竜の骨

 
 ひと昔まえ恐竜映画が話題だった。遺伝子工学で恐竜を再生するという夢のあるストーリーだったが、核実験で巨大化したゴジラにしても、けっきょく時代の科学知識からは逃れられていない。それを今頃になって分かるのがなぜか悲しい。

 以前から気になっていたが、中生代の恐竜と中国伝説の竜にはどこか接点があるのではなかろうか。むろん西洋のドラゴンも。

 五行説という考え方が紀元前から中国にあり、中華思想を裏で支えている。その一要素として、中央の中華を四方の敵などから守護するため、東西南北に四神がいる。この東の神を青竜という。

  青い竜のイメージは流星に由来する。青竜刀の名も、逸品は隕石鉄を用いたからだ。こんな説を読んだことがあるが、かなりあやしい。そもそも中国文化は青と緑をあまり区別しない。さかんな植物の色を青々と形容するように。だいたい青や緑にみえる流星がそんなに多いのだろうか。流星の説があやしいと思うのは、はるか昔から人々が竜の骨だけは見ているからだ。

 中国医学の重要生薬に竜骨というものがある。これは化石骨で、消耗性の興奮や熱感に効果がある。清末の古文字学者は、家人のために求めた竜骨に字が彫られているのに気づき、金石文字を遡る甲骨文字の存在を発見した。聞いたことがある逸話と思う。

 竜骨は今でも多用され、日本はほぼすべてを中国からの輸入に依存している。ナウマン象など哺乳類の化石が多いというが、市場品は骨の小片が混じる土砂状で、何の骨か判別はまず不可能である。輸入問屋にきくと、恐竜化石がよく発掘される中国西方の産出品が多いらしい。

 最も早い竜骨の薬用記録は、西域の武威という所で出土した紀元1世紀の木の板(木簡)にみえる。ここは敦煌と西安のほぼ中間地点。木簡は医方集で、後漢の駐留軍に同行した医者の墓から出た。もちろん当時から竜骨と称するなら、現世動物の骨ではない。

 図像はもっと早くから出現している。内モンゴル自治区で6800年前と推定される新石器文化の遺跡が発見され、出土した陶器に「豚嘴竜紋」の図案が描かれていた。これは豚の口に蛇の胴体だが、鳳に似た紋様も描かれていたので、竜の図像だという。

 そのようなイメージが生まれたモデルは竜骨だろう、と私はにらんでいる。現世の動物にはありえない巨大な骨。長い尾骨まで揃っていれば竜そのものである。じつは竜骨が何の骨か、昔は諸説紛々だった。12世紀初めに北宋政府の薬材官が著した『本草衍義』という書は次のように記す。

西京穎陽県の民家が崖くずれで竜骨の一体を得た。見に行くと肢体頭角ことごとく備わっている。しかし、ぬけがらなのか、死体なのか分からない。それにしても生きた姿は見られず、骨だけが遺されている。化したといっても、形が化さないのは実に不可思議だ。
 時代は下るが、明代16世紀後半の『傷寒論条弁』という医書にも同様の目撃談が記されている。
1553年に旅行したとき、淮河の大洪水が引いたあとに中州が出現した。みると竜骨一体があり、頭角身尾がみな揃っている。人々は驚き、競って中州に渡り、これを取った。私も角の一部をゆずり受けたが、白くて形状はまるで枯骨。薬に用いたところ卓効があった。しかし、この骨が何に由来するか一向に分からない。ここに録して博識を俟とう。
 今の科学知識からすれば、どうということもない。後世の博識どころか、わが豚児でも絶滅動物の化石というだろう。しかし昔の人は真剣に悩んでいた。この骨は何だろう、と。それで観察したさまざまな動物化石の形状を統合し、竜を想像したに相違ない。
 
 竜の角は鹿、耳は牛、頭はラクダ、うなじは蛇、鱗は魚、手のひらは虎、爪は鷹、という 9種の動物に似る「九似伝説」は前 2世紀の王符に端を発する。にもかかわらず中国思想史では、いまだに竜のイメージモデルを流星・稲妻・虹・星座・大河、あるいはオオトカゲや長江ワニなどと議論している。困ったことだ。  

 ところで、生薬の竜骨は植物のように栽培もできず、代替品もないので、いつの日か枯渇するだろう。そのとき映画のように恐竜を再生できるなら、もっと簡単に骨も化石に加工できるはず。まったく科学技術というのは、……社会の欲の化身かも知れない。
 
 ネッシーが心配になってきた。

(水戸の舞柳)

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