暇な神様の趣味

あなたは絶望したことがあるだろうか?ないと答えるがいい。なぜならあなたが神ではないからだ。絶望は神のみに許された特権である。

絶望とは、全てのことに見通しがつき、全ての選択肢が否定された状態である。全てのことに見通しがつき、全ての選択肢の可能性が吟味できて、しかもその可能性が全て否定できる。天才どころか、神のみが成せる技である。

馬鹿馬鹿しいにも程がある。随分と暇な神様がいたもんだ。

私には絶望する才能もなければ、そんな馬鹿馬鹿しい作業を試みる程の暇もない。先の見通しは、いつも「わからない」。

見通しが「ない」と「わからない」では決定的に違う。見通しが「ない」と御託宣を下せるのは神の業である。「わからない」とするのは、私にもできる。

一方、私には大それた夢とか希望もない。雨露凌ぐ住まいがあり、寒さを凌ぐ衣服があり、おなかが空いた時に食事ができて、ああ、今日も眠いときに眠れると思って、床に就ける日々.そして月に2回ぐらい,週末,地方巡業で若い人に遊んでもらえる生活.それ以上のものを手に入れようとする危うさを心得る知恵はある.そして、そんな日々を何回か繰り返した後、ある朝床の中で冷たくなって見つかる運命を心得るぐらいの知恵もある。

だから,神でない私は絶望とは無縁である.失望もなかなかできない.絶望が神の特権だとしたら、失望は天才の特権ということになろうか。

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