように思われていた時代には、「リスク」という概念自体が存在しませんでした。もちろん結婚にまつわるリスクそのものはあったですが、それは「試練」と言語化されていました。
リスクと捉えれば、回避行動という選択肢が生じますが、ところが試練と言語化すれば、回避行動でなく、逆に衝突(突撃)行動となります。その結果かつて日本全体が203高地と化していました。駅頭で万歳をして見送る儀式が、出征時と同様、新婚旅行の見送りでもかつて行われていたことを御存じでしょうか。もはやそういう時代ではありません。兵役さえも志願制の世の中です。
結婚に伴うリスクには極端な非対称性があります。妻の方がリスクのほとんどを引受けて命を縮めるのに、夫の方は妻の命と引き換えに長生きする厳然たるデータがあります(下記注*)
結婚をしない・遅らせる女性が増えたのは、リスク回避行動と考えれば当然です。日本のドラッグラグは、企業が開発を遅らせることが主な原因ですが、これも開発リスクを低減・回避するための合理的な行動です(欧米で先にやってもらって、失敗したものはやらない。うまくいったものだけをやればいい)。
さて、結婚にまつわるリターンの方はどうか?リスクほど、その実態が明確ではありませんし、評価項目も確立していないので、断定的なことは言えません。しかし、リターンがどうかという議論よりも、リスクとリターンを判断する人間の行動という出口から見ると、1970年以降、婚姻率が低下し、かつ、離婚率が上昇しているのです。つまり、結婚を控える人と、結婚をしても継続しない人が同時に増えている。
ということは、結婚は、リスクに見合っただけのリターンが得られない博打である。結婚前にせよ、結婚後にせよ、そう気づく人が、特にリスクを引き受ける側の女性の間でどんどん増えてきている。それが、このデータに対する最も矛盾の少ない説明だと思うのです。
注*愛媛大医学部の藤本弘一郎(公衆衛生学)らのグループは、地域のお年寄りの死亡関連要因をまとめ、2002年10月,さいたま市で開かれた日本公衆衛生学会で発表した。 60歳から84歳の3136人(男1326人、女1810人)を96年から約4年半追跡。亡くなった210人(男111人、女99人)の健康や生活、趣向などを分析、死亡につながるハイリスク因子を探った。
男性では「配偶者がいない」「糖尿病で治療」「たばこを吸う」「過去1年に入院」「過去1年に健診を受けていない」などがリスクに挙げられた。しかし女性では「配偶者がいる」がただ一つのリスクだった。
このうち配偶者だけをみると、男性では「妻がいない」ために死亡につながるリスクは、「いる」に比べ1.79倍も高かった。一方、「夫がいる」女性のリスクは「いない人」に比べ55%も高かった.
ロベカルは一日にして成らず
シナリオ1
「私、今晩はもうお化粧落としちゃったから、外には出られないわ。あなた行ってちょうだい」
「大丈夫だよ、落しても大して変わりゃしないから」
「!!%&*@$!!」(文字化けではありません。念のため)
シナリオ2
「私、今晩はもうお化粧落としちゃったから、もう外には出られないわ。あなた行ってちょうだい」
「はーい、お安い御用」と、にこにこ、いそいそ出かける。
上記の二つのシナリオの分かれ目はどこにあるのか?それは翻訳能力の差です。試合開始直後のレッドカード一発退場となったシナリオ1では夫に全く翻訳能力がありません。シナリオ2では、妻の言葉を、「世界でただ一人、あなたにだけすっぴんを見ることを許しているのよ」と翻訳できています。その見事さは、あのバルテズが一歩も動けなかったロベルト・カルロスの40mフリーキックを見るようです
でも、発達障害戦略研究所では、そのような翻訳能力を持った男をゲットするにはどうしたらいいかとか、自分の旦那の翻訳能力を養成するにはどうしたらいいかとか、所長に質問が殺到するするようなことはありません。優秀な研究員達は、どこかにたった一つの素晴らしい正解があるような問題ではないことに、直ぐに気づくからです。素晴らしい研究テーマが与えられたと思って、今後じっくり研究していくのです。幸い、研究の場には事欠かないのですから。
女性にとって、結婚とは、それまで構築して安定していた自分の空間に赤の他人の男性がずかずか侵入して、居座り続けることです。赤の他人の男性に、すっぴんを見せなければいけないなんて!
普通は悪夢です。というより、そんなことしません。さらに悲しいことには、あなたが相手にすっぴんを見せることの意味を、その相手は全く理解できない。だから、シナリオ1が、毎日世界中で繰り広げられている。
親と同居している時は、シナリオ1を目の前で見せられて、結婚する意欲が削がれる。独立して、安定した自分の世界を構築してしまったら、そこに敢えて赤の他人の男性を迎えて居座ることを許せるか?もし、清水の舞台から飛び降りるつもりで、侵入、居座りを許可しても、一生翻訳能力を獲得できないとしたら?そういう悲劇を考えたら、リスク回避行動を取る人が多くなるのは当然です。
リスク回避行動だけを捉えてとやかく言う人々ほど、大切なことは何もわかっちゃいないのですから、そんな人達は放っておいて、各研究員におかれましては、自分の大切な研究課題に専念されますよう。
男は生涯ゲーマー
野球,サッカー,戦国武将,三国志・・・・なんであんなものに夢中になるのか?自分が野球選手でもない,サッカー選手でもないのに?織田信長に憧れる人が,野山を駆け巡るのならまだわかるけど,どうして車に乗ってパチンコ屋に行くの?みなさん,そんな疑問をずっと持ち続けてきたでしょう.その秘密が今解き明かされます.
スライドを御覧ください.
スライド2-3:「要するにヒーローになりたいのです.」(ちなみに藤堂高虎というのは,徳川家康の有名な家来のうちの一人です)
スライド4:「でも,どうして,そんな400年前の軍人と自分を重ね合わせることができるわけ?ITと戦国武将って??,統合失調症の患者さんでも,もう少しましな組み合わせを考えるわ」
「すいませんが,その「どうして」という疑問詞は,この際捨て置いてください.だって,そんなめちゃくちゃな行動を言語化して説明するなんて非効率的なこと,誰もやりたくないですから.ファンタジーの世界に遊べる行動特性がY染色体に存在する.ただそう考えてください」
「どうしてって訊いたのは,何が楽しくてそんなことをしてるのかってこと.仮面ライダーの真似とか,小さな子が遊ぶのはまだわかるけど,大人になっても,三国志だとか,戦国武将だとか,どうしていつまでも子供でいられれるの?」
スライド5:「スライド5枚目を御覧ください.ご指摘の通り,幼稚園・小学校時代の仮面ライダーごっこと,普段の職場での仕事を同列に捉えているのが男性の特徴です」
「ええーっ,シンジランナーイ」
もちろん,女性には信じられないでしょう.これは幼稚園時代に仮面ライダーごっこに興じた人間でないと決して理解できない面白さです.困難な場面であればあるほど,自分をヒーローに見立ててモチベーションを維持し,高めていく.それが男の子です.
たくさんのヒーローのいろいろな活躍場面を頭の中に焼き付けて,仕事場での様々な困難の場面に際して,「あ,ここは三方原で惨敗した家康みたいな立場だから,とにかく逃げまくろう」とか,「薬剤性パーキンソンを外来初診で見抜いた時のあの瞬間は,外角低めをライトスタンドに放り込んだって気分かな」ってしょっちゅうそんなことばかり考えている,それが男というものです.どうです,不可解極まりない生き物でしょう.
何を隠そうこの私も,長崎大学病院内の郵便局でお金を下ろす時は,決まって,「創薬科学教授とはあくまで仮の姿,あの部屋に一歩入ればマーク・グリーンに変身しちゃう僕って素敵」とにたにたしながら救急外来の前を通ることにしていますし,学会での講演の時は,決まって,ウィンブルドンのセンターコートでの決勝に臨むロジャーフェデラーに自分を見立てます.
スライド6:野球,サッカー,戦国武将,三国志・・・全部,自分が生息するファンタジーの世界の道具立てに必要なものなのです.ファンタジーだから,現実の自分とかけ離れていた方が好都合なのです.
現実なんかこれっぽっちも見ちゃいない.現実が見えていないから,お金とか,肩書きとか,権威,権力,勲章といったファンタジーの世界でしか役立たないものに男は拘るのです.そうやってゲーム三昧で一生を終わる.それが男という生き物なのです.
なぜ女は婚活するのか?
女性は「男は奇妙な生き物」と思っています.発達障害があるのに、「自分は損」と思わないどころか、逆に「偉大なる俺様」妄想が生じる。これを奇妙な生き物と言わずしてなんと言いましょう。女性にしばしば強く見られる自己評価の低さ,自己攻撃性は,「偉大なる俺様」妄想の対極にあります.
男は男であることを損だと思わないのに,女は女であることを損だと思う。女が損だと思うのは肩書きや年収といった代用エンドポイントへの不満もある程度の比率を占めるかもしれませんが,肩書きや年収でたとえ男と肩を並べても,女は損と思う中核部分は残ります.それが。療育担当業務です.職場で,そして結婚すれば家庭で,二重の苦役が待っている.なのにどうして婚活?と既婚者の方は疑問に思うわけです.
簡単です.婚活は,就職活動同様,株式会社リクルートの営業活動の成功事例だからです.
リクルートは,就職活動同様,婚活も「応援」することによって,「就職情報ジャンキー」同様,「結婚情報ジャンキー」というマーケットを創製しているのです.
ところが結婚もキャリアと同じく,人の決めることです.もう少しかみ砕いて言うと,全て巡り合わせで決まります.全く予想できない,準備できない,自分ではどうにもならないことで決まります.
だって,そうでなければ,自分の住まいに赤の他人の男性(あるいは冒頭の「奇妙な生き物」という表現を使いましょうか?)を招き入れ(毎日頼みもしないのに帰ってくるという表現を好む方もいらっしゃるでしょうが),生活の面倒を見て,療育まで担当する,そんな芸当,できるわけないじゃないですか.
結婚は召集令状みたいなものです。神様が療育担当を割り当ててくるのです.割り当てはいつ来るかわかりません.神様が割り当ててくるという点,いつ何時来るかわからないという点では死と同様ですが,死と違って誰にでも降ってくるというわけではありません.割り当てが来ない人もいます.
いつ来るのかわからないばかりでなく,自分に来るのかどうかもわからない.そして,結婚した場合と結婚しない場合,さらには離婚した場合としない場合,どちらが幸せなのか,全くわからない.美しいでしょ?えっ?どこが美しいのかって?まだ,お話していませんでしたっけ?
↓
「わからない」の美学
下記はある研究員の方からのお手紙から。
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いつも、発達障害通信、送っていただいてありがとうございます。
毎回、とても興味深く拝読させていただいてます。
先日、ある男性に発達障害のことを話した時に、
「発達障害者の定義は?」と聞かれました。
私も、いろいろ言語化して説明したのですが、あまりうまく伝えられませんでした。
発達障害の定義、どう説明したらうまく伝わるでしょうか?
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よくある場面です。この場面での目標設定は、発達障害の定義をうまく言語化して、相手に納得してもらうことではありません。診断をつけることです。初診で療育を完遂しようなんて大それたことを考えてはいけません。
「発達障害者の定義は?」と問いかけるのが、発達障害者の特徴です。言語化したもの、構造化したものしか受け入れられないと告白しているわけですね。そして、少しでも言語化した定義を引き出せれば、「自分は違う。でもあいつなんかそうかもしれない」と、自分が当事者であることも、当事者研究も拒否する。だからこの一言だけで中等症以上(病識が全くなくて療育抵抗性)の発達障害と確定診断できるわけです。
男性に、発達障害の話を理解してもらうためには周到な準備、状況設定が必要です。通常は、ある一定の比率以上で女性がいる集団に対して、所長自らが物語る方式を取ります。その際には、フロアの女性の方々のご協力が是非とも必要です。そうして、初めて、フロアの男性諸君は、自分達は包囲されて、逃げ場がないと、観念し、自らの内なる発達障害という資源を生かすために、当事者研究に取り掛かるようになるのです。ただし、それでも、私の伝道も始まったばかりなので、当事者研究を継続し、成長路線を継続できる男性がどのくらいの割合なのか、不明です。二十代前半は半分以上反応してくれます。一方、三十代後半以降の男性は、ひどく抵抗する人が多いです。
No.1ホストを目指して
たまたま(どこがどうすると,こんな「たまたま」になるのかは別として)見つけました.本来は当研究所で開発すべきものだったのですが,まあ,ホストというのはrole
playing gameでは取り上げやすい題材で,医薬品よりも開発競争が厳しい世界ですから仕方ありません.でもシナリオはずいぶん幼いようで,当研究所のレベルには,はるかに及びません.
伝統的正統派ホストの養成は,発達障害療育のお手本です.私自身は,医者を辞めても,教授を解雇されても,どこのホストクラブでもやっていける自信があります.まあ,現場に出ると他を圧倒してしまうので,一歩下がって教育係をお願いしますと言われるかもしれませんが.
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The ホストしようぜDX ナイトキング
IT企業に就職したつもりが、なんとITとは「イケテルトレンド」の略。そんなことも知らずに契約書にサインをしてしまい、ホストクラブに就職してしまったキミは、ホストとして働かなくてはならなくなった…。しかしっ、男なら細かいことにこだわらず、ホストとしての道をいき、たくさんの女性をお店に誘って30日間での売上NO.1を目指すのだ!
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研究所としては,婚活シミュレーションや夫婦復縁シミュレーションを開発してみたいですねえ.誰ですか,円滑離縁シミュレーションも欲しいなんて,まだ未練がましくつぶやいている人は?
発達障害療育の代用エンドポイントは診断・重症度判定,療育の効率化と療育資源の有効活用(たとえば女性同士のネットワーク形成)です.これだけでも,療育者本人のストレス低減効果は明らかです.しかし,それとは別のところに,真のエンドポイントがあります.それが当事者研究者を育てることです.
そう言うと,やはり終身療育契約を結ばなくてはならないのかと,悲観的になる方がいらっしゃるかもしませんが,必ずしも,終身契約でなくても,特に標的集団を適切に絞り込めば20代の男性は,当事者研究ができる可能性が高いわけですし,また全ての療育者が必ず真のエンドポイントを常に目指さなければならないということでもありません.
発達障害当事者研究は,男性が自己を外在化することです.一番外在化しにくい存在である自己を外在化できるようになると:
○より外在しやすい他人や組織や社会現象に対するreviewerの質が格段に向上する
○自分一人でbrain stormingができるようになる→思考・行動の効率化
○人生のストレスが低下する
だから発達障害者自身にとっても,それはそれはお得な研究なのです.
人望という装い
教授になりたい。そのぐらいの野望があれば、使える限りの合法的な手段を使って、その可能性を高めようとするのが「普通」だ。その手段のセットの中には、「普通」は「人望」が入っているのだが、全く入っていない人が、最近、とくに自分が教授になったからだろうか、やたらと目に付くようになった。一体これはどういうことなのだろうか?
人望は装いと同じように、普段の生活の中で工夫する楽しみがある。人からどう見られるか、どう思われるかを意識して自分が成長していける楽しみがある。その楽しみを知ろうとしない人がいるなんて。どう見ても人望のない人が人望が欲しいと思わないのは、すでに自分には人望があると思い込んでいるからだろう。またもや裸の王様状態というわけだ。
「あなたには愛想が尽きた」。この台詞は現実世界では発生しない。愛想が尽きた相手には、愛想が尽きたと言っても無駄だから。気づいたときは周りはサイレントクレーマーで一杯というわけだ。
普通は、人が動いてくれない・協力してくれないと如何に自分が窮地に立たされるかと思い知った時に、人望の必要性を痛感する。ただし、それを「苦労」と表現する時、留意しなければならないのは、その苦労の原因がどこにあるのかという考察が正しく行われるかどうかだ。
たとえ奥さんに逃げられて苦労をしたつもりになっても、自分の苦労の原因は自分にあること、逃げた奥さんは自分以上に大変な苦労をしていたことを学習できなければ、今後、何百回同じ苦労したところで、一生人望は身に付けられないだろう。
寛大な女性が結婚をするのか、結婚すると寛大になるのか(あるいは諦めるのか)、介入試験ができないのだから、永遠にわからない。でもそんなことはどうでもいい。自分の奥さんが、自分をここまで育ててくれた最大の功労者だってことがわかるかどうか。それが問題だ。ただし、それが「わかる」のも白黒のデジタルではない。例によって年単位の時間軸、日常生活の様々な側面の軸、理解度の深さの軸、様々な軸に沿って理解の階層が存在する、グレーな世界だ。だから、今日も夫が悔い改めないからといって、決して絶望する必要はない。
ストーカーとの同居
発達障害者が抱える代表的なコミュニケーション障害の一つに、「陰性感情が伝わらない」問題があります。職場で悩んでいる(あるいは悩む段階は疾うに通り過ぎた)研究員も多いでしょうが、やはり夫婦となると、その根の深さは職場の比ではありません。
「ストーカー」と言うと、何か特別な病的人格者のように聞こえてしまいますが、こちらが持っている陰性感情を理解しようとせずにつきまとい、酷い嫌がらせを繰り返す存在(というか存在そのものが嫌がらせ以外の何物でもない)のことです。世の中には、夫という名のストーカーと同居して苦しんでいる女性が普遍的に存在することがわかります。
こういう問題に触れると、自分の傷に触れたくがない故に、無意識のうちに当事者意識から遠ざかろうとする結果、夫が悪いだの、そんな男と一緒になった妻が悪いだの、他人事の評論家になる人が多いのですが、無駄な議論です。まともな女性は、ストーカーとの同居問題も、当事者意識を以て、自分の問題として捉えながらも、外在化・客観視するものです。
「大切なものほど、目の前にある。ただそれにあなたが気づいていないだけ」
→星の王子さまの台詞 と言いたいところですが、実は池田正行 作です(^o^)/。
ちなみに、星の王子さまが言ったのは、「大切な物は目に見えない」 L'essentiel
est invisible pour les yeux.
この場合の「あなた」は、かなり普遍的な存在であり、冒頭の文章を読んで、「なるほど」と思う方は多いはずです。研究員の方々もみなさん納得してくださるでしょう。なぜ「なるほど」と思うのか?そこには、共感が生じるからです。身に覚えがたくさんあるのです。
しかし、次の類似文章における「あなた」は、非常に奇妙な存在です。
「素敵な女性ほど、目の前にいる。ただそれにあなたが気づいていないだけ」
この文章を読んで、この「あなた」に共感を覚える男性はいない。研究員の方々はそう直感します。その理由は以下の通りです。
○素敵な女性を識別できるごく少数の男性には上記の文章は全く関係がない。
○素敵な女性を識別できない大多数の男性は、自分の識別不能状態を自覚できない。
この直感の前提として、「この世の中には素敵な女性がたくさんいる」という、誰もが認める事実があります。いや、ちょっと待ってください。「誰もが」ではありません。世の中の半分は、「この世の中には素敵な女性がたくさんいる」事実を決して認めようとはしないのです。
橋本治が「あなたの苦手な彼女について」で明言しているように、ほとんどの男性は、女性を、恋愛対象になるか、そうでないかで分別します。彼らにとっては、恋愛対象にならない女性は、生物学的に女性ではあっても、「女」ではありません。もちろん、恋愛対象になる女性の数は、通常は一桁前半です。ほとんどの男にとって、世の中にはほんの一握りの「女」しかいないわけです。彼らにとって、「この世の中には素敵な女性がたくさんいる」という事実は、冥王星の彼方にあります。一生かけても決して気付くことはありません。この認知障害が、発達障害の本質です。
では次の文章はどうでしょうか? と問いかける必要はないでしょう。研究員の方々を含めて、素敵な男性を探索した経験のある女性は、言下に否定するだけでしょうから。
「素敵な男性ほど、目の前にいる。ただそれにあなたが気づいていないだけ」
そうです。素敵な男性が、目の前どころか、地球上のどこにいるのか皆目見当がつかないのです。結婚とは、この見解を確立する作業に他なりません。(^o^)/
なんで騙されちゃったのかなあ。あいつがそんなに巧妙なアプローチできるわけないのに、どうして結婚しちゃったのかなあ。自分のことなのに、今でも納得が行かない。そう思っていますね?
「素敵でありたい」 そう思っているあなたに、「あなたは素敵な人です。他の男はいざ知らず、私はそれがわかる男です」
そう言いながら彼は近づいてきました。実に素朴なアプローチでした。小細工とか巧妙さなんかは一切なかった。一体あれは何だったんだろう。そう思っていますね?
素敵な男性ならば、素敵な女性の判別能力を持っているはずです。素敵な女性の判別能力があれば、この世の中には素敵な女性がたくさんいることに気付くはずです。そう気付けば、「君だけを愛している」なんて言えないはずです。だから、「君が一番素敵だ。君だけを愛している」なんて本気で言ってくる男は、大変な馬鹿正直者ではありますが、女性を適切に評価できる素敵な男性でないのです。
そうです。「素敵な男性との結婚」は「良心的な詐欺師」と同じく、現実世界には存在しないものです。結婚生活は、必然的に「女性の魅力など金輪際理解できない馬鹿正直な発達障害者と同居を開始した後になってはじめて、彼が一刻も早く視界から消失するようにひたすら願い続ける毎日」にしかなり得ないのです。
誤解しないでいただきたいのですが、既婚者を敗北者として糾弾しているわけではありません。勝ち負けではなく、結婚とは必然的にそういう仕組みになっていることを説明しただけです。いずれにせよ、既婚未婚に関わらず、素敵な男性なんか絵に描いた餅だ と、ありきたり結論を下しても、そこから得るものは失望だけです。では、どう考えるか?
素敵な男性。それもまた、「存在するとは別の仕方で」(エマニュエル・レヴィナス)なのでしょうか。もしそうだとしたら、「別の仕方」とはどういう「仕方」なのでしょうか?
浜の真砂は尽きるとも、世に研究の種は尽きまじ。
幻の認定委員会
結婚生活は、必然的に「女性の魅力など金輪際理解できない馬鹿正直な発達障害者と同居を開始した後になってはじめて、彼が一刻も早く視界から消失するようにひたすら願い続ける毎日」にしかなり得ないのです。(前回まで)
では、既婚者は全員不幸なのでしょうか?全ての男女の結びつきは数年以内に必ず不幸になるのでしょうか?そもそも、不幸の判断基準は何でしょうか?全ての男女の結びつきは数年以内に必ず不幸になる?そんな無限大に拡大した、なんでもあり、大安売りの判断基準は、少なくとも臨床試験では認められません。
そもそも不幸とは何でしょうか?名詞としての不幸がどこかに存在するのでしょうか?存在するとしたら、不幸の認定作業は、どんな認定基準で、どの委員会で行われているのでしょうか?そんな委員会をでっち上げて、基準もなしに、でたらめに認定されたものに怯える。それが不幸の本態です。
「愛が失われた」という表現は誤りです。愛は名詞として存在しません。またもや、「存在するとは別の仕方で」、なのです。実は、「愛」という名詞は、この世に存在しません。「愛する」という動詞しかありません。(「7つの習慣
P100」)。
愛という「物」が山のあなたの空遠くにあり、それをひたすら追い求めたり、あるいは自分には縁の無いものとあきらめたりしていては、「愛する」という動詞に気づけません。「私が愛する」それが全てです。主体性・当事者意識によって、はじめて人を愛することができるのです。
それと全く同様に、「幸せ」は名詞として存在しません。「幸せだと感じる」という動詞しかありません。主体性・当事者意識によって、幸せだと感じることができます。幻の幸せ認定委員会に審判を仰いでいる限り、幸せになれません。そもそも、あなた以外の誰があなたの幸せを決めることができるのでしょうか?あなたの尊厳の根本を売り渡して、幸せになれるはずがありません。
それと全く同様に「不幸」は名詞として存在しません。「不幸だと感じる」という動詞しかありません。主体性・当事者意識によって、不幸だと感じる気持ちを減弱させ、消失させることさえできるのです。幻の不幸認定委員会なんか糞喰らえです。
幻の幸せ認定委員会と幻の不幸認定委員会は一方通行の二院制を敷いています。幸せ認定委員会で先議、否決された案件は、全て自動的に不幸認定委員会に回されます。そこでは形ばかりの認定作業すらなく、アウシュビッツの住人がガス室に送られる確率よりも高い確率で不幸の認定を受けます。
そんな妄想に餌をやってはなりません。つけあがらせてはなりません。幸せだと感じるのは、あなた自身です。他の誰も、何物も、あなたが幸だせと感じる気持ちには影響できないのです。「幸せの認定作業をしてあげましょう」という親切面した妄想は次から次へと(時には、リクルート社の雑誌・サービスの仮面を被って)やってきます。そんな奴らは全て、「余計なお世話だ」と叩き返してやりましょう。
餌をやらなければ妄想は餓死します。幻の委員会も消えていきます。そうすれば、大切な自分の人生を、誰かに審判してもらおう、幸福の認定証をもらおうとする気持ちも消えていきます。結婚あるいは離婚という、山のあなたにある幸せという名詞を求めての、空しく、自己攻撃性に満ちた、苦しい放浪が終わります。
完成品と言える男性は地球上に存在しません。これは了承いただけますね?なのに、なぜ「完成品」になるべく近い男性を求めようとする女性が後を絶たないのでしょうか?それが、結婚のリスクを高めているのではありませんか?
医薬品を選択する際、医師は、その薬の有効性はある程度以上は、企業の治験と規制当局の承認審査によって担保されているものと考え、安全性・リスクの方に重点を置いて処方を考えます。患者も「先生、ところでこの薬の副作用はどうなんでしょうか?」と尋ねることはあっても、「この薬は効くんでしょうか?」と質問することはありません。
なのに、なぜ、医薬品よりも、はるかに未知の要素が多い人間、それも最悪の場合には、一生、同じ屋根の下に暮らして、身の回りの世話までしてやらくちゃならない(!)相手を考慮する際に、その相手の問題点よりも長所の方を優先的に考慮するのでしょうか?
リスク・ベネフィットバランスという観点から男性を考え、その男性が抱えている問題点を把握し、リストアップし、優先順位を決定し、最大の問題点に対して、十年単位で自分は辛抱し、対処できるか?そう考えるべきではないのでしょうか?
「私は、そんな神様みたいなこと、できないわ。でも結婚しなくちゃと思ってる」
「確かにその通りだと思うけど、そんなことしてたら、結婚なんかできない」
と研究員「以外」の方々はおっしゃるでしょう。まさに手段の目的化です。幸せになることが真のエンドポイントではなく、結婚そのものがエンドポイントなっているから、そういう発言が出てくる。語るに落ちるとはこのことです。
そんなことはわかっている、幸運な未婚者達のことなんか放っておいて、自分の方を何とかしてくれと、半分の研究員の方々はおっしゃるでしょう。すでに、問題のある品を抱え込んでしまった場合はどうするか?お悩みですか?大丈夫です!大切なことは、他人に正解を求めないことです。困難な問題ほど、正解は自分が持っているものです。
すでにパートナーがいらっしゃる方は、自分のやっていること、自分のやってきたことを、もう一度思い出してください。あなたは、たまたま、若気の至りではあったにせよ、年余にわたって、あのやっかいな症例を管理してきたのです。そんなMission
Impossibleを成し遂げてきたのは、そして、今日も、そしておそらく明日も、そのミッションを継続できるのは、地球上であなただけです。
あなた以外の誰が、何がわかるというのでしょうか?友達から、「素敵な旦那さんね」と言われたら、「あなたには何もわからないでしょうよ」と思うでしょう。そうです、誰が何と言おうと、あの野良犬の放し飼いの仕方は、あなたが一番よく知っているのです。あの野良犬を引き受けるノウハウ・スキルはあなたの頭の中にしかないのです。
人を育てるのは、男女を問わず、成熟した人間の性であり、使命です。結婚とは、発達障害者の療育に他ならないことは、みなさん百も御承知です。
スカーレット・オハラは、レット・バトラーを失い、タラに帰ることにしましたが、夫という名の荒野が四六時中居座っている環境は、その荒野を耕すには極めて適した環境です。そうです、あなたは、夫という名の荒野に呼ばわる者、ペテロ・パウロも顔負けの使徒なのです。
もしも、毎日の家事が強制労働で、自分の家庭がアウシュビッツみたいに思えたとしたら、ビクター・フランクル(*)が言うように、それは、自分の人生を引き受ける絶好の機会です。
哲学は、自分を幸せにするための道具ですが、その道具を磨くのは、自分の毎日、自分の日常生活以外にありません。家庭が修羅場であればあるほど、あなたの哲学にもどんどん磨きがかかるのです。
「終局において、人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである。一言で言えば、すべての人は人生に問われているのだ。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない」
(*アウシュビッツに収容されていた精神科医。「夜と霧」の著者。)
所長(発達障害戦略研究所の所属は任意です。当研究所は、強制収容所ではありません。念のため)
再び愛の動詞性について
ご覧になっていない方には申し訳ありませんが、引き続き、「風と共に去りぬ」
について。この映画は、愛、結婚、家庭、子供について、深く考えさせてくれます。パートナーの有無に関係なく、是非ともご覧になることをお勧めします。なお、発達障害者には、この映画の面白さは決して理解できませんので、研究員各位におかれましては、自分が面白かったからといって、パートナーに勧めるような無謀な真似は、よもやなさいますまい。
スカーレットが思いを寄せ続けていたアシュレーは典型的な優等生です。アシュレーと結婚するメラニーも同様に典型的な優等生で、お似合いの夫婦です。「彼女には僕が必要なんだ」と言語化しながら、自分自身の妻への依存には気づけない夫と、その依存を自分への愛と密接に結びつけて夫を愛する妻。そんな二人によって、戦争の惨禍を乗り越えて築かれる幸せな家庭。こうやって表現するとコメディでしょ。そうなんです。言語化の目的は悲劇の真っ只中に喜劇を見出すことです。自分の結婚生活を材料に、自分と夫を吉本の芸人に見立てることができるのです。所長としての私の重要な職務は、そのお手伝いをすることです。
そんな優等生夫婦の間に芽生え、維持されるのは、結婚・夫婦関係、子供、家庭といった名詞に依存する愛です。その愛もまた名詞です。一般的な図式ですが、名詞に依存したものは、依存先が崩壊すると同時に崩壊します。それだけ脆いのです。人はその脆さを知っているから、「時」という冷酷な審判者に抗って必死で名詞を維持しようとします。それが悲劇、そして喜劇を生みます。
一方、スカーレットは、愛するという動詞に徹底的にこだわります。彼女にとっては、結婚、夫、家庭、子供、それらの名詞は、全て生きるための道具、あるいは(自分が)愛するという動詞に勝手にくっついてくる「おまけ」です。だから愛してもいない相手と結婚できるし、その相手が死んでも平気なのです。決して詐欺師でも野心家でもない。冷酷非情な女でもない。(自分が)愛するという動詞に徹底的にこだわるからです。
レット・バトラーはアシュレーとは対照的に、女性に依存しない、珍しい男性です。自立した女性を愛する自立した男性として描かれています。少なくとも、女性を愛する点に関しては、彼に発達障害の影は感じられません。この点について、以下、もう少しわかりやすく説明しましょう。
特に30代後半以降の日本人男性の多くは、「あの女には俺がいないとだめなんだ」と思い込める女性を恋愛→結婚対象にします。自分に依存する女性に依存して自分の存在意義を見出す、伝統的な発達障害者像です。多くの(?)女性は、多かれ少なかれ、そうやって依存してくる男性に対する脆弱性=療育の使命感を持っています。多くの男性はそこを衝いて恋愛→結婚対象にする女性を絞り込みます。
ですから、結婚するだけなら、誰でも、明日にでもできます。重症の発達障害者に対して、「あなたがいないと駄目なの、私」って耳元で一言囁けばいいだけです。ただし、そのような結婚がどのようなアウトカムを生じるかは、研究員各位におかれましては、重々ご承知のはず。逆に結婚のリスクを回避するのも簡単です。発達障害者から適切な距離を置き、自分が自立した女性であることを隠さなければいいだけです。「そんな大切なことを、なぜもっと早く言語化してくれなかったのか」という声は受け入れません。そのような発言には当事者意識が決定的に欠如していますし、そもそも、いくら所長を名乗ってはいても、過去に戻ることはできませんので。(女性にとっての)離婚の重大な有害作用は、当事者意識を消し去ってしまう(結婚した自分の責任を意識下に押しやってしまう)ことと、過去に戻れるという妄想を生じさせることです。
未婚者が既婚者を羨ましく思うのは、療育者として崇高な使命を果たしているように見えるからですが、現実は上述の通り、吉本のシナリオに過ぎません。
実はアシュレーも多くの30代後半以降の日本人男性と同様の理由でメラニーと結婚しました。彼は以下のように考えました(実際には、彼は言語化はしていませんが、私の仮説に大きな誤りがないことは、映画を御覧頂ければわかることです)。
「スカーレットは、別に自分がいなくたって、誰と結婚しても、離婚しても、あるいはずっと独身でも、生きていけるじゃん。そんな女と俺が結婚するなんて、意味無いじゃん。意味の無い結婚で幸せになれると考えるほど、俺は馬鹿じゃない。それより、自分を頼ってくれるメラニーと結婚する方がずっと幸せになれる確率が高い。」
実に合理的な判断です。やっぱり優等生なんです。アシュレー君。
一方、レットは、自分を必要とする女性には全く惹かれません。あくまで自分にこだわり、相手の男性に依存せずに、自分が愛するという動詞に徹底的にこだわるスカーレットに惹かれる。スカーレットは自分(レット)に依存しない。レットはそれを知っているから、アトランタからタラへの逃避行の途中で、スカーレットに愛を告白しながらも、スカーレット一行を放り出して、まるで近所のパチンコ屋にに行くみたいな気軽なノリで戦場に行ってしまう。あれは、この映画の中で最も示唆的な場面です。「この女には俺がいないと駄目なんだ」なんて勝手に思い込んでいれば、スカーレット一行をタラまで無事に届けるまでは死ぬに死ねないと思ってスカーレットを守り続けようとするでしょう。アシュレーならばきっとそうしていたでしょう。しかしレットは違う。自立した女性に惹かれる自立した男性なのです。アトランタからここまでの逃避行ゲームは面白かったけど、ここから先、君ならやっていけるだろ。そんな君に惚れてるんだよ、俺は趣味の戦争ごっこやってくるから、じゃあ、達者でな
ってわけです。
戦後、レットは五体満足で無事に戻ってきて、スカーレットはレットと結婚して、可愛い女の子も生まれて、魅力的なおてんば娘に成長します。それでも、スカーレットは、愛するという動詞にこだわるあまり、自分が愛する対象はアシュレーだとの思い込みに疑問を持とうとしない。スカーレットの愛は名詞に依存しないから、レットとの家庭にも、娘にも依存しない。だから娘が乗馬の事故で死んでも、スカーレットは愛し続ける。ただ、愛する対象がアシュレーではなく、レットである誤認に気づけない。
レットは結婚しても、子供ができても、その子供が死んでも、自分への愛に気づかないスカーレットに業を煮やして出て行く。喪失は、存在意義に気づかせる最強の手段です。そうして初めて、スカーレットはレットを愛していることにようやく気づく。結婚しても、子供ができても、気づかなかった。そして手塩にかけたその子供が死んでも、なおも自分は愛している。ただし、動詞にこだわるあまり、愛する対象を誤認していることに気づけない。レットが去っていって初めて、自分が、名詞に依存せず、動詞として人を愛していることに気づく。
タラに帰ることに希望を見出すスカーレットの表情がラストシーンなので、スカーレットがタラに帰ってからレットが戻ってくるかどうか、気になるところですが、誰にもわかりません。しかし、タラに帰ってからレットが戻ってくるかどうかなんてことは実はどうでもいいことなのです。
スカーレットのレットへの愛はレットの肉体にさえも依存しないからです。だってレットが視界から消えてから、自分がレットを愛していることに気づいたのですからね。レットが目の前に現れようと失踪したままであろうと、自分がレットを愛していることはスカーレットにとって揺るぎがありませんから、それでスカーレットは幸せなのです。
スカーレットにとって、タラは自己の代名詞です。タラに帰るということは自分に帰ることです。自分にこだわる。自分が愛するという動詞にこだわる。徹底した当事者意識。スカーレットの魅力はそこにあります。
”Change”という言葉が流行ったのが一年前です。御本人はノーベル平和賞までもらいました。何の業績もなく、口先だけで賞をさらえるのですから、発達障害療育のノウハウ普及の業績をうまくアピールできれば、私もストックホルムへの切符を手に入れることができるでしょう。
「改革」は、古代ローマの時代から使い古されてきた、実に陳腐なスローガンです。古今東西、「改革」を叫ばない政治家はいませんでした。政治家だけではありません。「こんな世の中になってしまった」と馬鹿の一つ覚えを繰り返すオヤジ・ジジイ達が、その次に口にする言葉も「改革」です。冗談も休み休み言いやがれ、このタコ! てめえらが、「こんな世の中」を作ってきたんだろうが。責任を取って、とっとと死んじまえ!
「改革」は現状の否定です。「改革」を叫ぶ人に限って、現状に関わってきた責任をすっかり忘れている。発達障害者特有の重篤な記銘力障害の威力がここでも発揮されているのです。
では、記銘力障害のない素敵な女性は、陳腐な「改革」のスローガンと無縁でいられるか?残念ながら、そうではありません。
結婚、離婚は、ともに自分の人生に対する劇的な改革です。全面的ではないにせよ、これまでの自分と現状に対する否定なしには、結婚できない&離婚できない。
○自分に対して誠実に生きてきた自分のどの側面を、どの程度否定するのですか?
○そして、結婚あるいは離婚によって、そこが修正可能なのですか?逆に悪化する可能性は排除できますか?
○さらに(ここが実は最も大切なのですが)、結婚あるいは離婚が、自分に対して誠実に生きてきた自分を全面否定することにならないと断言できますか?
今まで皆さん、自分に対して誠実に生きてきた。これまでの自分と現状に対する否定の作業・・・そんなの簡単にできるわけがない。そんなの簡単にしちゃいけない。
まともな男性が女性に最大の魅力を感じる点は、”自分を引き受ける誠実さ”です。素敵な女性はみんなこの誠実さを持っている。そんなこと、人類始まって以来、どんな男性も言っていませんが、発達障害ゆえに、こんな当たり前のことに気づけないだけです。
一方、発達障害戦略研究所の研究員たるもの、素敵な女性の魅力が”自分を引き受ける誠実さ”にあることは、私がこうやって言語化するよりはるか以前から、わかっていた。当然のことだからこそ、ずっと前からわかっていたことだからこそ、それを指摘されて、呆然としたり、涙を流したり、ニヤリとしたり、とにかく、納得するのです。
研究員としての採用基準も、”自分を引き受ける誠実さ”です。自分がこれまで所有しながらも意識していなかった”自分を引き受ける誠実さ”に気づき、育てていくことは、研究員である最大の特典であり責務です。
発達障害者と違って、皆さんは、大切なことは忘れられないはずです。結婚しようがしまいが、そんなことは本質的な問題ではありません。未婚・既婚、どちらも「訳あって」です。その「訳」を大切にしてください。大切な自分が誠実に紡いできた物語を大切にしてください。
「それで順調」は、べてるの家のキャッチコピーの一つです。
まだ結婚しない vs まだ結婚できない
まだ離婚しない vs まだ離婚できない
どこが違うのか?それは,自分への説明責任,主体性,当事者意識においてです.
まだ結婚できない,まだ離婚できない
と思うとき,山のあなたの空遠く,決して自分の手の届かないところに,たった一つの正解を勝手に設定して,勝手に自分で自分を苦しめています.
それに対して,まだ結婚しない,まだ離婚しないあなたはどうでしょう.
自分自身が持っている,結婚という切り札,あるいは離婚という切り札の使用を留保している.切り札を留保する私も,切り札を切る私も,どちらの私も,私が引き受ける.そう高らかに宣言しています.
どちらが美しいか?どちらが幸せか?研究員の皆様におかれましては,問われるまでもないことでありましょう.
全ての結婚は行きがかりです.ただ,結婚した後に初めてそれに気づくのです.たとえ気づいてもそれを明確に言語化したくない.たとえ言語化しても口外できない.かくして,全ての結婚は行きがかりであるという事実は,あくまでhidden
agendaに留まり,行きがかりで結婚してはならないというドグマは今後も地球上から一掃できないでしょう.でも,別に地球上から一掃できなくても,研究員の皆さんの人生が,そのドグマに影響されなければいいのです.勝手にドグマを蔓延させておきましょう.
そもそも,婚姻届という,何の契約条件も書いていない白紙委任の契約書一枚で,重度の発達障害者の療育を一生引き受けるために同居するという暴挙が,周到な準備と計画の元で遂行できるわけがないのです.
全ての結婚は行きがかりであると認識できれば,既婚者は,自分の結婚が特別に間違った判断ではなかったという,bottom
line(いい訳語がないのですが,ここでは一応最低保障とでも訳しておきます.)が設定できます.bottom
lineを設定する利点は,その上に自分が自分の意思で自分の幸せのために人生を構築できる余地があるということです.離婚の最大のリスクは,このbottom
lineを失うことです.
全ての結婚は行きがかりであると認識できれば,未婚者は,いつ何時,自分も,結婚という暴挙に出るかもしれない
と謙虚になることができます.そして万が一暴挙に出た後でも,その暴挙による被害を最小限に食い止めるために,来るべき嵐の日々に備えて,自分の人生に集中しよう,自分が幸せになるための資源を豊かにしていこう思うのです.そしてその資源は,実際に嵐が来ようと来まいと,自分自身を幸せにしてくれるのです.
絶望するためには確信に満ちた納得が必要である。何事につけても、不安に襲われる我々が、どんなことであれ、確信に満ちた納得を得るのは、容易ではない。
さて、あなたは、人類の半分に対して絶望するために、どのような対価を払って納得する用意があるだろうか?自分の人生を代償にする用意があるだろうか?この問いに対して、多くの女性が、否と答えられないのは一体何故なのだろうか?
おそらく、絶望したくないのだろう。人類の半分に対して絶望するなんて、そんなことできない。私の選んだ、この人ならば、そんな絶望の危機から私を救ってくれる。そう自分の判断を信じて、自分の人生を気前よく前払いしてしまう。その対価として受け取る物は何か?自分の親を見ればわかることだ。親はそのためにいる。
さらに、この人と結婚したら、結婚生活はどんなものになるのか?想像力を働かせれば、すぐにわかることだ。男にはその想像力がない。しかし、女にはある。なのに、せっかくの想像力を信用しなくなる魔の時期が女性にもあるようだ。自分の勘が信用できなくなった女ほど惨めなものはないのに。
男に絶望したくない女が結婚して、結果的に男に絶望する。結婚せずに男に絶望できた女は結婚する必要がない。あなたは、この簡単な事実を指摘されて、愕然とするだろうか、発見の喜びを感じるだろうか、それとも、何をいまさらと鼻でせせら笑うだろうか。
いや、あなたが、今まで、この簡単な事実を認識していたかどうかなんて、過去のことは、実はどうでもいいことだ。あなたが、あなた自身の人生を代償として、男に絶望する覚悟があるか?あるいは、自分に絶望して離婚する覚悟があるか?それだけが問題だ。
女は男に絶望するために結婚する
妻にとっての結婚:夫に絶望し、男に絶望する
妻にとっての離婚:自分に絶望する
だから:
結婚して,夫に絶望していなければ,幸せだから,離婚なんて思いも及ばない.
結婚して,夫に絶望しても,男に絶望していなければ,結婚による学習がまだまだ足りないわけだから,離婚してはならない.
結婚して,夫に絶望して,男にも絶望すれば,結婚の真理を会得できたわけだから,そんな自分に絶望する必要はない.だから離婚する必要はない.
参考文献(にはならないかもしれないが、それなりに面白い本)
向谷地 生良 安心して絶望できる人生 日本放送出版協会 777円
結婚はいろいろな側面から規定されます。先日、女性は男性に絶望するために結婚すると説明しました。もちろん、他の側面から規定することもできます。
たとえば結婚詐欺。なんて奇妙な言葉でしょう。全ての結婚は詐欺なのに。人生の大切な契約であるはずの結婚に、契約書がないのはなぜでしょう?そんなものがあったら、契約違反だらけになるからです。そんなつもりじゃなかった。こんなはずじゃなかった。結婚生活はその堆積です。
詐欺という言葉から信頼関係という言葉の連想はごく自然です。
物理的な距離が近いほど頑健な信頼関係が築けるとの仮説を証明しようと(あるいは信仰を貫こうと)して失敗することによって、物理的な距離に依存しない信頼関係を再構築(*)しようと年余にわたって苦悩する過程。結婚はそう規定することもできます。研究員の中には、その真っ只中いらっしゃる方もいます。
一方、物理的な距離に依存する信頼関係と依存しない信頼関係と、どちらが頑健か?どちらが人を幸福にするか?結婚せずとも、その答えが自明である女性は(他の女性はいざ知らず)、敢えて結婚に挑戦しません。研究員の中には、そう考えている方もいらっしゃいます。
そういう人にとっても、幸せになるためには、物理的な距離に依存しない信頼関係が必要です。となると、結婚というリスクの高い伝統的スキームを用いずに、物理的な距離に依存しない信頼関係を構築しようとするわけですが、それはそれで、結婚によって幸せになると同じぐらい困難なことのように見えてしまうものです。
「所長、今、”見えてしまうものです”っておっしゃいましたが、実際には困難ではないのですか?」
なかなか鋭いツッコミが出てきますねえ。さすが、我が研究員。
「困難か容易か」という視点に拘ることありません。「面白いか面倒か」という視点でもいいのです。「困難か容易か」という視点は評論家的でしばしば役立たずです。それに対して「面白いか面倒か」という視点は当事者意識に満ちてやる気が出てくる視点です。
「困難か容易か」という視点なんて、仕事をやらないで済む理由を探し続けることを自分の仕事にしているオヤジやジジイ達の食卓に放置しておけばよろしい。彼らは、どんなに古くなって悪臭を放とうとも、「困難か容易か」という視点を喜んで食らい続けるでしょう。
結婚という過程を経ると経ないとに関わらず、物理的な距離に依存しない信頼関係を構築する作業は「面白い」のです。
*注:この「再構築」という言葉に違和感を方も大勢いるでしょう。あたかも、自分の意志で実現可能な響きがあるからです。醸成と言い換えれば気が済むでしょうか?いや、この「再構築」という言葉の代わりに、今の自分はどんな語句を入れるか?来年は?五年後、十年後は?それを考えることが、当事者意識を以て自分の人生に臨むあなたに相応しい結婚の形なのです。
自分の服装が他人にどんな印象を与えるかを考えなければ、どんなだらしない服装でも平気でいられる。そんな人に鏡は要らない。
リテラシーというと、あたかも他人を批判する感覚のように聞こえるかもしれないが、実はそうではない。リテラシーの本来の対象は、自分自身である。誰よりも自分が可愛い。大切な自分だから、常に自分を磨いておきたいと思う。当然リテラシーを発揮する最優先対象は自分になる。そこでリテラシーは鏡の役割をすることになる。(*) リテラシーを発揮する最優先対象である自分に対して使わなければ、リテラシーなんか要らない。リテラシーの低い人の行動がだらしないのは当然なのだ。
リテラシーを育ててくれるのは良質なreview。良質なreviewをくれる人はリテラシーを持っている人。リテラシーの大切さがわかっているから、リテラシーを育てるのが、良質なreviewだということもわかっている。
そうやって育てた大切なリテラシーだから、無駄使いしたくない。大切な自分のためだけに使いたい。もちろん、良質なreviewをくれる人には、reviewのお返しをするけど、リテラシーを持たない人のためになんかこれっぽっちもリテラシーを使いたくない。reviewなんかしてやるもんですか。
だから、同居人に対して強制的にリテラシーを発揮させられる(なのに相手は絶対に反応しない!)状態に追い込まれるようなschemeは、真っ平御免と思う女性がいたとしても、何ら不思議はない。
「リテラシーを持っている方は、何も同居なんかしなくたって、良質なreviewをくださいます。というより、適切な空間的・時間的・心理的な隔たりがあってはじめて良質なreviewが生成されるのです。この、良質なreviewが生成されるための適切な空間的・時間的・心理的な隔たりを、その都度微調整できるだけのリテラシーを持った方だけと、お付き合いして、そうでない人とは、御機嫌を損ねないぐらいに適当に流しておきますわ」
*自閉症児のひび割れた鏡 Nature Neuroscience 9 (1), Jan 2006
自閉症児は他者の気持ちを理解するのに必要とされるニューロンを含む脳領域の活動が低いことが、Nature
Neuroscience誌1月号の新しい研究で報告されている。こうしたニューロンは「ミラーニューロン」と呼ばれ、自閉症に見られる社会性欠陥のいくつかはこのニューロンの異常な活動が根底にあるのかもしれない。
自閉症は、他者と意思を伝達したり、環境からの合図に適切に応答したりする能力を損なう発達障害である。ミラーニューロンは誰かが行為を行っているのを観察するときも、自分で同じ動きをするときも活動するので、他者の気持ちへの理解力にはこのニューロン活動がかかわると示唆される。この理解力は社会的意思伝達にきわめて重要である。Mirella
Daprettoらは自閉症の子供たちが顔の表情を真似するときと、ただ顔の表情を見ているだけのときの脳の活動パターンを調べた。その結果、自閉症の子供たちは顔の表情を見ているときも真似ているときもミラーニューロンを含む脳領域(下前頭回弁蓋部)の活動が低かった。ミラーニューロンの活動度は社会的障害の度合いに相関し、障害が大きいほど活動は低下した。
不同意というカード
未婚・既婚というラベル付け・差別により、女性相互を分断し、リテラシーの相互育成を阻むのが、発達障害者側の陳腐な(しかし伝統的に威力のある)戦略に騙されてはなりません。
結婚にこそ女の幸せがある。そんなドグマの蔓延こそが、人類史上、発達障害者達が営々と築き上げてきた罠だったのです。ただし、そこには、明確な企図はありませんでした。何としても療育者を確保しないと、自分たちの存在が危うくなる。そういう危機感だけは持っているので、明確な企図なしに、発達障害者達が、ドグマを蔓延させることができるのです。
イエスは広汎性発達障害だったに違いありません。だってそうでなければ、ユダヤ教に対する宗教改革なんて、むちゃくちゃなことができるわけないのです。その他の連中だって似たり寄ったりです。ブッダもムハンマドも宗教改革者でした。
イエス、孔子、老荘、デカルト、カント、ショーペンハウエル、ヤスパース、ヘーゲル、マルクス、キルケゴール、ニーチェ、フーコー、ロラン・バルト、レヴィナス・・・思想家、宗教家、哲学者・・・そして十二使徒や孔子門下の72人に代表される彼らの弟子達、全て男性です。音声・文字言語を偉そうに振りかざしてドグマをまき散らす恥知らずの連中に、誰一人女性はいませんでした。思想、宗教、哲学・・・こういったものは全て広汎性発達障害者の妄想から生じたドグマの固まりに過ぎません。
でも、安心してください。別にドグマが地球上から一掃できなくても,研究員の皆さんの幸せには一切影響はありません。結婚は女性が幸せになるための唯一無二の手段である。あるいは最有力手段であるというドグマに対して、「不同意」という切り札を忘れなければ。
全ての幸福の源は家庭にあるという考えが妄想に過ぎないのと全く同じ意味で、全ての不幸の源が結婚にあるという考えも妄想に過ぎません。このことは繰り返しお話ししてきました。
有史以来、女の幸せは結婚にあるというドグマを発達障害者達が振りまいてきました。なぜなら自分たちが療育してもらわなければ、社会生活ができないからです。それはそれは切実な願いですし、これからも彼らは手を変え品を変え、そのドグマの延命を図るでしょう。
そのドグマに研究員のみなさんがどう対処していくかは、みなさん自身の問題です。どこかに万人共通の正解があるわけではありません。それぞれの歴史、置かれている環境、日々起こるイベントの数々、そのイベントの受け取り方、考え方、全て個々人で全く異なるのですから、万人共通の正解などありえないのです。私のできることは汎用性の高い道具を提示するだけです。この道具を、いつ、どこで、どうやって使うかは研究員のみなさん自身でなければわかりません。みなさん自身が回答を持っているのです。
人格障害系に学ぶ
全ての幸福の源は家庭にあるという考えが妄想に過ぎないのと全く同じ意味で、全ての不幸の源が結婚(あるいは未婚)にあるという考えも妄想に過ぎません。このことは繰り返しお話ししてきました。
有史以来、女の幸せは結婚にあるというドグマを発達障害者達が振りまいてきました。なぜなら自分たちが療育してもらわなければ、社会生活ができないからです。それはそれは彼らの切実な願いですから、これからも彼らは手を変え品を変え、そのドグマの延命を図るでしょう。
そのドグマに研究員のみなさんがどう対処していくかは、みなさん自身の問題です。どこかに万人共通の正解があるわけではありません。みなさん,それぞれの歴史、置かれている環境、日々起こるイベントの数々、そのイベントの受け取り方、考え方、全て個々人で全く異なるのですから、万人共通の正解などありえないのです。私のできることは汎用性の高い道具を提示するだけです。この道具を、いつ、どこで、どうやって使うかは研究員のみなさん自身でなければわかりません。みなさん自身が回答を持っているのです。
下記の道具は、一見すると未婚者しか使えないように見えますが、そうではありません。未婚・既婚というラベル付け・差別により、女性相互を分断し、リテラシーの相互育成を阻むのが、発達障害者側の陳腐な(しかし伝統的に威力のある)戦略です。騙されてはなりません。
境界型人格障害の女性は、しばしば「魔性の女」という称号を持っていますが、その背景・問題点と対策について「人格障害系を生きる技」として、本人が語ってくれた貴重な記録があります。未婚・既婚に関わらず,大変参考になるので、御紹介します。(向谷地
生良 (著), 浦河べてるの家 (著) 「安心して絶望できる人生」 より抜粋)
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魔性の女
見捨てられ不安をうまく訴える、あるいは相手の見捨てられ不安を刺激することで、母性的受容を求めるタイプの男の心のツボを刺激する。その結果、恋愛に事欠かなくなる。男は、ついつい「愛されている」「自分は必要とされている」と思いこむのだ。これが苦もなくできるようになると、めでたくも「魔性の女」という称号がいただける。
(中略)
私は、同性とのコミュニケーションを獲得・充実させることを心がけた。女性だけの共同住居で女の子だけで過ごすことを体験し、女性だからこそ語れる安心な空間がある、こんな世界があるということを生まれてはじめて知った。ここで受け入れられた体験が大きかった。女として人間としての自分に自信が持てたことで、男に必要とされなくても私は生きていける、生きていていいんだと思えて、恋愛依存、男をコントロールすることを手放す勇気を持てた。
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衝突依存症
衝突・葛藤から、行動を起こすための感情・動機付けが生まれることがあります。ゲーム・スポーツには多かれ少なかれ、そういう要素があります。ゲーム・スポーツは、真剣にやらないと面白くない。だから、むきになる、意地になる。そして周りが見えなくなり、ついには自分が転んだのも、落とし穴に入ったのもわからなくなります。
男性の中には、やたらと喧嘩っ早い人がいます。これが衝突依存症です。衝突からエネルギーを得たような錯覚を繰り返すことによって、衝突依存症になります。そうすると、引く、回避する・やり過ごす、隠れる、沈黙するといった技術の有効性が見えなくなります。もちろん衝突の潜在的リスクを事前に予想して、リスクを回避・低減する行動もできなくなります。傍から見れば、すでに傷ついてぼろぼろになっているのに、それに気づけずに、もっとぼろぼろになっていく。これが国家レベルで、最も極端な暴力の応酬として起こったもの戦争です。
みなさんの身の回りにも衝突依存症の発達障害者はたくさんいるでしょうが、一般に、どんな依存症でも、依存症による困り感がなければ、依存症によって苦しんでいなければ、どんなに介入しても無駄です。たとえ苦しんでいるように見えても、本人は少しも苦しいと思っていない場合も多々あります。政治家がその典型例です。
ですから、明らかに衝突依存症と思える人がいても、放置してください。あなたは腕利きの精神科医でも、神様でもないのですから・・そもそも、衝突依存症なんて病名は、世界中でここだけにしか存在しないのですから、あなたの頭の中にだけ留めて、衝突依存症患者からのとばっちりを受けないように、まず、一番大切な自分を守るために、この便利な病名を使うようにしてください。
包括的組み入れ基準のイカサマ
オヤジ週刊誌ばかりではなく、女性向けメディアにも氾濫する「恋する女」に対するポジティブなメッセージが鼻につくのはなぜでしょうか?(ただし、下記の解説からわかるように、この日経マリソルというのはオヤジ週刊誌の別働隊に過ぎないと思われます)
その裏には、「恋をしていない女性は一切魅力的に見えない」という、オヤジ・ジジイどもからの虚しい言いがかりが隠されているからです。一生、四六時中発情していろとでも言うのでしょうか?馬鹿馬鹿しい。
もちろん、恋することは結構です。問題は、「恋する女」の組み入れ基準が明らかにされていないことです。「恋する女」の組み入れ基準を明らかにしない→あたかも包括的な組み入れ基準であるかのように勘違いさせることによって、「恋をしていない女性」を全否定しているのです。実際に魅力的に見えるのは、そんな子供だましに惑わされない女性であるにもかかわらず。
距離と影響力
「シロガネーゼ」が「おひとり妻」となる理由 “西原理恵子”になれない、妻たちの自縄自縛
共感を覚える部分と違和感や反発を覚える部分,それらの構成比は各人によって違うでしょうが,研究員のみなさんには,共感と違和感と反発が入り交じった感情が多かれ少なかれ沸き起こります.ところが,男性である私には,そういう感情は湧きません.「なるほど,よく書けている」と感心して,このネタを発達障害療育通信に使おうとは思うわけですが.
女性による女性の生態描写であるこの記事は,読み手の女性に対して否応なしに距離を詰めてきて,読み手を巻き込みます.記事が,読み手に対して,容易に,感情という形で影響力を及ぼすわけです.一方,男性にとっては,自分から距離を詰めようとさえ思わなければ,記事から十分な距離を置いて,女性を理解するために非常に貴重な記事としてじっくり吟味することができます.記事はあくまで料理のネタとして扱われ,感情は呼び起こさず,発達障害療育通信執筆という行動に結びつきます.
以上より,下記のような論点が浮かび上がってきます.
1.同じ記事でも,影響力の内容とベクトルは読み手によって全く異なり,書き手はそれをコントロールできない.(ロラン・バルトの言うところの「作者の死」).
2.影響力の内容とベクトルは,実は読み手が自由自在にコントロールできるのだが,多くの場合,読み手はそれに気づいていない.
3.2の具体例として,上記のように,自分の性を客観視することによって(男女間のロールプレイ),同じ記事でも違った見方ができる.
我々が毎日見聞するメディアの記事や番組も,そこからの距離,自分への影響力の内容とベクトルはコントロール可能であるという観点を考慮すると,自動思考や感情に支配されずに,客観的・分析的に捉えることができます.
政治家はけしからん,役人はけしからん,マスコミはけしからんと叫び続けることだけにひたすら情熱を注ぎ,貴重な時間を浪費するオヤジ・ジジイ,そして薬害オンブズパーソン達は,実は,自分たちがけしからんと考える人々の発するメッセージに縛られ,思考停止に陥るという形で影響を受けているに過ぎないのです.
最初で最後の功績
「職員の胸中を慮った」との良質な皮肉の味が,もちろん君にはわからない.君を送り出す時に,なぜ,会場の2階講堂に入りきらないほどの職員が詰めかけたのかも,もちろん君はわからない.そして,「彼には,この拍手の意味は到底わかるまい」と,集まったみんなが安心しきっていたからこそ盛大な拍手が沸いたことも,もちろん君はわからない.そんな君の障害も,こういう時は人の役に立つものなんだね.
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Risfax【2010年9月24日】
長妻前厚労相 職員の「天敵」を自認、「いい緊張関係だった」
長妻昭前厚生労働相は22日、退庁前に最後の会見を開き、職員との関係について「いい緊張関係だったと思う」と振り返った。野党時代に長妻氏は厚労省に対し、ムダ遣いや天下りといった問題点を追及。「厚労省にとって天敵の位置付けだった。職員もいろいろな思いがあったのではないか」と職員の胸中を慮った。
自ら厚労省の天敵を自認した長妻氏だが、若手職員からは「おごりを感じる」とまで評されるまでに至った。しかし、これまでの職員への対応は「多少厳しすぎるところはあったが、(厚労省は)大きなお金を使うので、徹底的に(事業や組織を)見直していくことは厚労省にとって、必ず大きな力になる」と指摘。将来的には、その厳しさが厚労省を良い方向へ導くとの考えを示した。
最後の職員への退任の挨拶には、会場の2階講堂に入りきらないほどの職員が詰めかけた。これからは筆頭副幹事長として党務に専念することになる長妻氏だが、「社会保障改革の手伝いをしたい」との思いを語った。挨拶後、初登庁時にはなかった拍手が巻き起こった。
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男性のリスクは10倍
男性医師が医師として道を誤る確率は女性医師の9.8倍である
Risk factors at medical school for subsequent professional misconduct:
multicentre retrospective case-control study. BMJ 2010;340:c2040 doi:10.1136/bmj.c2040
人格障害系に学ぶ:おさらい
「男に必要とされなくても私は生きていける、生きていていいんだ」
この学びでもやはり、既婚者と未婚者に本質的な差はありません。違いがあるとすれば,恋愛や結婚を通して強引に学習期間を短縮して(もちろんトレードオフがあります)学ぶのか,敢えて恋愛や結婚に頼らずに年余にわたって徐々に学んでいくのかという方法論的な差だけです.
何も他人に必要とされる存在であってはならないと言っているわけではありません。時と場合によっては他人に必要とされることは楽しいものです。しかし、自分が必要とされる相手の性別と状況を限定し、しかも継続的に必要とされること。そんながんじがらめの条件で自分を縛って、幸せになれると思いますか?
「プライベートな状況で特定の男に常に必要とされることが、幸せになるための必要あるいは十分条件である」
そんな馬鹿げたオヤジドグマに囚われている限り、幸せになる機会はどんどん遠くなっていくだけです。
他人に必要とされることは、幸せになるための必要条件ではありません。ましてや十分条件では絶対にありません。幸せになるための手段の一つに過ぎません。常に他人に必要とされる必要は全くありません。私はそう思います。そう思うと苦痛のリスクがぐんと減って、幸せに感じる機会が増えます。
あなたはどうでしょう。「プライベートな状況で特定の男に常に必要とされることが、幸せになるための必要あるいは十分条件」と信じることで、幸せになる機会が増えたでしょうか?あるいは増えると思いますか?そんな仮説を証明しようとする行動をとることで幸せになる機会が増えたでしょうか?あるいは増えると思いますか?
自分が幸せに感じるかどうかは、自分にしかわかりません。自分が幸せと感じる感覚を他人に譲り渡して幸せになれるわけがありません。
書評:ニッポンのミソジニー
発達障害とは、やや異なる視点とはなりますが、話題の本の紹介です。
上野千鶴子 「ニッポンのミソジニー」
紀伊国屋書店。ミソジニーmisogyny:一番適切な訳語は「女性蔑視」なんだそうです。昨年の10月16日に第一刷で、11月25日に第五刷というのは、凄いですね。もう既にお読みになった方もいらっしゃるでしょうか。
上野さんは「マザコン少年の末路」で、自閉症は母親の過保護が原因と決めつけた前歴もあって、とても自分から彼女の書いたものに手を伸ばす気にはなれなかったのですが、私の発達障害論に理解のある五十代後半の男性医師に勧められて初めの100ページ読んでみました。(全部で285ページ)
新聞の社会面を賑わした記事を、「女嫌い」の立場から解説するという手法を使っていることもあって、フェミニズム・ジェンダー論のオヤジ向けの入門書というところでしょうか。確かに私にもわかりやすく書けています。見識のある女性にとっては、ここまで言語化しなくても、すでにわかりきっていることばかりなのかもしれませんが。
ただし、論旨を展開するにあたって、いつもの(?)の上野さんらしく、性行為と関連づけて男女の関係性を論じることに異常なまでの拘りを持っているので、100ページ読んで辟易としてしまったというのが正直なところです。これは、おそらく、上野さんが不倶戴天の敵としてきた同じ団塊の世代あるいは上の世代の爺どもが、男女の関係性を性行為と関連づけてしか論じることができなかったので、その鏡像関係から抜けきれないのかなと思いました。春画、永井荷風を持ち出してきたのは格調を高めんがためと百歩譲っても、冒頭に、もう誰も読まない吉行淳之介を何のためらいもなく動員してきた意図には???これじゃ、私より下の世代はお引き取りくださいと言わんばかり。私が企画者なら、冒頭に吉行を持ってくることだけは勘弁してくださいと言います。
「非モテ」系は、性行為の対象としてしか女性を認めない蔑視が形を変えたに過ぎないという議論などは、確かに、「新たな視点」なのかもしれませんが、ミソジニーというものは、モグラ叩きのモグラのようなものです。この本はモグラ叩き名人の自慢話を聞かされているようで、男性よりもずっと狭い道を歩まざるを得ない女性が、より生きやすくなる知恵がこの本に見いだせるようには思えないのでありました。
もう一つの生物学的多様性
女性に構ってもらいたいがために成熟を拒否する生き物への対処法にも、多様性があっていいと思うのです。
最近の二つの記事から
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1.夫婦関係が破綻しても同じ屋根の下に暮らす「リビング・トゥゲザー・ロンリネス」の悲劇。エリック・クリネンバーグ ニューヨーク大学社会学部教授に聞く
http://diamond.jp/articles/-/10831
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この教授、問題が全然わかっていません。タイトルを見ただけで馬鹿丸出しとわかります。
1.もし関係が破綻していたとしても、同居できるお互いの度量こそ賞賛されるべきです。
2.そもそも「夫婦関係の破綻」は画一的に定義できるものではありません。傍からは破綻した関係に見えても、当事者同士にとっては長年の苦労の末に築いた成熟した関係である例や、逆に傍からは円満に見えても、当事者同士は殺し合いの一歩手前であったりする例を、この教授先生が全く知らないとしたら、それは彼が夫婦関係に無知な証拠に他ならず、彼の主張そのものに妥当性が全く無いことになります。
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2.レーガン元米大統領「1期目から認知症の兆候」
(2011年1月19日 読売新聞)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=35712
息子、著書で明かす
【ワシントン=黒瀬悦成】ロナルド・レーガン元米大統領(1981?89年在任。2004年死去)の生誕から2月6日で100年を迎えるのを前に、息子のロン・レーガン氏(52)が新著で、元大統領は任期1期目からアルツハイマー型認知症の症状を示していた、と明らかにした。
元大統領は、公式には退任後の94年にアルツハイマー病と診断された。米メディアによると、ロン氏は著書で、元大統領が再選を目指した84年大統領選で民主党候補と討論した際に「応答に四苦八苦し、言葉を失ったりした」と回想。その様子に、アルツハイマー病の「最初の兆候」を実感したという。86年には、元大統領が地元カリフォルニア州の渓谷の名前を思い出せなかったことに「驚がくした」こともあったという。元大統領の記念博物館などを運営する財団は、「発症が退任後だったのは揺るぎない事実」としてロン氏に反論する声明を発表した。
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所詮は病気のカットオフポイント設定の問題です。米国民の差別意識は深刻です。だって有色人種を大統領にした彼らが、「ロナルド・レーガンは全世界の痴呆患者の希望の星」「合衆国では障害者は差別されない」って誇れないんですから。それにひきかえ、我が国民は素晴らしい。どんなに痛い目に遭っても、広汎性発達障害者を首相に据えることを決して止めようとしないのですから。
ゴミ屋敷の病態生理
ある優秀な若手の方から、引越に際して自分の病気に気づいたというお手紙をいただきました。そのお返事です。
「掃除できない病」が僕にはありそうです。ありそう、なんていう言い方以前に、ゴミ屋敷のようになった自分の部屋を見たらわかりそうなもんだと思うんですが、そうではなかった。「困り感」が決定的になかったんですね。
ゴミ屋敷の病態生理については、多分複雑・・・単純かもしれないけど・・・病態生理が複雑か単純かが問題になるのは治療介入が確立していないからであって、確立していれば(=誰が見ても、その治療のリスクベネフィットバランスに文句のつけようがない)、実は病態生理なんてどうでもよくなってしまいます。
私の部屋は公私を含めてゴミ屋敷になったことはありません。なぜかというと、私が女ったらしだからです。それはもちろんとっかえひっかえ自分の部屋に女性を連れ込むという意味ではなくて、女性は、何も私の部屋に一歩も入ったことがなくても、それどころか、私に初めて会った時に、一撃診断で、私の体(特に手先、指先)、服装(特に靴や靴下)、振る舞い(特に食事の様子)から、私の部屋の散らかり具合をぴたりと当てられるのです。例えば、男性の手の荒れ具合から、炊事洗濯がきちんとできているかどうかを判断します。
それはもう、マッシー池田が神経内科の新患外来で、ドアを開けて患者さんを呼び込む瞬間に、パーキンソン病と診断を確定する時以上の能力です。だって私は、パーキンソン病の患者さんの家の散らかり具合なんて想像できませんもの。
多くの女性は、男性が強烈に発する非言語性のネガティブメッセージによる診断能力を持っています。しかし、その診断能力は生まれつき備わっているだけに、彼女たちはそれを全く言語化しません。ですから、多くの男性は日常的に厳しく審査を受けていることに全く気づきません。
参考文献:浮気に気づいた出来事を教えてください
生活を改善したい(例:ゴミ屋敷を何とかしたい)と思っている男性にとって、目的とするアウトカムを得るにしても、審査員が一人だけですと、いろいろな不都合がおきます。たとえば、審査の負担が重すぎたり、見落としがあったり、せっかく審査結果をフィードバックしても、全くアウトカムの改善に結びつかずに諦めてしまったり といった具合です。ですから、優秀な審査員を複数用意して、交代勤務してもらう。つまり、自分を気に入ってもらいたいと思う素敵な女性を、自分の周囲に増やしていく。これが女ったらしの意味です。
ただし、ゴミ屋敷の住人が、
1.ゴミ屋敷状態を脱却する意欲の継続性維持(!)が困難。
2.女ったらしになりたいという意欲が弱い。
としたら、女ったらしには、ゴミ屋敷の治療介入としての意義は認められません。
Normalizationという言葉
障害者と健常人が区別できて、障害者の方がより健常人の方に近い生活が送れるようにという、健常人優位主義に基づく言葉です。そこには、自称健常人が、自分中に障害を見出すという発想は見出せません。
昭和十年十二月十日に
僕は不完全な死体として生まれ
何十年かかって
完全な死体となるのである
(後略)(寺山修司 「懐かしのわが家」より)
この日付をあなたが結婚した日にして、死体→離婚と置き換えて(他の言い回しは適宜変更)みてください。
性差・効率性・距離感:コミュニケーション論
> 男性は比較的に”構える”傾向が強いような気がします。
> 相手を対立的に見たり、力関係を値踏みしたり等々
男性の場合、性別はもとより、年齢・職業・肩書き・年収とか、数値化指標・目に見える指標を拠り所にコミュニケーション(と思い込んでいるもの)を構築しようとする人が圧倒的に多いです。これは、コミュニケーションをむしろ妨害する、単なる分類、もう少し明確に言うと、差別行為に過ぎません。出会いの初めから本来の意味でのコミュニケーション構築を放棄しているのです。ただし、この種の「やりとり」を道具として使って業務が動いている組織・部分もあります。それはそれでいいのですが、その種の「やりとり」を生活のあらゆる場面で振り回されると、周囲の人が困惑するわけです。
> 女性はその”構え”を外れたところから相対していくのが得意のように思います。
> とはいえ、男女にかかわらず、どちらの傾向も一個人のなかでそれぞれに持っているのだと思われます。
そうですね。集団でも個人でも連続性のあるグレースケールで。また、ある程度のコミュニケーションリテラシーを持った人は、同じ人同士でも、時と場合によって、使い分けていますが、配偶者同士の場合ですと、その点で苦しんでいるペアが多いようですね。特に、男性の場合には、「距離感」が白黒デジタルでしか持ち合わせていない場合が多い。たとえ配偶者同士でも(親子も然りですが)、お互いの幸せのためには、時と場合によって距離感を調整する必要があるということを理解できないのです。此処に気づけると、大変楽になります。
> 池田先生は良い意味で”女性性”をたくさん持っていらっしゃるのではと、思いました。
とくに重度知的障害、精神障害、自閉症といったラベルが貼られている人達とのコミュニケーションの効率性を追求する場合、どうしても非言語性コミュニケーションの使い方にどうやって習熟するかという課題を突きつけられます。そこが、女性型コミュニケーションに対する興味の出発点だったような気がします。
時間の無駄
Brain stormingなんて横文字を持ち出さなくても、日常の他愛もないおしゃべりは、Brain
stormingそのものであり、国会でのオヤジ・ジジイ達の言い争いの方がよっぽど時間の無駄なのですが、好きでやっている連中は放っておくに限ります。
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男は自分の問題を誰かと話すことを時間の無駄と考える:男児は自分が抱えている問題を誰かと話すことを時間の無駄と考える傾向があります。問題を他人に話すことで被りうる恥ずかしさ、いじめの不安、問題を自己処理できないことの格好悪さといった精神的負担を特に気にしているわけではないようです。
Males
believe discussing problems is a waste of time
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意中の女性
彼女のご機嫌を取ろうとするよりは、愚痴を聴いてあげた方が、意中の女性の心を射止めやすいということか。
女性はパートナーの男性が不快感を読み取ってくれると満足する
2012-03-08 - パートナーとうまくやっているかどうか(relationship satisfaction)は男性においてはパートナー(妻や彼女)の幸福感(positive
emotion)を読み取る彼ら自身の能力と関連するのに対し、女性においてはパートナー(夫や彼氏)が彼女等の不快感(negative
emotion)を正確に読み取る能力と関連することを示した研究成果が発表されました。
また、夫の不快感を読み取る女性の能力は男性と女性双方のパートナーとの付き合い満足度と正に関連しました。
Women happier in relationships when men feel their pain
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2012-03/apa-whi030512.php
Eye of the Beholder: The Individual and Dyadic Contributions of Empathic
Accuracy and Perceived Empathic Effort to Relationship Satisfaction.
http://psycnet.apa.org/?&fa=main.doiLanding&doi=10.1037/a0027488
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参考
ぶどうの木:佐々木正美先生のコラムがとても良い勉強になる
アスペルガー症候群を知っていますか?(日本自閉症協会東京都支部の解説)