やめろと言われても(2008/9)

PMDAを辞めてから1年以上が経過したが,開発についての相談は一件もなかった.PMDAのDirector Medical Reviewerがフリーになったなら,行列のできる治験相談所ができるはずなのに,なぜだろうか?相談する意味がない→あらかじめ答えがわかっているからだろう.池田に相談しても,「やめろ」と言われるだけだ.そうみなさんがわかっていらっしゃるからだ.

医療の他の分野でもそうなのだが,臨床開発も,公共事業的な色合いがあって,本当は大して患者さんの幸せにつながりもしないのに,そう信じ込みたくて,必死になって不毛な仕事をやっている.そしてそれが患者の幸せにはつながらなくても,雇用の確保や物品の購入につながって,患者さん以外の多くの人の幸せにつながっている事例が多く見受けられる(というか,そればっかりだったりして).

PMDAに来た当初は,どうでもいい開発の数々を見て,どうしてこんな無駄な開発ばかりなんだろうって,不思議に思ったのだが,だんだんと臨床開発の公共事業的性格が見えてきて,そんな開発は無駄だからやめろ,とは,なかなか言えなくなった.

患者さんは幸せにならなくても,患者さん以外の多くの人が幸せになる.そんな開発は無駄だからやめろと言うのは簡単だが,その開発が失敗すると雇用が失われて,不幸になる人がたくさん出たりする.そういう点では,臨床開発は純粋な公共事業としては,未成熟である.

ピラミッドの建設は,公共事業だった.それもただ石を積むだけだから,事業の失敗リスクはゼロで,雇用は必ず確保できる.その点では理想的公共事業と言えるだろう.道路も同様だ.その点,臨床開発は公共事業にするにはリスク・ベネフィットのバランスが悪い.

やっぱり,オーファンの開発の半額は国が負担する,そんな程度の現状が一番妥当なところなのだろう.

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