かくして5類潰しは憲法違反となった
−公共の福祉に反し自らの利潤のみを追求したメディアの罪

日本国憲法 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 1953 年に制定されたらい予防法は、制定の基礎に関わる社会的、経済的、医科学的事実、すなわち立法事実のもともと存在しない法律(*) であった。(中略)立法事実を欠く法律の改廃が何故 1996 年まで遅れたのか。様々な要因が絡み合ってはいるが、最も基本的な理由は、厚生行政が、差別偏見の根本問題を等閑に付し実利的な観点のみに立ち、患者・入所者の処遇改善のためには現行法のままの方が政策上有利と位置付けたこと(強制隔離と処遇改善の「表裏一体論」)、および国立療養所中心主義が厚生省とらい学会に既得権を与えていたことにあると思われる。(第 1 問題の所在  第五 らい予防法の改廃が遅れた理由 ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書
感染症法の入院措置に罰則を設けることで強制力を持たせることは、ハンセン病や結核、HIV感染者に対する科学的根拠なき差別や強制隔離、ひいては断種手術にまで至った最悪な歴史の教訓を受けて1998年に制定された感染症法の基本的な法の理念に反すること。しかも、コロナ対策としては、そもそも今回の法改正の目玉となっている罰則の対象となる入院拒否者や時短要請の拒否事業者が、現在の感染拡大の元凶となっているというエビデンス、つまり立法事実が存在しない。また、法律の建て付け自体が不自然で「まともな法律の体をなしていない」。(郷原信郎 日本がまともなコロナ対策ができないわけ ビデオニュース 2121/2/6

「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」 石原莞爾

東條についていうなら、責任はあるけど、全責任を負うほどではないと思う。私は「近代文學」の座談会(1946年2月)での小林秀雄の発言に共 感を覚えます。彼は「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持て ないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と発言しています。私も東條ら一部の人に責任を押し付けるのは間違っていると思います。
    開戦前、国民は日本が朝鮮半島や満州に進出するのは当然の権利だと思っていた。メ ディア、といっても当時は主に新聞ですが、部数を上げたいから読者が喜びそうな記事を書く。世論が「軍は何をしてるんだ」と尻を叩いて戦争に突入していっ たという側面もある。ならば国民やメディアにも責任はあるだろうと。
    そんな戦争責任を負った者のなかで、いちばん悪質だと思う者をあえて挙げるとすれば、それは新聞ジャーナリズムです。小林(注:英雄)の言う利巧な奴(*) ですね。敗戦まであれだけ戦意を煽っておいて、敗戦と同時に凄まじい東條バッシング。あれはそうしなければ「お前たちこそ日本を戦争に誘導していったじゃ ないか」と自分に火の粉が降りかかってきたからでしょう。ナチスに協力したドイツの新聞はすべて廃刊されていることと比較すると愕然とします。亀井宏 旧日本軍の将兵たちはあの戦争をどう振り返ったか)*「利巧な奴」の出典については→レファレンス事例詳細(Detail of reference example)を参照のこと


感染者数減少に「怯える」メディアと憲法第十三条
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感染者数減少なぜ?“宣言”解除は?専門家分析まとめ(NHK 2021年9月24日)
「宣言解除は妥当」…でも感染急減の理由は「分からないことだらけ」((東京新聞 2021年9月28日)
 政府が緊急事態宣言の解除方針を固める中、新型コロナの感染状況を分析し厚生労働省に助言する専門家組織「アドバイザリーボード」は27日、「全国的に感染状況はかなり改善し、宣言解除の指標もほとんどクリアした」と評価した。ただ、座長の脇田隆字・国立感染症研究所長は、解除後のリバウンド(感染再拡大)を防ぐには、新規感染者を10万人あたり15人まで下げたいとした。
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総統地下壕2021状態
    性懲りも無く未だにPCR陽性者数を「感染者数」と偽って報道するメディアは、その「感染者」の激減により、あたかも自分達の命運が尽きるかのような、上を下への大騒ぎです。無理もありません。「感染者数」こそが、この1年半にわたって命運が尽きようとしていたメディア各社にとっての「神風」だったからです。燃料としての「感染者激増」が確保できなければ炎上商法(蔑称「コロナとの戦い」)とともに自分達の命運が尽きる。何とかお知恵をとばかりに「専門家組織」に泣きついたというわけです。でも肝心のその「専門家組織」が、オクスフォード宣言を受けて今や総統地下壕2021状態。新東京裁判被告席をどうやって免れるか自分達のことを考えるのが精一杯。新聞屋の泣き言になんか構っていられません。
    大東亜戦争時の報道の罪をきれいさっぱり忘れたふりをして、彼らが展開した炎上商法は我々の幸せに何の貢献もしませんでした。それどころか、彼らの商法と「報道しない自由」が嘘と隠蔽の相乗効果で我々を不幸のどん底に陥れました。家庭が破壊され、職を失い、住まいを失い、自ら命を絶った者もいました(コロナ禍での自殺の急増)。大東亜戦争報道における罪を否認した彼らの利潤追求一辺倒の報道姿勢は日本国憲法 第十三条が言うところの、「公共の福祉」に明らかに反しているのです。

5波の時点で既に季節性インフルエンザ
文字通りPulic Enemy No.1として公共の福祉に反する報道を1年半以上にわたって続けてきたメディアに残された道はありません。「新コロ様よ永遠に」(蔑称 ウィズ・コロナ)にわずかに望みを託しているようですが、今更じたばたしても始まりません。新東京裁判の被告席はもう決まっているのですから。そもそも燃料がもう絶たれています。新コロ様がお隠れになり、恐怖の42万人死亡説に代わって登場したのは、ただの「コロ」でした(コロナは弱毒化し風邪原因の一つに)。
    「いや神国日本では必ず神風が吹いて我々を救ってくださる」。そう思っていらっしゃるかもしれませんが。どうでしょうか?メディア各社の切なる願いの現実性を検証したのが右の表です。データ元は毎度おなじみ「東洋経済オンライン 新型コロナウイルス国内感染の状況」。右の二つのコラムを見てください。死者数/感染者数が5波で激減しています。一波あたりの死者数2680人も4波の半分以下42%です。季節性インフルエンザによる死者数は近年でも3000人を超えていました。一方で新型コロナによる死者数は水増しが指摘されています(コロナ病死は「強制水増し」・副作用死は「裁量隠蔽」)。

死者数17504人の意味
   おそらくメディアは 1年8ヶ月の積算値17504人という数字だけを見て、「一波あたりの死者数なんぞに、国民の皆様の馬鹿どもは気づくまい」。未だにそう思って いるのでしょう。だから第5波における死者数2680や死者数/PCR陽性者数比には目もくれない。そうして第5波の0.3%が第1波の3.7%の1/12なっていることにも気づこうともしない。それは現実逃避という点では、地上が阿鼻叫喚の巷となっているベルリンの地下壕で飲んだくれるナチ党の幹部と同様の心理です(藤肥孝幸 映画「ヒトラー〜最後の12日間〜」2017/12/27)。さらに「新コロ様よ永遠に」(蔑称 ウィズ・コロナ)の継続性という観点からは、 1年8ヶ月の積算値17504人という数字には別の大きな意味があります。それは、このままのペースで行けば死者数が42万人に達するには40年かかり、その暁には42万人死亡説40周年記念&西浦教授定年退官20周年記念パーティをリモート開催できるからです。

かくして5類潰しは憲法違反となった
デイアの炎上商法の生命線はひとえに新コロ超VIP待遇を定めた立法事実が存在しない。また、法律の建て付け自体が不自然で「まともな法律の体をなしていない感染症法にあります。5類であれば「感染者数」の届出も季節性インフルエンザと同様になっていました。我々を不幸のどん底に陥れてきたメディアの炎上商法の補給路を完全に断つことができていたはずなのです。そしてその炎上商法が招いた様々な不幸も防げていたはずなのです。そして何よりも我々が憲法で「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされた幸福を追求することができていたはずなのです。公共の福祉に反して自らの利潤のみを追求するメディアの破壊活動、炎上商法と「報道しない自由」さえなければ
「これは断じてファシズムではない」。そう主張する人々によってワクチンキャンペーンが推進されている
新コロバブルの物語
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