新薬審査と市販後安全体制の分離

審査部と安全部
日本では、新薬が世の中に出ていくために、規制当局(厚労省、PMDA)の中で、1.承認審査、2.保険適応(薬価収載)、3.市販後安全性の吟味 という過程を辿る。さて、この3つの過程に携わる人間のうち、どの部門の人間が一番偉そうに振舞っているだろうか?規制当局の中を少しでも知っている人間は容易に答えられる質問である。そもそも、承認されなければ、商売にならないのだから、薬価も市販後もへったくれもない。昨今の流行キーワード、ドラッグラグで脚光を浴びるのも、承認審査である。臨床試験データを厳密に吟味して国民の命と健康を守る新薬審査部門は、PMDAの中枢である。

上記のうち、1.承認審査と、2.保険適応(薬価収載)の分離については、前述した。ここでは、PMDAの新薬審査部門(以下審査部門と略:厚労省で対応する部署は審査管理課)と、市販後安全性部門(以下安全部門と略:厚労省で対応する部署は安全対策課)の分離について考察する。

なぜ分離なのか
なぜ審査部門と安全部門とを分離するのかと考える前に、そもそも、なぜ、新薬承認審査と市販後安全性を同じ組織内で考えてきたのだろうか?同じ薬のことだから、そんなこと、当たり前じゃないかって?そうだろうか?

医薬品以外の工業製品の安全性を考えてみよう。例えば、自動車。製品として世の中に出る前に、品物そのものの性能を吟味する部門と、世の中で実際に使われる時の、ユーザーを含めた安全性を規制する部門は同じ組織内にあるだろうか?

食品はどうだろうか?BSE問題をきっかけに、産業界寄りの農水省だけに規制を任していてはだめだという国民的合意ができたからこそ、食品安全委員会が設けられたのではなかったのか?

審査部門はどうしても製薬企業寄りの判断が出る可能性があるが、市販後安全性部門では、その可能性をずっと低くできる。そう思いませんか?有効性と安全性の判断というが、片方の判断がもう一方への判断にバイアスをかけることだってある。新薬審査での問題意識を持って、市販後に臨むというと、何だか立派に聞こえるが、その実、自分が承認した薬に関して、市販後に重大な問題が生じた時、冷静な判断ができるわけがない。おわかりだろうか?審査部門と安全部門の分離の方がむしろ適切な判断ができるのだ。

お金の面でも分離するしかないでしょう
安全部門の仕事の性質を考えれば、企業から給料をもらうわけにはいかないことはすぐわかる。企業だって規制当局の安全部門の給料なんて払いたくないに決まっている。しかし、現在は、PMDAに対する企業のユーザーフィーは、新薬審査部門ばかりではなく、安全部職員の給料にもなっている。こんな異常事態がなぜPMDAの運営評議会で問題にならないのか、不思議なくらいだ。PMDAの臨床医不足と同じように、誰にとっても耳の痛い話なので、関係者全てが見ざる言わざる聞かざるを決め込んでいるのだろうか。

どうする?「あり方検討委員会」
現在、どういう経緯か、「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」で、安全部門を300人以上に増員した上で、新たな組織である医薬品庁をどこに(厚労省の外か中か)置くかで侃侃諤諤の議論が展開されている。しかし、このあり方検討委員会では、あくまで、審査部門と安全部門を一つの組織として考えている。では、審査部門と安全部門を分離した場合はどうなるか?財源の問題から考えれば、選択肢は自明である。

審査部門は現在のユーザーフィーで賄う。だからPMDAと同様の独立行政法人になる。まさか審査部門まで、厚労省内に戻すわけにはいくまい。一方、300人以上に肥大した安全部門にまで企業は金を出すはずがない。必然的に税金で賄うしかない。かくして公務員が増える。厚労省単独で、300人以上増える。市民の安全を守るためだから、警察官の増員と同じように、国民の皆様も納得してくれるに違いない。

しかし、問題の本質は、人数とか財源とか、そんな下世話な話にあるのではない。どうしたら、機能する組織ができるのか?どうやって人材を確保し、教育を行って人を育てていくのか。どうやって楽しく、働きやすい職場を作るのか?サービス残業と閉塞感の毎日が繰り返されるような組織をもう一つ作っても、国民の命と健康など守れるわけがない。

国の責任、自分の責任
医薬品庁を巡る議論の中で、度々、「国の責任」という言葉が出てくる。その言葉はそのまま、「自分の無責任」となる。「国の責任」とは、自分は何も引き受けないぞ、何かあったら必ず国を責めるぞ、その時の厚生労働大臣にテレビカメラの前で土下座させるぞ、辞めさせるぞ、自分は罵詈雑言を発する以外のことは何もしない能無しだぞ という宣言に他ならない。
実は、あなたはそんな能無しではない。そして他の一般市民もそんな能無しではない。ここを読んでいるあなたは、自分自身が使う医薬品のリスク・ベネフィットの判断ができる。それがあなたの引き受けられる責任だ。小さいけれどもすばらしい責任だ。そこからあなた自身のリテラシーが生まれる。これまたなんと素晴らしく楽しいことではないか。その楽しさを周りの人に伝えよう。医師は患者に、患者は家族に、そして友人に。そこに教育がある。

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