専門医の意味
先日、神経内科専門医試験を通ったばかりの若手と話した。シャ
ルコーとババンスキーの観察態度の違いを含めて、いろいろ話したのだが、一番わくわくしたのが、打腱器の話。先のゴムの形から始まっ
て、その堅さ、性状(通常のゴムかシリコンゴムか)、その重さ、柄の長さ、握りの太さ・・・
私が一番嬉しかったのは、打腱器の柄の握りの太さとそれが手首の動きの自由度に及ぼす影響、柄の長さと先端の重さから生じるモーメントについて、
夢中になって話せた時だった。あんなことを話したのは、生まれて初めてだった。今日までずーっと話したくて仕方がなかったのに、それを聴いてもら
える人と時と場所と状況とが揃った試しがなかったからだ。
専門医 vs 総合医の暇
人達による不毛な論争は、23世紀以降も続くだろう。どうせ暇人達のおしゃべりなのだから、そんなものはどうでもいい。他人が私をど
う呼ぼうが、そんなことはどうでもいい。総合診療医だろうが、ドクターGだろうが、勝手に呼ぶがいい。
私の仕事は医師である。医師として少年鑑別所・刑務所に勤めている。辞令も職務分掌も俸給表もすべて医師としてのそれであり、総合診療医という呼
称も、米国内科学会会員資格も、神経内科専門医資格も、日本内科学会総合内科専門医資格も、全て関係ない。それらは私の趣味の問題であって、仕事
とは一切関係ない。
私にとって神経内科専門医の意味は、打腱器の柄の握りの太さとそれが手首の動きの自由度に及ぼす影響について、ミッドウェー海戦を語る時と全く同
じ情熱を持って語れることにある。
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