医者辞めたい病カウンセラー
−ここにもあった新コロバブルの効用
2020年7月、数ある私の専門領域の中でも、検察官・裁判官に対する医学教育と共に、世界の第一人者である(*)「医者辞めたい病のカウンセリング」のために遠路はるばる高松までおいでいただいた方から、快復のご報告を頂いてのお返事(*だってそんな芸当ができるのは、世界中で私だけだもの)
-----------------------------------------------------------------------------------------
お手紙ありがとうございました。遠路はるばる高松まで、それもお母様と一緒に来てくださった時点で、私は、もう大丈夫だと思っていました。自分を救いたい、それには周りの人の助けが必要だという明確な意思表示だったからです。ですから安心して私だけ喋りまくってしまいました。ごめんなさい。

どんちゃん騒ぎから距離を置ける、コロナという状況も天恵でしたね。私も鑑別所・刑務所勤務の素晴らしさを満喫しています。とにかく静かなのがありがたい。35年前から自宅にはテレビジョンの受像器もないし新聞も購読していない生活なのですが、そのありがたさも改めて感じました。

医師免許を持っている人の中でも、地位が高く肩書きが重い人・有名人ほど頭がおかしくなりました。周りは、新コロ真理教ゾンビだらけ。あんな奴らと一緒にされたくない。その思いだけでホームページに書き込んできました。それに伴い、今までよく書き込んでいたメーリングリストや日経メディカルオンラインへの記事投稿もぴったり止めました。医師免許を持った友人の数も激減しました。残ったのは昔から私のことをよく知っている(ああ池田がまたやってる、やってると見物してくれる物好きな)大学の同級生だけです。それもよかったと思っています。

医師免許との距離をどう設定するか。実は医者を辞めたい自分を、いつ、どのような場面で、どこまで認めるか、それは決して白黒上下ではなく、次元Aはグレースケール、次元Bは不規則なまだら模様、次元Cは・・・ああ、もうそんな面倒臭いことは考えるのを止めて、とにかく置いてもらえるだけで有り難いんだから、贅沢言わずにそこでで働こう(*)。そんなことの繰り返しでだらだらやってきて、来年は卒後40年。そのうち研修医2年間以降、病院常勤で診療していたのは神経内科医4年+国立精神科病院で3年半の計7年半。7.5/38=20%.それでもまだ総合内科専門医と神経内科専門医の二つを持っている。なんていい加減な制度なんだろ。私がいい加減なだけか。

何よりも生きている人間が怖くて法医学教授になるはずだったんじゃないのか?確かに学生時代はそうでした。確かに生きている人間は怖かった。でも後悔はしていません。怖い思いをやり過ごし・誤魔化しているうちに医師免許の使い方がわかってきて、キャリアの後半は結構面白くなってきた。だけど、その面白さって、事前には決して感知できないのです。その世界に入ってみて初めてわかる。重度知的障害児施設、厚労省、法務省・・・ただただ不思議。そして自分で呆れています。

お医者様でも、偉い人ほど「立志伝」みたいなことを語りたがりますが、あんなのみんな後付けの作り話です。神様じゃないのに、明日がどうなるかなんて誰にもわかりゃしないのに、わかったふうなことを言う大嘘つきです。そういう連中が今度の新コロバブルでまたどんどんゴキブリみたいに湧いてきて、迷惑な話です。また長話になりました。今回はこの辺で。
-----------------------------------------------------------------------------------------
業務放送:迷ってるって言うけど、あんたを置いてくれるところ、そんなにあるんか?私の場合、迷うもへったくれもなかったよ。選択肢なんて言葉とは無縁だった。いつもそこしかなかったんだから。
二条河原へ
新コロバブルの物語
表紙へ