失敗認定能力に関する一考察

教室の大きな行事のマネジメントを引き受けた,ある若手の女性医師からの相談を受けての回答

1.秘書さん達には
> とても心配を掛けてしまうので、なかなか難しいのが現状です。
そんな心配はする必要はないさ。ただ、愚痴を聴いてもらいたいだけと断った上で、素直に自分の悩みを話せば、「お医者さんが私たちに悩みを話してくれるんだ」と感激して共感してくれるよ。そしていろいろな情報をくれる味方になってくれる。

2.今時の教授
「教授はこうあるべきだ」と考える部下は、正直「うっとうしい」と思う人が圧倒的に多いと思うよ。教育、研究、診療に加えて、教授会では様々な役が回ってくるし、教室の全ての部屋の防火責任者だし、実験室にある毒物劇物の管理だって、遺伝子組み換えの大腸菌の廃棄だって、最終責任はみんな教授にあるし、研究室の雨漏り一つとっても教室の長として事務方と交渉しなくちゃならないんだからね。

> まぁ、上手くやってね、というのみで、特にコミットしてもらえるような動きはみられませんでした。
だから、これ、自分の限界を弁えてる大人として、至極ありきたりの反応じゃないかな。自分の弱さ・自分の限界を弁えずに神になろうとしているボスより、よほどましな感じがする。

3.いくつかあった選択肢
> ここで一番下っ端で、未熟者の自分だからこそ、努力して、仕事を達成する姿を見せれば何か雰囲気も変わるのではないか、という幻想のもと、思い切って引き受けました。
あらあら、全然駆け引きなしに引き受けちゃったのね。だってあなたしか引き受ける人がいなかった状況だったんでしょ。その状況をうまく使う手もあったよね。

私だったら、「私、全然自信がありません」って徹底的にブリッ子して、もったいぶった挙げ句に「自信はありませんが、みなさんが助けてくださることを絶対条件にして(しょーがねえなあ、それだけ言うんだったら引き受けてやるけど、トラブルがあっても文句を言うんじゃねえぜ)」と保険をかけた上で、適当に手抜きをして切り抜けていたよ。

そうすれば
> すると、まずは、産休に入る直前に、同期の女医さんから 『○○ちゃん、来たばかりなのに、教授から頼まれたからと言って、少し前に出すぎだと思う』と指摘されました。
こんな指摘も受けずに済んだんじゃないの。

4.でも無駄な後悔は止めましょう
でもその代償として、いろいろな人の正体が暴けたというベネフィットもあったよね。その他にもたくさんの学びが今後見えてくるはず。

> 他人は変えることはできない、自ら努力して変わり、何か周囲に感じるものを与えられたら、
> ということを目標に頑張ってみましたが、ちっとも響かせることなく終わってしまいました。

それはわからないよね。失敗の認定能力なんて、誰も持ってやしないのだから
●大切なことは目に見えない。そして大切なことほど後になってわかる
●失敗は成功の母=アウトカムそのものは変わらない。しかしアウトカム評価は時間経過によっていくらでも変化する
●相撲は負けて覚えるもの。勝って覚える相撲はどこにもない. (朝青龍明徳)
●勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし(松浦静山)

よく,「俺様は(特に他者の)失敗認定能力を持っている=私,失敗しないので」とばかりにでかい面している奴が(検察官や裁判官に限らず)いるけど,その一言だけで失敗否認型認知症の診断が確定しているわけだから,まずはとにかく無限大に距離を取るように.

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