主権在民
ー国民の皆様あってこその裁判真理教団ー
最高権力者から廃刊しろと言われているNYタイムズ、偽ニュースばかり流すと言われているCNNはさぞかし喜んでいることだろう。権力者からの非難はメディアにとって、最高の宣伝だからだ。リチャード・ニクソンを見習ってサイレント・マジョリティに呼びかけて選挙に勝利した大統領は、その先達が後に辿った運命を恐れるがゆえに、メディアに対して恐怖心抱いている。その恐怖心が嫌悪感となって表出していると考えれば、大統領から非難されるメディアは優越感さえ感じているだろう。
太平洋の向こう側から目を移して、我が国ではどうだろうか?メディアは時の最高権力者から一度でも「廃刊しろ」、「偽ニュースばかり流す」と宣伝してもらったことがあるだろうか?少なくとも戦後に限って言えば、一度たりともない。
「その時々の首相を我々はいつも批判してきた。そして田中角栄を拘置所送りにした実績まである」 そんなとんちんかんな自慢をする奴に給料を払っているメディアは、今時、まさか存在しないだろうとは思うが、念のため確認しておく。
田中逮捕時の最高権力者は三木武夫だった。最高権力者だったからこそ、角栄を拘置所に送ることができた。その最高権力者を「自らの権力維持のために中曽根と共謀して角栄を陥れた卑劣漢」と評価せずに、こともあろうに、「クリーン三木」なる捏造スローガンを連呼するだけだったメディア各社が、権力批判云々とは片腹痛い。
ちまたに言うロッキード事件とは、三木・中曽根対田中シンパ間の自民党内派閥抗争に、野党と検察が絡んだドタバタ政争劇に過ぎなかった(平野貞夫 田中角栄を葬ったのは誰だ K&Kプレス)。「巨悪」なんていなかったし、眠れなかったのはそんなドタバタ劇を文字通り寝食を忘れて追っかけ回していた新聞記者と、そんな記者達にあることないこと垂れ流すのに忙しかった検察の方だった。
それから40年余り。権力者とは誰だろうか?権力者など、どこにもいない。「私が世直しをします」、「私は対立候補よりも清く正しく美しい」と街頭で大声を張り上げ、万が一当選したとしても、その後は足の引っ張り合いが待っている。憧れの権力を手に入れたと思った瞬間にメディアの餌食になっている。
日本は民主主義国家である。そこでは決して特定の個人や組織に権力が集中しないようなシステムが見事にできあがっている。では誰が権力を持っているのか?あなたである。おとぼけめさるな。忘れたとは言わせない。マスメディア、警察、検察、裁判所で構成される裁判真理教団。歴代首相・有力政治家の誰もがひれ伏し続けてきた、現代日本の最高権力装置を支持しているのは、誰あろう、あなたではないか。主権在民。憲法の定めるように、我が豊葦原瑞穂の国の主は、国民の皆様であることを、努々お忘れ勿きよう。
冒頭の宣伝戦略の話に戻る。最高権力から誹謗中傷が、そのまま自分の最高の宣伝になるのは、何もメディアにとってだけではない。トマス・モア、ガリレオ・ガリレイ、マルチン・ルター、そして讃岐の偉人、宮武外骨。その時々の最高権力からの誹謗中傷が何よりも彼らの仕事の質を向上させ、後生に名前を残すこととなった。
北陵クリニック事件への関与で名誉欲が全く無いかといったら嘘になる。いや、名誉欲どころか、歴代の検事総長や最高裁判所の長官のほとんどを輩出した、東京大学法学部は、近代日本法制史資料センターに、私の名前を残したいと本気で思っている。検察庁と裁判所の両方から、天下に隠れもなき藪医者呼ばわりされた医師として。
参考: 韓国政治の病…不条理がまかり通る国 なぜ検察やメディアが“暴走”するのか なあに、40年前の日本をなぞっているだけではないか。
→一般市民としての医師と法