用務員募集

2007年6月23日(土)-24日(日)に行なわれた第22回日本家庭医療学会 学術集会・総会で会長を務めた白浜雅司先生は,会場整理にこまめに動き回り,周囲から,”まるで用務員のおじさんみたいだ” と評価されたことを喜んでいらっしゃった.さすが家庭医療学会,さすが,白浜先生である.

白浜先生は私と同年代.だから小学校の用務員のおじさんの頼もしさをよく知っている.それが,今は定員削減,業務のアウトソーシングによって,全国から用務員の職位が消失しようとしている.(→ザッツ・学校用務員

”高い専門性”という陳腐なキャッチフレーズが蔓延すればするほど,用務員のような雑用係の必要性は高まる.だからこそ,総合医,家庭医,プライマリケア医,まあ,呼び名がたくさんあること自体が問題なのだが,要するに,ジェネラリストという名の雑用係の必要性を多くの人が感じている.しかし,ジェネラリストという名前さえからも,診療専門医の臭いが抜けない.

大学医学部という,”高い専門性”が尊ばれるところでは,必然的に,診療以外の仕事を引き受けざるを得ない医師免許保持者を必要とする.その典型例が,医局長,病棟医長,外来医長,そして教授といった雑用係・用務員集団である.

”教授なんて雑用係だから”と嘆く教授先生方の何と多いことか.それは,教授の椅子を目指しながら,教授が大学の用務員であることを認知していなかった滑稽な認知障害から生じる悲劇である.雑用係で何が悪い! 用務員の面白さが何故わからない?

大学医学部の教授が楽しい,あるいは面白い仕事だとするメッセージに,公の場面でお目にかかったことが無い.これではいけない.用務員ではなく,専門性の高い仕事ができると,誤った認識の人が教授になって,本人が失望するか,あるいは本来業務である用務員の仕事を全くやらずに自分勝手なことばかりやって周囲から軽蔑されるかのどちらかの悲劇しか生まれなくなってしまう.ではどうすればいいのか?教授の椅子の認識が広く改まらない限り,教授の椅子を必死で目指す認知障害を,責めても,笑っても,悲劇は繰り返される.

小泉純一郎が,”政治家は使い捨てである”と明言したように,”教授は用務員である”と大学側が明言し,かつ,用務員の仕事は面白いと考える人を教授にして,実際に用務員の仕事をやらせて初めて,悲劇が回避できる.悲劇が回避できるばかりではない.用務員が,楽しそうに用務員の仕事をしていれば,自分も用務員をやりたいと思う若い人も増えてくるだろう.

そもそも,大学の医者は雑用係.医局長は雑用係の組頭.大学医局そのものが,雑用学の殿堂である.その殿堂が崩壊しつつある今こそ,用務員の本領が発揮される時である.
 

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