開発か信仰か

「専門家がそう言っている」 これが主張の唯一の根拠と聞こえる場合がしばしばあった.

「専門家がそう言っている」と主張する時の根拠の脆弱さにあなたはもう気づいているだろう.誰もが納得していることが,普遍性こそが一番頑健である.地動説,重力の存在とまでは言わない.高血圧を放置すれば,心筋梗塞や脳卒中のリスクが高くなることは専門家だけが知っているわけではない.誰もが知っていることである.

「専門家がそう言っている」との言辞は次のことを意味する.

○専門家の言ったことを無批判に受け入れて垂れ流しているだけである.

○したがって,その”専門家”の主張を本当に理解していない.その証拠に,その主張に対する疑問に答えられずに,ただ,幻の権威にすがって,”専門家がそう言っていると鸚鵡返しを繰り返すのみである.

○つまり,専門家は,この代弁者に,自分の主張を理解させることに失敗していることになる.

○自分の主張を代弁者に理解させることができない理由は,次の二つである.第一に,その主張が嘘っぱちである.第二に,その自称専門家が,自分の主張を代弁者に理解してもらうだけの説明能力に欠けている.

誰もが納得できるようなことだったら,わざわざ専門家に判断を仰がないだろう.一部の専門家しか判断できないようなことは,それだけ判断自体が難しいことを意味する.それだけ,その判断自体が危ういのである.ちょうど,「常温核融合」のように,一見めざましい結果のように見えて,追試のできない実験データのようなものである.

誰にでもわかりやすく説明できるほど,その分野のことがよくわかっている人だけが,専門家と呼ばれるに相応しい.代弁者ににわかりやすく説明できないのは,自分の頭の中が整理できていないから,自分の主張への理解が不十分だから,自分でもよくわかっていないから.そんな人間を「専門家」と呼んですがりつくような開発の支援は気が重い仕事である.

「専門家がそう言っている」=「教祖様がそうおっしゃっている」

これでは,開発ではなく,信仰である.

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