かつて私は,不動産業界では巨額のお金,医療では命,と,どちらも大切なものをやりとりするという点でよく似たサービスと申し上げた.しかし,この喩えが広く活用されたことはなかった.2005年11月までは.
建築物の手抜き工事の問題は,何も構造計算書の偽造問題に始まったわけではないのだが,今回の騒動は,社会的リスクの低減のために,金と労力をどれだけ投入すべきかという,普遍的な問題を議論するいいきっかけを与えてくれた.今回の事件がなければ,高層住宅,ホテル,食品,医薬品に共通するリスク,すなわち,これらのサービスの品質管理の良し悪しが,多くの人生に深刻な影響を与えることを,身近な問題として考える人は少なかっただろう.
高層建築物のような社会的リスクの評価を厳密にしようとすればするほど,膨大な資金と労力がかかる.そのリスク評価を,”規制改革”の錦の御旗の下,役所から民間移したのが99年.この時,誰がこの”規制改革”に反対したのだろうか.
一方,2001年10月に,全国民が一致して,大政翼賛で開始された全頭検査は,年に百億単位の税金を投入して現在も継続され,全頭検査即時廃止を2001年10月の開始当初から叫びつづけている非国民は,日本中で私を含めて片手で足りる人数となった.
つまり,多くの人命や生活の維持に影響する社会的リスクの判断に対して,建築物の場合には公的検査体制の廃止と民営化,牛肉の場合には全面的な公的資金投入と,正反対の二つの政策を国民の皆様は,同時に支持しているのである.
あなたは,今回の建築スキャンダルを受けて,全棟検査をどうすべきと考えるのだろうか.何千億円だかの公的資金を投入して,公的機関による全棟検査を主張するのか,あるいは,これまで通り,小さな政府,民営化改革路線を堅持して,手抜き工事物件を掴まされるのは,”自己責任”で処理すべしと主張するのだろうか.
さて,我々の周りにリスクは建物や食べ物ばかりではない.もっと切実なリスクがある.実際に何百万人もが毎日服用している医薬品のリスク評価は,どこの誰が,誰のお金をどのくらい使って,どのようにやっているのだろうか?
他人が住んでいるマンションの構造にさえ興味が持てる方なら,薬のリスク評価にはもっと興味が持てるはずなのだが,医者でさえ,薬のリスク評価がどう行われているのか,知りもしないで文句ばかり言う連中の何と多いことか.そんな連中の言うことなんぞ,大本営にとっては,犬の遠吠え以下の些細な雑音にしか聞こえないのに.