卒業生の声
小田賢幸(山梨大学医学部解剖学講座(2016年〜))
私はPh.D.-M.D.コース修了者の中で、2015年現在ただ一人医学部に戻らなかった特別天然記念物といえる人間です。私の履歴書に燦然と輝く「東京大学医学部医学科 退学」の二文字は私にとってある種の勲章です。Ph.D.-M.D.コースがあまりに特異な課程ゆえに、二の足を踏んでいる学生さんも多いでしょう。しかし、私はこのコースに進学したからこそ、弱冠33歳で教授として独立することが出来たと思っています。迷っている学生の皆さんの背中を押すために、私のこれまでの研究半生をお話します。
私は中学生のころから生物部で、マウスやカエルを使った実験や解剖に明け暮れていて、大学に入ったらすぐに研究室に入って実験を始めようと考えていました。2001年、東京大学理科Ⅲ類に合格しましたが、医学部に思い入れがあった訳ではなく、基礎研究が出来れば何処でもよいと考えていました。そんな時、「医学に接する」の実習で薬理学教室の飯野正光先生とお話する機会があり、「農学部で古細菌の研究をしたい」などと勝手な希望をお伝えしたところ、「医学部でも農学部でも基礎研究は変わらない。理科Ⅲ類に入ったのだから、医学部のPh.D.-M.D.コースを選んだらどうか」と勧められました。日本の大学教育システムでは、Ph.D.-M.D.コースが博士号を最速で取得できる課程であることを知って大いに興味を持ちました。実のところ、理科Ⅲ類から他学部へ進学するにはそれなりに駒場で頑張らなくてはならないことを入学後に知り、駒場1年次から研究室で実験を開始するためには医学部に進学せざるを得ないかもと考え始めていた私にとってPh.D.-M.D.コースは渡りに船でありました。
飯野先生のご紹介で、医学部基礎研究室のほとんどを2ヶ月かけて見学して回り、駒場1年次の夏から細胞生物学・解剖学教室の廣川信隆先生の下で、研究を開始しました。解剖学教室で一年に渡って分子生物学と生化学のイロハを叩きこまれた後、駒場2年次と医学部1年次の2年間、微生物学教室の野本明男先生でウイルス学の研究を行い、2004年にはポリオウイルス受容体の生体内での機能について、初めての論文も出させて頂きました1。
医学部2年次修了後にPh.D.-M.D.コースに進学することを決めていた私は、どの研究室で博士課程の研究をするか、大いに迷いました。そんな時、解剖学教室から独立してテキサス大学で助教授をされていた吉川雅英先生から、医学部1年次の夏休みを利用して研究室に遊びに来なさいというお誘いがあり、ポリオウイルスの実験で壁にぶつかっていた私は頭をリセットすることも兼ねてダラスの吉川研究室を訪ねました。そこでクライオ電子顕微鏡を用いたタンパク質の三次元構造解析という新技術を目の当たりにし、その面白さと可能性に夢中になりました。Ph.D.-M.D.コースの研究を吉川研究室で行うことに決めた私は、廣川信隆先生に大変なご無理をお願いして、解剖学教室からの委託研究生として2005年、テキサス大学吉川研究室に留学しました。
アメリカでは世界各国から来た学生に多くの刺激を受けながら研究を行い、ダイニン-微小管複合体の三次元構造とその構造変化を世界で初めて明らかにしました2。この結果で博士号を取得し、2009年に東京大学大学院医学研究科生体構造学教室の助教に着任しました。東大では引き続き吉川雅英先生の下でクライオ電子トモグラフィーの方法論開発に注力し、現在では繊毛の三次元構造を撮影から解析まで僅か一日で終わらせることが出来るまでに確立しました。この技術を用いて繊毛タンパク質の位置と機能を次々と明らかにし、2014年には繊毛内にある96 nmの長さを持つ周期構造が、分子モノサシによって構築されることを発見、Science誌に発表しました3。このような業績が評価され、2016年より山梨大学医学部解剖学講座の教授として独立する事になりました。
クライオ電子顕微鏡を用いて再構成した繊毛内部の三次元構造
医学部生の皆さんは、「世のため人のため尽力しなければ」とか「あの病気の治療法を開発しなければ」とか強い使命感からプレッシャーを感じているかもしれません。それはそれで立派なことですが、私は基礎研究を行う動機はもっと単純で良いと思っています。すなわち「そこに謎があるから解明したい」という純粋な好奇心です。薬だ、病気だ、と目をギラギラさせて成果を求めるよりも、好奇心の赴くまま気楽に実験をした方が、意外な発見に出会えるものです。教科書に書いてある「この細胞の機能は不明である」「この現象のメカニズムは分かっていない」といった記述に興味を持ったら、近くの研究室に飛び込んでみましょう。そこには皆さんの想像を遥かに超える広大な知のフロンティアが広がっているはずです。
参考文献
- Oda T, Ohka S, Nomoto A.
Ligand stimulation of CD155alpha inhibits cell adhesion and enhances cell migration in fibroblasts.
Biochemical and Biophysical Research Communications, 319, 1253-1264. 2004. [PubMed] - Oda T, Hirokawa N, Kikkawa M.
Three-dimensional structures of the flagellar dynein-microtubule complex by cryo-electron microscopy.
Journal of Cell Biology 177, 243-252. 2007. [PubMed] - Oda T, Yanagisawa H, Kamiya R, Kikkawa M.
A molecular ruler determines the repeat length in eukaryotic cilia and flagella.
Science, 346, 857-860. 2014 [PubMed]