GOMER感情
自分に出すイエローカードで診断リスクを低減する

(宮崎 仁、野村英樹、池田正行。プロフェッショナリズムについて考えるフォーラム 白衣のポケットの中 第4回 患者からの理不尽な要求やクレームにどう対処すべきか? JIM 2007;17:428-432より)

表題のGOMER感情とは,救急外来患者に対して生まれる負の感情を、GOMER (Get out of my emergency room)なる俗な略称にちなんで私が勝手に命名したものです.自分の心に生まれる負の感情を言語化することにより,自分を客観視し,その感情への対処法を検討しやすくする,というとひどく難しい作業のように思えるかもしれませんが,実は,私的な手紙や日記を書く際にも,感情の言語化が行なわれています.

自分は患者に対していつも共感的に接することができると考えて,GOMER感情の内在を否定することは,自分は神と同様に間違いを犯さないという妄想と同様,明白な事実誤認であるばかりでなく,医療過誤にもつながります.患者との出会いの場面で生じることが多いGOMER感情は,一連の診療過程の中でも,特に診断の初期過程のリスクを増大させる可能性が高いので,簡単なエピソードを通して,GOMER感情と診断リスクについて考えてみましょう.

あなたが当直となった金曜日の夜,緊急処置が終わった交通外傷患者を病棟に上げて,ほっとして見た時計は,もう翌日土曜日を示していました.そんな時, 50歳の男性が頭痛を主訴に来院しました.新入社員歓迎二次会のカラオケの席で,急に頭が痛いと言い出したので,心配になって部下が連れてきたというのです.ネクタイをだらしなくゆるめ,赤ら顔で小太りのおじさんの呼気は,もちろんひどく酒臭く,呂律の回らない口調で,“頭の痛いのを早く何とかしろ,この藪医者”と悪態をつくばかりです.

このエピソードから,医師の心の中に芽生えるGOMER感情は,訴えや診察所見の評価,検査の必要性の判断,重篤な疾患の想起といった様々な診断プロセスに強いバイアスを与え、診断リスクに直結することが容易に想像できます。GOMER感情の悪影響をさらにわかりやすくするため,私は,GOMER感情の解釈モデルとして,乞食坊主の姿に身をやつし,人々の慈悲の心を検証した空海伝説を使うことにしています.すなわち,酔っ払いが夜中の救急外来にやって来たら,臨床の神様が自分を試しにやって来たと思うべし.その神様を,痛い痛いと騒ぐ面倒な酔っ払いと追い払ってしまうと,くも膜下出血や十二指腸潰瘍穿孔見逃しという,恐ろしい祟りが待っていると.

このようなエピソードや解釈モデルによって, GOMER感情を真っ向から否定せず,また、GOMER感情を抱く自分自身を攻撃することもなく,危険な状態に陥った自分を客観視できるようになります.こうなればしめたもので,救急外来で酔っ払いを見ても,GOMER感情を高ぶらせるのは,もっぱら仮想の自己に任せ,現実の自分のGOMER感情はぐっと低減できるのです.

GOMER感情が低減すれば,受療行動を診断に結びつけるという高度な技術も使えるようになります.たとえば,上記のエピソードでは,次のように考えることができます.

“なぜ,カラオケで楽しく歌っているのに,わざわざ病院まで来たのか?このような受療行動だけでも,心因性は否定できるし,くつろいでいる時に筋収縮性頭痛が悪化するとも思えない.酔えば痛みの閾値も上がるはずなのに,それでも頭が痛いのは,かなり重度の頭痛で重篤な器質的疾患があるに違いない”.

往年のイングランドの名選手、ギャリー・リネカー(Gary Lineker)は,13年間の現役生活で、レッドカードどころか一枚のイエローカードすら、もらったことがありません.彼のような聖人君子にはなれない多くの医師にとってのGOMER感情は、サッカー選手にとってのイエローカード以上に普遍的な存在です.GOMER感情だけでは,現場から一発退場とはなりませんが,診断リスクは明らかに増大します.もちろんGOMER感情が生まれないに越したことはありませんが,生じてしまったGOMER感情とそれに伴う診断リスクを無視して診療を続けることは,イエローカード無視して危険なプレーを続ける以上に無謀です.

サッカーでは審判がイエローカードを出してくれますが,診療現場では,とくに初期研修が終わってしまうと,事故の手前でイエローカードを出してもらえるような親身な教育にはなかなか巡り会えなくなります. だから,後期研修以降は,自分で自分にイエローカードを出す困難な作業が待っています.しかし,現実から手痛いイエローあるいはレッドカードを食らう前に、自分で自分にイエローカードが出せるようになれば,リネカーのような沈着冷静な名選手をロールモデルとして診療現場で活躍することができます.GOMER感情というキャッチコピー,空海伝説,イエローカードといった解釈モデル、リネカーのロールモデル。こんな素敵なアイテムが揃った診断リスク低減ゲームって,今日から教育に使えると思いませんか?

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