猶も鹿鳴館時代

日本でもいちいち臨床試験をやらなくてはいけないのか?という質問の背景には、や
はり歪んだパターナリズムがある。できればやりたくない。やらなくてはならな
いのならば、その理由をお上に示してもらいたいってことだ。

抄読会は義務ではなく権利であると、私は師匠から教わった。臨床試験を、大切
な仕事として、自分の業績を示す絶好の機会として捉えられないこの情けなさ。これ
がネズミ相手の試験だったら嬉々として飛びつく連中がだ。そんな連中にはねず
みのお医者様がお似合いだ(実際にそういう連中は多い)。人間様を診る資格なんか
ない。

金がない、人手がない、環境が整っていない。文句の数だけは一人前なんだから。で
きないんじゃなくて、あんたがたがやらない、怠けているだけなんだ。英国の人口は
我が国の半分以下で、経済力、公衆衛生環境も彼の国はわが国よりも下にある。しか
るに臨床試験の成果の彼我の差は何ぞや。文句を言う暇があったらBMJに筆頭著者
で書けるぐらいの仕事をやってみろってんだ。何もABCD揃い踏み(下記注)の大
規模試験だけが臨床試験じゃない。

かつて我々の父母、祖父母はABCD包囲陣、鬼畜米英を向こうに回し、4年間も戦争を
戦った。わが国にはそれだけの力がある。臨床試験の一つや二つ何故できない。わが
国でもさまざまな学問が進展する中で、ひとり臨床試験のみが鹿鳴館時代のままに放
置されていいわけがない。

(若者向けの注:ABCD包囲陣:ABCDはAmerican, British, Chinese, Dutch。大
東亜戦争前にはこのようなキャッチコピーで、国民の被害者意識を煽った)

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