被験者が握る鍵

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東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず 朝日新聞 2010年10月15日

東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。
このペプチドは医薬品としては未承認で、医科研病院での臨床試験は主に安全性を確かめるためのものだった。こうした臨床試験では、被験者の安全や人権保護のため、予想されるリスクの十分な説明が必要だ。他施設の研究者は「患者に知らせるべき情報だ」と指摘している。
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「大学がおかしなことをやっていて,それに協力した被験者は可哀想な被害者であって,こういうけしからん事故が起こるのは大学と規制当局の両方が弛んでいるからだ」って通り一遍の記事です.このような,何かというとお上のお慈悲に期待する(同時に悪いことは全てお上の責任する)陳腐な父権主義的な視点に,朝日のような三流メディアがいつまでも囚われているのは当然としても,読者までもがそんな見方に巻き込まれる必要はありません.

臨床試験において,被験者は最強のステークホルダーです.一般市民がそういう力を持てることを自覚して,被験者の立場から,この記事で扱われたよりもはるかにどうしようもない数多の臨床研究を淘汰することは,お上が出す紙切れよりも,三流メディアの報道よりも,はるかに有効ですし,正道です.

お金を出して商品を買おうという人でさえ,その商品の説明をよく聞くわけです.ましてや,臨床試験の被験者になるような人は,リテラシーが高く,臨床試験に対して高い関心を持っている,そういう方々に,良質な臨床試験とはどういうものかを知ってもらう=質の悪い臨床試験を見抜く力を持ってもらい,その知恵をさざ波のように広げて,多くの人が共有していく.ネットはそういう面白い仕事のためにあります.

臨床試験に関する医者の教育も,被験者の見識が鍵です.なぜなら,(まともな)医者は患者から学ぶように訓練ができているからです.問診は音声言語で患者の病気の歴史を教えてもらうこと.診察は非言語性のメッセージで,体の具合を患者から教えてもらうこと被験者との対話の中で,自分も勉強しないと
と気づくことは,臨床研究を続けるために強制的に参加させられる講習会よりもはるかに強力な動機付けとなります.

被験者→地域住民(日本全体を考えるから気が重くなります.医療は所詮地場産業ですからユーザーも地域限定で考えるのが現実的です)の臨床試験に関するリテラシーが向上すれば,いかがわしい寄付金を自分の懐に入れるために患者を食い物にするような行為に対する厳しい目が,患者の目に敏感な医者の中にも生まれます.そうすれば施設の倫理委員会でも,そのような観点から審査が行われるようになります.一旦ある施設,ある地域でそういう動きが起これば,以後は助け船がなくても,質の低い臨床研究淘汰の動きが全国に広がっていきます.

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