薬害をなくしたくない人々

国が薬害の責任を取るべきだという人がいる。なぜかというと、薬害がなくなっては困るからである。薬害が飯の種だからである。

国が薬害の責任を取るべきだと言い続け、薬害が起こる度に、厚労省の役人に、薄くなった頭頂部をテレビカメラの前に晒させる。その作業をひたすら繰り返していれば、決して薬害はなくならない。そりゃそうだろう。典型的な水戸黄門サイクルになっているからだ。(図1図2

自分が水戸黄門気取り→悪人を懲らしめていい気持ちになる→いい気持ちになっただけで満足する→自分の頭で考えなくなる→原因も対策も考えなくなる→また悪人が出てくる→また水戸黄門役ができる

ひたすらこのサイクルの繰り返し。これが薬害をなくしたくない人々のやり口だ。

なぜ薬害が起こったか、どうすれば薬害のリスクを低減できるのか(下記注1)を提案し、その計画を実行し、結果を検証しなけければ、薬害は減らせない。そんなことは小学生だってわかる。薬害をなくしたくない人々も、もちろん、それをわかっている。わかっているからこそ、どうやったら薬害を減らせるかなんて、自分たちの頭では考えない。自分たちでできることをやろうとせずに、ひたすら厚労省を叩くことに専念する。

国が薬害の責任を取るべきだという人々は何様のつもりなのだろうか?自分たちが厚労省を叩けるぐらいの素晴らしい見識を持っていれば、「駄目な厚労省」など頼らずに、自分達で規制をすればいい。もし、自分達が厚労省の見識が役人よりも劣っていると考えるのならば、黙って見ているがいい。結局、自分たちは厚労省を叩くしか能がないことを自覚しているから、「国が薬害の責任を取るべきだ」という馬鹿の一つ覚えを繰り返すだけなのだろう。

結局、国が薬害の責任を取るべきだという主張は、非難の裏側にある依存に気づけない人間による悲しい思考停止の表現である。

ここで誤解しないでもらいたいのだが、上記の文章は、一部の声高な方々へのあてつけ「だけ」ではない。その背後にいらっしゃって「薬害を生む厚労省はけしからん」と尻馬に乗って騒ぐだけしか能のない多くの日本国民の皆様へのあてつけでもある。

ちなみに、「世界標準の新薬を承認しない厚労省・PMDAはけしからん」って言ってる連中も全く同じ思考停止に陥っている。

ここで誤解しないでもらいたいのだが、上記の文章も、一部の馬鹿な医者達へのあてつけ「だけ」ではない。その背後にいらっしゃって、「世界標準の新薬を承認しない厚労省・PMDAはけしからん」と尻馬に乗って騒ぐだけでは飽き足らずに、その半年後には、そんなことも綺麗さっぱり忘れて、「あんなひどい薬を認可した厚労官僚を吊るせ」と、これまた尻馬に乗って騒ぐ多くのメディア(下記注2)と、そのメディアの作った番組や記事に夢中になる日本国民の皆様へのあてつけでもある。

注1:医療事故と同様、薬害を「なくす」ことはできない。人間は神にはなれないからである。かならずどこかで間違いは起きる。なのに、「薬害根絶」を言い続けるのは、薬害のリスク低減の努力とその成果を評価していては商売上がったりだからだ。どんな薬害でも飯の種にしたいという意欲が盛んなゆえに、地平線のかなたに「薬害根絶」という目標を設定し、そこに辿り着くまで、永遠に厚労省を叩き続けるのである。

注2:須山 勉. がん治療薬「イレッサ」副作用禍. 効果強調が過剰期待招く. 医薬報道に大きな教訓. 2004年2月26日 毎日新聞東京朝刊.  

池田 正行. ファーマコビジランスに携わる医師の絶対的不足: その現状, 原因分析と対策 . 薬剤疫学 2008; 13: 55-62

参考→薬害ビジネス

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