回転寿司屋板前養成作戦

うちの分野の専門医は足りないという声を聞かない日はないが、足りている・余っているという声がその専門分野の医師から発せられたことは、人類誕生以来、一度もないだろう。(もし例外があったら是非とも聞かせてもらいたい)

専門医不足の声の背景には、当然、自分達の勢力範囲を広げたいという思惑と、労働負荷を減らしたいという切実な願いがあるわけだが、あらゆる学会がそう主張しているのも滑稽な話だ。

空しい願いを抱えてそんな喜劇をいつまでも演じるよりも、もっとあなたのためになる話がある。教育である。我々が主張しているのも専門医教育の話だと、池田になんか改めてお説教されるまでもないと言わずに、まあ、聞いてもらいたい。

今、あなたが考えているのは、当然、”質の高い”専門医教育だろう。自分のような優秀な専門医が、もう一人この職場にいて助けてくれたらどんなに自分に余裕ができて、質の高い仕事ができるだろう。そう思って、専門医を増えればいいと願っている。しかし、上記の理由で、専門医は増えない。数を増やすことさえままならないので、優秀な奴が来てくれるなんて画餅だ。そもそも医者そのものが足りないんだから。だから、いらいらしている。

あなたが望んでいる、質の高い専門医は、たとえば一流の板前のようなものだ。養成にはひどく手間隙がかかる。厳しい修行に耐えられず、脱落していく者もいる。これでは増えるわけがない。しかし、必ず、一流の板前を育てなくてはならないのだろうか?ミシュランに載らずば料理屋にあらずなのだろうか?

世の中にはミシュランに載らない店の方が圧倒的に多い。毎日、ミシュラン掲載店で飯を食う物好きもいないだろう。回転寿司屋のカウンター内でてきぱき働く板前の数は、ミシュラン掲載店の板前の比ではない。回転寿司屋の板前のおかげで、団欒を過ごす家族、貴重な昼休みの時間、自分の好きな時に好きなネタを自分で勝手に取って楽しみながら、物思いに耽る会社員、デートの際の気軽な食事を楽しむ男女・・・その数は、ミシュラン掲載店利用客の数など足元にも及ばない。

そう、一流の板前よりも、回転寿司屋の板前の方が、はるかに多くのお客に対して対応できる。

ここまで来れば私の言うことはわかってもらえるだろう。専門医を育てることを目的として,ごく少数の若手に限定して労力と時間を投入するよりも、あなたの知識と技術を,より広く伝える方が,あなた自身の負担を,より早く,より軽くすることができるのだ.

たとえば,あなたの職人としての知識・技術を、地域の開業の先生方に伝える方がずっと効率的だ。そうすれば、紹介の敷居が低くなるし、どんぴしゃりの紹介をしていただけるし、紹介してもらった患者さんを戻すのもぐっと円滑になる。あなたに対する医師会の中での評価も高くなり、協力も得やすくなる。

また,神経内科専門医に辿り着くまで山道を3時間も車に揺られていかなくてはならない地域のプライマリケア医が,パーキンソン病を診断し,治療してくれれば,患者ばかりでなく,外来がパンク寸前となっている神経内科医も大いに助かる.

対外的な利益ばかりではなく,病院内でも,他の診療科との共育も双方に利益をもたらす。たとえば、神経内科は、毎日必ずやりとりする脳神経外科、放射線科、整形外科はもとより、高次機能、精神症状の評価で精神科、髄膜炎、肺炎を初めとする各種感染症で感染症科・呼吸器内科、胃瘻造設で消化器、気管切開で耳鼻科・呼吸器外科、筋ジストロフィーの心不全で循環器、多発性硬化症や糖尿病性の神経合併症患者で眼科、在宅診療で開業医・総合診療・家庭医・・・ありとあらゆる診療科にお世話になる。逆に、頭痛、しびれ、めまい、意識障害といった、ごくありふれた病態で、病院中からお呼びがかかるのも神経内科医である。

このような相互依存関係は神経内科に限らない。診療分野が専門化すればするほど、他科への依存度が高くなるわけだから、専門医を自認すればする程、他科との関係は円滑に保たねばならない。それためにはどうするか。やはり教育である。病状が進行する前に、質のいいコンサルテーションができれば、コンサルテーションをする方も受ける方も、負担は軽くなるし、もちろん何よりも患者をより幸せにすることができる。教育は最高のリスクマネジメントツールである。

教育といっても、決して難しいことではないし、手間隙のかかることでもない。日常診療の中で、こんなことを覚えておくと便利ですよ と院内のあちこちで触れ回ればいい、たとえば、「意識障害患者を診たら、まず血圧を測ると、診断を絞り込みやすくなりますよ」と一言言うだけで、知恵の泉としてあなたの評価はぐんと高まるし、敗血症患者を意識障害だから診てくれというようなハイリスクで質の悪いコンサルテーションも減るだろう。

だから、他科を希望する研修医にこそ、ここぞとばかり、熱心に自らのノウハウを披露し、教え込むことが必要だ。その研修医が一人前になった時には、あなたの強い味方になってくれる。もし、後期研修で他院に行ったとしても、そこで、自分の診療科には進まないとわかっていても、惜しげもなく知恵を授けてくれた素晴らしい教育者としてのあなたの評価を広めてくれるだろう。

わかっただろうか.専門医を育てるだけが教育ではない.さらに,一人前の専門医を育てる教育は,言語化困難な要素(職人芸の習得)が占める比重が高いのに比べて,プライマリケア場面での教育は,より言語化しやすい.たとえば,神経内科の問診が,日常生活動作障害に基づいている点が挙げられる.だから,伝統的な専門医教育よりも,より広い範囲で,より多くの人を対象に,面白い教育が展開できる可能性がある.その具体例については,私のDVDや,一般内科医のための神経内科を読んでいただければ御理解いただけるだろう.

私が,専門医養成教育は,その分野での達人達に任せ,もっぱら,神経内科医以外に神経学を教える活動に集中しているのは,そういった理由による.そして,その活動は着実に実を結んでいる.その証拠には,どこへ行っても,年齢・性別,職歴,専門分野を問わず,たくさんの人が,わざわざ休日を潰して私との対話を楽しみにためにやってきてくれる.

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