2009-11-08
悲しみ本線日本海の旅=飛島に
渡ろうと、11/2のあけぼので酒田の駅頭に11/3早暁降り立った。ある程度の時化が無いと絵的にどうだろうとおもって秋を選んだ、しかし酒田大火も10月29
日にあったように、木枯らし一番が吹き荒れ、月山は初冠雪し、ニュー
とびしまは2日続けて欠航に相成った。で、酒田と鶴岡をうろついた。初日の酒田は霰時雨れて、「悲しみ本線日本海の旅」そのもの
であった。メインは「おしん」から「お
くりびと」に移ろいつつあった。
酒田は庄内交通などがあるが、市内のバスは、自
家用有償の市の「るんるんばす」であった。もっとも、折り合いが悪く歩いてしまったので乗りはぐれた
が。日野のリエッセとポンチョが
走っていた
それでいなほで鶴岡に向かおうとすると(だって、普通電車2時間待ちだったんだもん)。先頭車両にベビーベットが設えてあった。鶴岡は学校 給食がはじまった所らしい。お寺がたてた忠 愛小学校で明治22年に開始したらしい。