正義は無知を武器にする
無知の利便性と依存性
医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞した新聞記者による「ディオバン事件追及の一大事業」の第一歩は,SBP, ARBが何の略号かを調べることだった.この率直な告白は,無知に対する無恥,その羞恥心の欠如が,自分の行動を「千里の道も一歩から」の美談に仕立て上げたためである。.
デフォルト正義
自分はデフォルトで正義の存在である.そう信じて疑わない職種の代表が,ジャーナリスト,市民団体,警察官,検察官である.このデフォルト正義の気概があれば,どんなに無知であっても恥を知らずに仕事ができる.肋骨の本数を知らずに心臓血管外科医に「自白」を強要できるのも,脈の取り方一つ知らなくても,診療録を読めなくても神経内科医を藪医者呼ばわりできるのも,すべてこのデフォルト正義感のおかげである.
デフォルトだから,根拠がばい.疑問も沸かない.自分には正義という仕様が元々備わっているという信仰の下,彼らはいとも簡単に暴走する。その結果,数多くの犠牲者を出る.ところが彼らはデフォルト正義だから,彼らの辞書には暴走という言葉はない.だから彼らは犠牲者の声を無視し,お得意の記銘力障害を発揮して次の暴走に移っていく.何ともお気楽な商売である。
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