医者を辞めずに済む方法
医者やめたい病のあなたのための認知行動療法


はじめに

カムアウトしたマッシーだからこそわかる 

やっかいな自動思考への対処

救世主願望からの距離 

あなたも実は使っている認知行動療法 

医者やめたい病に対する認知行動療法の応用

認知行動療法で医療面接が上達

事例検討集

症例1:卒後10年目で,キャリアパス焦燥感が強い例
症例2:典型的な研修期医者やめたい病
症例3:家庭運営とCBT

参考文献,サイト


はじめに

私の適性は警察官僚とか政治家とか諜報活動とかにおいては間違いなく爆発的に開花したであろうが、私がそのような仕事につかず毒にも薬にもならない文学研究などにかかわって一生を終えたせいで獄窓や窮死から救われた人もきっと多いはずである。
なまじ適性に合った仕事に就いたせいで、世の人々がいっそう不幸になるということだってあるのである。人生はミスマッチ(内田樹の研究室) より)

だから、なにか芸事を始める前には、なるべく「明確な理由づけ」をしない方がいいと私は思っている。
「なんとなく」始める方がいい。
できれば、まわりから「やめろやめろ」と言われたことや、本人も「これは向いてないよな」と思うことをやるのがいい。
ほんとに、そうなのである。
私が60年生きてきて、とりあえず「飯のタネ」になったものは、どれもまわりからは「やめとけよ、向いてないから」と言われたものである。
フランス文学も、合気道も、ミッションスクールの教師も。
やめとけよ、向いてないから、というご指摘はほんとうにそのとおりなのである。(「なんとなく」の効用 (内田樹の研究室) より)

自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者になり,自分は医者には向いていないと思ったからこそ医者を続け,卒後30年近く経って,やっぱり自分は医者には向いていなかったと気付く。(週刊医学界新聞 2011/1/10

医者やめたい病については,これまでHPでも言及し,あちこちで公演,啓発活動もしてきました(たとえば日経メディカルオンライン編集会議).しかし,この病に対する世間一般の認識は低く、気付いたとしても、患者は脱落者として扱われ、この病の治療について現場で公に議論されることはありません。議論を避け続ければ,問題は解決しないばかりか,医療崩壊はますます進みます.この病を積極的に取り上げ,議論することによって初めて,不幸な脱落者を減らすことができるのです.このページは2007年10月に始まりました。このページが,学生時代から今日まで、私を含めてたくさんの医者が抱えている「医者になりたくない・医者辞めたい病」による社会的損失を軽減するきっかけになれば幸いです。

○医師のキャリア上で生じるストレスの多くに認知の歪みが関与
○それらの歪みは、「救世主願望」、「自動思考」、「コントロール願望」、「手段の目的化」等として言語化可能
○こういった言語化、外在化によって、認知の歪みに気付き、ストレスコーピングが可能
○認知行動療法(CBT)は医師自身の公私にわたるストレスコーピングにも有用であり、「医者辞めたい病」を抱えながらもキャリアパスを這っていく術となる。

このページに関心のある方は、認知行動療法を使いこなす のページも参考にしてください。医療以外の分野でも、たとえばあなたの家族や親戚、地域社会での関係作りにも認知行動療法が役立つことがわかります。また、医者を辞めずに済む方法の解説スライドも参考にしてください

カムアウトしたマッシーだからこそわかる
私が典型的な医者やめたい病患者である(「だった」ではない!*)ことも,これまで各地の公演で明らかにしてきました.そう聞いて驚くあなたは,時代に遅れています.私の公演を聞いた人は,私がカムアウトした医者やめたい病患者だと,みんな知っています.あなたも私の話を聞くべきなのです.

参考→私の病歴・経過のスライド

参考→恥ずかしくて言えなかったこと

*医者やめたい病は一生治りません! どうです。羨ましいでしょう。医者やめたい病が治らない限り、医者やめたい病の患者の気持ちがわかります。医者やめたい病による被害を少なくする方法も真剣に考えます。そう、医者やめたい病のあなたは、「医者やめたい病の専門家」になれるのです。悩める仲間の力になれる! なんて素晴らしいことでしょう。「勝手に治すな自分の病気」を、べてるの専売特許にしてはならないのです。

○学生時代から,命のやりとりなんて無茶なこと,自分には到底できないと思っていた
○医者の最大の善というのは,ひとりでに治るのを邪魔しないことだと思っていた
○だから,人を助けるために医者になったと信じて疑わない人間を冷ややかに見ていた
○当直で,手に負えない患者がきたらどうしようと心配で眠れなかった
○救急外来では緊張のしっぱなしで,笑顔が全く作れなかった
○痩せて骨が良く見える人でも中心静脈カテが入らなかった
○家族やコメディカルとのコミュニケーションでまたもや失敗した
○無理を続けずに休まなくてはと思って休んだ途端,受け持ち患者が急変したのは,普段の自分の管理が悪かったからだと思わずにいられなかった

そんなことばかりの毎日でした.あらゆる点で医者として不適格な自分は,もう現場にいる資格などない.そう思ってしまうのは,自分だけだと思っていませんか?少しでも心当たりのある人は、「でっち上げ対照比較自己劣性試験」の勉強もしてください。

私は医療崩壊が取り沙汰される四半世紀以上前から、すでに医学生の時代から、医者やりたくない病、医者になってからは医者辞めたい病という重大な地盤沈下を経験しています。その三十年にわたる闘病経験が医療崩壊の時代に役に立つ。医者辞めたい病患者会代表兼医療崩壊戦線影の参謀総長みたいなものです。(もともと医者辞めたい病で体力がないので、表は体力のある小松秀樹先生とか、本田宏先生にお任せ) なけなしの体力を消耗せずに、どうやって生き延びるか。それを私と一緒に考えていきましょう。

やっかいな自動思考への対処:雨に負けてもいい,風に負けてもいい

「サウイフモノニ ワタシハナリタイ 」
その気概やよし.しかし,この前に連なる28行の全てを満たした人間は空前絶後である.当たり前だ.全てを満たしたものは人間ではなく,神だ.だから,賢治も,「ヒト」ではなく,「モノ」と言っている.だから,「ヒト」であるあなたは、神になれない自分を責めてはならない.なれるわけがないのだから.

自動思考とは、あたかも公理のような顔をしてやってくる妄想のことです。自分の頭の中に次々と浮かんでくる自動思考による攻撃に、我々は常に晒されています。そう聞くと、多くの方は、具体的にどういう事なのか?自分にはそんな覚えはないと思うでしょう。そこが、自動思考による攻撃の極めて巧妙なところです。

医者にとって、自分は名医であるべきだ、神様であるべきだ という自動思考は、とてもやっかいな代物です。この自動思考は、名医でない自分、神様でない自分に対して常に攻撃を仕掛けてきます。患者が頼ってきたり、看護師が頼もしい先生と評価してくれると、自動思考による攻撃回数は倍増します。ところが他人の行動や言動の多くはコントロール不能ですから(それをコントロールしようとすること自体が、コントロール願望に従って神様になろうとする行為)、自動思考による攻撃を回避する唯一の有効な手段は、常に、「自分は名医でもないし神様でもない」とおまじないを唱え続けることです。

そう考えると、「EBMを学ぶ」一方で、「目の前の患者に集中」しながら、「日本の医療を憂う」先生方って、とっても大変なことをしていることがわかるでしょう。それは神様になろうってことと同じです。まあ、そういう神様もたまにはいるかもしれません。でも、ほとんどの医者は神様になれない。何しろ、その手前の名医にもなれないんだから。だから、神様はおろか、名医にもなれない自分に対する攻撃性が生じて、そりゃ、鬱にもなるのも無理はありません。

自分は名医じゃないし、ましてや神様でもない。だから、日本を憂う暇も才能も自分にはない(→途端に報道番組に全く興味がなくなる→ストレスが減る)。たまに(〜せいぜい時々)、目の前の患者さんに集中して、後は自分の日々の生活の組み立てで四苦八苦し、棚上げを繰り返す(=実は優先順位を厳しく吟味することになっているのだが)。そんな凡人で私はありたい。

救世主願望からの距離
医師は多かれ少なかれ,困っている人を助けてあげたいという気持ち,いわゆる救世主願望を持っている.しかし,救世主願望にどっぷり浸かるのは極めて危険である.なぜかというと,救世主願望は,他人をコントロールしたいという,コントロール願望そのものだからだ.医療現場では自分自身のコントロールさえ難しいのに、他人に依存するコントロール願望を満たそうとするのは、暴挙以外の何物でもない。

救世主願望を実現するためには,病気を治した上で,さらに患者から感謝されなくてはならないが,これは,まともな医者にとっては極めて高いハードルだ.そもそも,まともな医者は,患者の状態がよくなっても,自分が治したとは思わない.患者が治るのを邪魔しなかった自分はなかなかのものだと思える時はまだましな方で,通常は,教科書通りやって,たまたまそれが当たったに過ぎない.誰でもできることだと思ってしまう.自己評価が極めて低い。だから、たとえ患者から感謝されても、それを素直に受け取れない。誰でもできるようなことに礼を言われる筋合いはないと思ってしまう。

なのに、救世主願望を捨てきれないと、どういうことが起きるか?要求水準がどんどん上がっていく。治療の結果なんて、思い通りに行かない場合の方が多い。たとえうまくいっても、患者から必ず感謝されるとも限らない。それは、自分の努力がまだ足りないからだと思いこみ、目標が1923年のワイマール共和国でのマルクのようにつり上がり,ついには神の領域に至る.そして神になれない自分に失望し、神になれない自分を攻撃するというシナリオが成立する.

試験の成績が悪くてしょげかえっている子供、神経難病に罹ったことを呪う患者さん、自己評価が低くて医者やめたい病にかかっているお医者さん。この三者に共通しているのが自己攻撃性である。”こんなになってしまった自分はだめな人間だ、存在価値がないと攻撃しまくっている。

だからといって,救世主願望を全否定するのも愚かな行為である.医者としてやっていくには,身の丈と,時と,場合に合った救世主願望が必要だ.大切なのは,救世主願望からの距離である.その距離も決して常に固定してはならない.そう,常に変化する.自分の身の丈は経験によって変化する.慣れない病院での夜中の救急外来と,いつもの仕事場でのおなじみさんの定期の再診とでは,あなたに求められるものが全く違う.そういった様々な因子を考慮して,救世主願望からの距離を臨機応変に調節する.

と,ここまで読んで来られたあなたなら,救世主願望という言語化によって,自分への攻撃性を外在化できたことになる.そう、救世主願望からの距離なんて、洒落た戦略が採れるんですよ、あなたにも.

参考
自分のコントロールできることに集中する

あなたも実は使っている認知行動療法:日常診療でありがちな認知の歪みへの対処
臨床現場では,客観的なデータを踏まえた科学的,合理的な判断によって診断,治療が行われていると、多くの人が思いこんでいます.それがそもそも認知の歪みです.実は,臨床現場は認知の歪みに満ちています.医療事故やニアミスには必ずと言っていいほど,認知の歪みが関与しています.医師の仕事の大部分は,この認知の歪みの是正し、適切なアウトカムを生み出すための行動から成り立っています.つまり、医師は認知行動療法を知らず知らずのうちに使っているのです.

認知行動療法による診断リスクの低減
○救急外来受診に対する陰性感情を言語化し、その認知の歪みを是正して診断リスクを低減するのがGOMER感情論です.
○急性脳梗塞に対するMRI拡散強調画像は、急性脳梗塞の診断にMRI拡散強調画像は必須である→これが,認知の歪みではないと思う方は10億円プレーヤーに勝つ方法MRIは訴訟予防にはならないを併せてお読みください.

こうやって、普段自分で使っている認知行動療法ですが、灯台もと暗しとはよく言ったもので、知行動療法が自分のキャリアパス危機管理にも使えることに、多くの医師は気付いていません。

医師のキャリアパスで出会いがちな認知の歪みの例(かっこ内は認知の歪みの型)
○優れた医師は,最新の医学を常に勉強し続けれなければならない.(すべき思考)
○大学を離れると英文で発表できるような質の高い学術研究はできなくなる.(論理の飛躍)
○教授選に負けたら,一生立ち直れない敗北者になってしまう.(全か無か思考,レッテル貼り)
○専門医資格を取得しないと、この業界では生きていけない(すべき思考)
○医師たるもの患者さんには常に共感できなくてはならない.(すべき思考)
○中心静脈穿刺がうまくできなかった.他の研修医はみんなすんなり入るのに,こんな基本的な手技さえ満足にできない自分は医者には向いていないんだ.(一般化のしすぎ,心のフィルター,マイナス化思考,拡大解釈と過小評価)

医者やめたい病に対する認知行動療法の応用
1.医者やめたい病とうつ病の類似点
では,実際に医者やめたい病に対処する方法があるのでしょうか?認知行動療法はそのためにあるのです.医者やめたい病の根底には,職場のストレスによって引き起こされたうつ状態があります.ならば,より重篤な、内因性の病態であるうつ病に対して有効性が確立している認知行動療法が,医者やめたい病に効かないわけがないのです.

認知行動療法は,抗鬱薬のようなおまじないとは違います.うつ病の他、社会不安障害,パニック障害に対する認知行動療法の有効性のエビデンスは,薬物療法よりも頑健です.抗うつ薬よりも再発率が低いというエビデンスもあります.それはちょうど,ロシグリタゾンが,75gOGTTの反応性を修飾するだけで,中止すれば元の木阿弥なのに対し,運動・食事療法が持続的な効果があるのと同じ事です.

生活習慣病患者ばかりでなく,一般市民も広く運動・食事療法の恩恵を受けられるのと同様に,認知行動療法は精神疾患のない人にも役立ちます.もちろん医者辞めたい病患者にも.

2.では,実際にはどうしたらいいのか?
認知行動療法に長けている臨床心理士や精神科医は限られています.だから何でもかんでもカウンセリングを受ければいいというものでもありませんし,治療を受ける方もする方も,お金や時間の制約があります.それに医師と雖も多くの人がカウンセリングに対する抵抗感がまだあるでしょう.

となると,セルフケアが現実的な選択肢の一つとなります.認知行動療法は,通常、薬剤の副作用を考慮する必要がありませんから、セルフケアに適した治療法です.(認知行動療法に長けると認知の歪みの塊であるところの熱い恋愛感情←二人の共同生活によって認知の歪みが是正されてすみやかに消失する が生じなくなりますが,これを有効性と考えるか副作用と考えるかは議論の分かれるところです)

では,そのセルフケアはどうしたらいいのか?上述のように、医師は、認知行動療法を普段から無意識のうちに使っています。だから、医師には、認知行動療法によるセルフケアの潜在能力があるのです。この潜在能力を系統学習によって引き出し、強化する。その学習書としてまずおすすめするのが、”いやな気分よさようなら 新しい認知療法の紹介 デビッド・D・バーンズ著,野村総一郎他訳.星和書店”です。

題名を見ると,卑俗なハウツー本みたいで引いてしまう人がいるかもしれませんが,それは違います.著者のデビッド・D・バーンズは,腕っこきの精神科医で,認知行動療法のプロです.彼が,彼の治療を受けられない人のために精魂込めて書いた認知行動療法によるセルフケアの為の書です.野村総一郎先生一門による訳もこなれていて大変読みやすくなっています.自分は医者やめたい病なんて弱虫病には全く関係がないと思いこんでいる方々にとっても,日常の診療ストレス軽減に大いに役立つこと請け合いです.

3.医者を辞めるも続けるも,あくまで手段.手段の目的化に陥っていないか?
あなたの目的を当ててみましょうか?それは,”やりたいことをやる.言いたいことを言う”ですよね? 医師免許証(それが公式の言い方だったっけ?)を破り捨てることが目的ではないですよね?でも,それが目的化していませんか?あなたが本当にやりたいことって,医師免許とおさらばしないとできないことですか?そうじゃないですよね?

医者やめたい病患者の中核症状の一つは,医者を辞めるという手段が目的化していることです.現在あるストレスから解放される方法は山ほどあるのに,医者を辞めるという手段が唯一のものと思い込み,それが目的化しているのです.

ストレスから解放される方法が山ほどあるって?池田先生ともあろう人が,そんな三文詐欺師みたいなこと言うなんて,信じられません.あたしが幸せになるためには,医者を辞めるしかないんです って悲壮な決意を表明したあなたは,苦しみから逃れるためには,自ら命を絶つしかないと考える患者さんと同じです.ですから,そんなあなたこそ,認知行動療法の絶好の適応なのです.

単に休むことだけでも,膨大なバリエーションがあります.一日休む,一週間休んで,そのうち1日は国立秩父学園を訪問してみる,育児休暇を取る,一年休む,しばらくの間(いいですねえ,こういう曖昧な言葉)当直をはずしてもらう,病棟をはずしてもらう・・・・・

また,診療科は変えずに職場を変える,その場合も,病院を変わる(どこの,どんな病院にするのか),病院から雇われ診療所長になる,開業する・・・・

さらに,上記の選択肢には,時間経過の因子が入っていません.医者やめたい病の今は,今の状態が未来永劫続くと思い込んでいますが,今までの歴史を振り返ると,自分も周囲もころころ変わっていたことがたくさん出てきます.あなたは,常に,何についても,初志貫徹,終始一貫の人でしたか?あなたの周りの人はどうでしたか?

認知行動療法で医療面接が上達
認知行動療法は医者辞めたい病以外にも、いくらでも応用が利きます。その一つに医療面接があります。私は認知行動療法を知ってから、外来の腕がめきめき上がりました。パーキンソン病の患者さんの抑鬱や、筋萎縮性側索硬化症の患者さんの面接でさえも、私の中に生じる陰性感情の量が激減しました。そうすると、以前は動揺する私に影響されて、患者さんも家族も不安になっていたのが、私の気持ちが落ち着くと、患者さんや家族の気持ちも落ち着くのです。

「そうか、神経難病といえども、患者さんも、家族も、本来は、こんなに落ち着ける力を持っているのだ。なのに、常に救世主でなければならないという自動思考に苛まれる私のストレスが感染して、患者さんも家族も不安になってしまっていたのだ。」

「べてる式。」と出会ってから、そう思えるようになるまで、半年かかりませんでした。でも、なぜ、こんな当然のことにもっと早く気づけなかったんだろうか。いや、それも自動思考かもしれない。四半世紀かかって、いや、四半世紀かけて、助走する必要があったんだ。

事例検討集


症例3:家庭運営とCBT
2008年3月、ある自治医大卒業生とのやりとりです.義務年限の間、僻地から僻地へと1−2年おきに転勤が続くキャリアと家族との折り合いについて

> ほどほどに頑張る、そして家族は一番大事にしていく
> という気になれました。
家族のためというより,自分のため,弾が後ろから飛んで来ないようにするのが,賢いやり方と考えると,よりストレスが少なくなりますよ.家族のためと考えると,「せっかく褒めてやったのに,嬉しそうな顔ぐらいしろよ」という気持ちになって,結果的に家族を責めることになりストレスが増しますが,自分のためと考えると,繰り返して時間をかけてみようとか,もう少し工夫してみようとかいう気になれますから.

やることは単純なのです.
○心から共感を持って相手の話を聞けるようになること.
○家事労働,育児に対して感謝の気持ちを素直に言葉に出すこと.

これで相方の機嫌がよくなると,自分も味をしめて,上記の二つの技術にもっと磨きがかかります.自分の心の許容範囲もどんどん広がっていく.それは相方にもわかって,家庭内の葛藤がどんどん減っていく.夫婦にも,子供にもいい影響が出てきます.あんなにいらいらしていた自分て何だったんだろうと,すっかり変わった自分に自信がついて,嫉妬や怒りや自己攻撃感情がほとんどなくなって,仕事の効率も上がります.

とまあ,こんな説明ができるようになったのも,悩み多き若い人達に会って,自分が写った鏡を見るようで,自分を外在化,客観化して,対応策を考えられるようになったからです.



症例1卒後10年目で,キャリアパス焦燥感が強い例.医者を続ける意欲は十分あるが,潜在的な自己攻撃性で苦しんでいる.こういう,軽症期こそ,認知行動療法の有効性が高い.以下は私へのメールからの抜粋
///////////////////////////////////////////////
私も今年とうとう卒後10年を超える年になってしまうので,非常に焦りを感じています.内科医10年と言われているのに,自分の診療に全く自信がない.知識も不十分だし,技術も未熟だし,updateはおろか,一から勉強したいのにその余裕がない.とにかく,日常診療が忙しいんですよ.軍を立て直して進んでいかなければならないのに,周りの雑兵を切り捨てるのに精一杯という感じです.今年はもう少し余裕のある環境にして,自分のスキルアップを真剣に考えなければならないと思っています.
///////////////////////////////////////////////

それに対する私の回答からの抜粋
///////////////////////////////////////////////
卒後10年というと,私の場合は1992年だな.90-92年の丸2年間全く臨床をやらずに,ゴルフとトレッキングとパブ通いの合間に,アルツハイマー剖検脳にアイソトープを振りかけて写真を撮るという,ひどく怪しげな仕事をしていたグラスゴーから泣く泣く帰ってきた大学医局で,何とか出世して臨床を事実上足抜けして研究三昧の日々を送る方策はないものかなどと,今の君よりも,ずっとずっと愚劣なことを画策していたよ.

”卒後10年を超えて焦りを感じる”って言葉に潜在的な自己攻撃性(自動思考:すべき思考=卒後10年たったら素晴らしいお医者さんになっていなくてはならない)が現れているね.10年がどうしたの?私なんか25年だよ.それでも,”池田先生だからこそ,その後,猛烈な勢いで挽回したんでしょうに” って言いたい?ちょっと待った.それって,ひどいバイアスのかかった判断でっせ.

忙しいから勉強する暇がないというのも認知の歪みだ.この認知の歪みも立派な自己攻撃性になる.本当は逆だよ.勉強しすぎているから暇がないんだ.だから,臨床を勉強するために余裕が欲しいと思っているうちは,この認知の歪みが治っていないことになる

> 軍を立て直して進んでいかなければならないのに,周りの雑兵を切り捨てるのに
> 精一杯という感じです.

立て直して進んでいかなければならない←これも,すべき思考ね.なぜそうしなきゃならないの?進まなくたっていいじゃない.僕の病歴をもう一度見てくれ.10年目以降,今日に至る15年間は敵前逃亡の歴史そのままだ.なのに本人はそれを少しも恥とは思っていないどころか,その病歴を,”医者やめたい病の認知行動療法”ともっともらしく銘打って,地方公演やHPで得意げに披露する始末.こういう図々しさをロールモデルとして見習ってもらいたいとかねてから思っているのだが,どういうわけか人気がないんだなあ,これが.

えっ,自分みたいな凡人はとてもそんなに図々しくなれません だって.ほらほら,それが認知の歪みなんだって.自分を凡人と言いながら,”進んでいかなければならない” なあんて軍神になろうとしているじゃないの.凡人は凡人らしく,隠れる,逃げる,サボる.

八原博通って,知っていて損は無い人物だよ.東宝映画『 沖縄決戦』が上映されたのが 1971年.私が中学3年の時ね.私はそこで,自分はとても大将になれる器ではないし,大将になると死ななければならないので,嫌だ.そこへ行くと八原博通は,自分の責務を果たしつつ,死に急ぎゲームの中で図々しく生き残り,敵前逃亡者と罵られながら記録を後世に伝える.その生き方がに憧れたものだ.
///////////////////////////////////////////////



症例2:典型的な研修期医者やめたい病
充実した研修で有名な,A病院の1年目の研修医から,年賀のメールをもらって

> 時々、自分には医師という仕事は本当に向いていないし、
> 楽しいと思えないし、そもそも楽しさを追求している自分に
> 嫌気がさすことがありました。どうすれば一生この仕事を続けられるんだろう、と
> 絶望的になっていた時もありました。

この気持ちは私と全く同じだね.自然だよ.そもそも,毎日毎日何十人もの病人やけが人と付き合わなくちゃならない,月に一度は自分の受け持ち患者が死ぬんだぜ.楽しいと思えって方がどうかしている.私はとてもじゃないけどA病院みたいな修羅場はだめだと思って,自分の大学に残った.なのに,大学の同級生で,卒後すぐに某超有名研修病院に行って,2年後に僕と同じ医局に入ってきた奴がいるんだけど,いまだに僕より臨床ができる癪な奴で,今でもそいつには劣等感を持っている.君もそいつと同じ道を歩んでいるわけだ.A病院での研修を9ヶ月続けた.そして1年を越えてやれそうな見通しがついた.これは,凄いことなんだぜ.

>病院の敷地内にある寮から院外に引っ越して、病院から少し離れることで
> 心に余裕ができたような気がします。
> 少し逃げているように思えるので、
> これでいいのか分からないのですが・・・。

いや,いいんだよ.自分の防御力を高めて→脱落のリスクを低減する→A病院でのキャリア継続性を高めて自分も周囲もハッピーになることなのだから.むしろ,”少し逃げているように思える”という自己攻撃性に気をつけてね.

> 仕事の中で楽しいところを見つけて行こうかな、と思います。

見つけ方のこつはね,”自分も結構いけるじゃないか”って,小さなことでもいいから見つけるように心掛けること.失敗や嫌なところばかりに目を向けて自分を攻撃してしまう罠にはまらないこと.知らず知らずのうちに名医であろうとするから,名医でない自分を攻撃してしまうのね.

反省とか後悔とか懺悔とかに偽装してやってくる自己攻撃性は,これでもか,これでもかというように要求水準を切り上げてくる.しまいには,神様になれとまで要求してくる.このような不当な自己攻撃性に対しては,自分は名医でもないし,ましてや神様でもないと,断固,反論すること.そうすると,患者さんの前でも,看護師の前でも,自分は神様ではないからと,虚勢を張らずに,「教えてください.助けてください」と,謙虚になれる.

どんな名医でも,患者さんに助けてもらわないと,商売できないんだからね.だってそうだろ.どこが悪いんですかって,患者さんにいつもいつも教えてもらわないと,どんな名医だって仕事にならないじゃないか.

”わからない”,”知らない”,”教えてください”,”助けてください”と素直に言えるようになると,自信が出てくるよ.なぜなら,それは,医師としての小さな悟り,自己攻撃性からの解放を意味しているからだ.多くの人は,それが言えなくて,無理に神様になろうとしてなれない自分に苦しんでいるんだ.

参考文献,サイト

認知行動療法を使いこなす:私のホームページ内にある関連サイト

認知行動療法によるセルフケアを学ぶために

ウェブサイト:認知行動療法・認知療法の道具箱(ナット&ボルト)

いやな気分よさようなら 新しい認知療法の紹介 デビッド・D・バーンズ著,野村総一郎他訳.星和書店.

岡田斗司夫 いつまでもデブと思うなよ 新潮社 認知行動療法を全く知らない著者が編み出した方法が,典型的な認知行動療法となって,それによって見事に減量に成功したことがわかります.ちなみに,この本には,認知行動療法とは一言も書いてありません.認知行動療法は各種精神障害はもちろん,ダイエットにも見事に応用できるのですから,医者やめたい病に効かないわけがありません.認知行動療法とは何かが今ひとつよくわからない人,その有効性に疑問を持っている方にもお勧めです.

余裕があったら読みたい本

伊藤絵美.認知行動療法、べてる式。医学書院.統合失調症で町おこしをしている浦河のレポート.私はこの本を読んで認知行動療法の面白さにはまりました.統合失調症当事者が折り合いをつけて生きていく地域社会.それを実現させた認知行動療法とは,一体何なのか?それがこの本でわかります.

*認知の歪み是正道具は、一般的には、笑い、皮肉、へそ曲がり、逆転の発想、ボケとツッコミ といった様々な呼称が与えられています。医療人にとっても役に立つ有名なビジネス書(例↓お金儲けのことは全然書いてない良書)にも、認知の歪み是正道具がたくさん載っています。

スティーブン・R. コヴィー著 7つの習慣 キングベアー出版
ピーター・センゲ著 フィールドブック 学習する組織「5つの能力」 日本経済新聞出版社←大部なので、時間のある方向け
高橋伸夫著 できる社員はやり過ごす (日経ビジネス人文庫) ←文庫本なので、移動中の乗り物の中で気軽に読める。

おまけ:認知行動療法を生かした切り返しフレーズ集(カスガ先生の向こうを張って)

”先生は苦労したことなんかないんでしょう。”
”はい、おっしゃる通りです。ですから、こうやってお話を聞かせていただいて、勉強しているのです”

解説:これはいわゆる武装解除法の一つです。相手は、自分は、へまばかりやってきた そう自慢しているに過ぎません。そのへまの堆積を苦労と称する滑稽な偽装を武器と勘違いして、へまをしていないお前は劣った人間だと、見当はずれの攻撃をしかけてきているのです。

加齢とそれに伴う恥の堆積の自慢比べほど馬鹿らしいものはありません.この場合、自分のへま(=苦労)を探し出して対抗する必要は全くないのです。むしろ、たまたま相手よりへまの数が少ないという優位性(実際にそうかどうかは甚だ心許ないのですが、とにかく、この場は優位性を主張できる)を前面に押し出すことによって、へまを苦労と称する偽装のあほらしさをわからせてやるのが、この切り返しフレーズです。

表紙へ戻る