我もまた三界に家なし

引き続き17枚の在職証明書に まつわる話。やっぱり、awayの環境に身を置くのが好き というか、awayの環境でこそ成長していく自分に輝きを見いだせることがわかってしまったか ら、同じところに5年もいると次なるawayの環境を求めるようになってしまったというのが正直なところだろう。考えてみればawayの連続だった。

常に「アウェイ」な環境に身を置くことの大切さ、「強み」に閉じ込められる怖さ

そ もそも歴史の研究で身を立てたいと思っていた人間が、臨床医をやっているんだから、それだけで、ものすごいawayじゃないか.本拠地を求めて渡り歩いて いるうちに,homeとawayを区別することに疑問を持ち,そのうちに,自分が何者であるかを他者や肩書きや居場所や環境に裏書きしてもらう必要性にも 疑問を持つようになる 自分の経歴をそう表現して悦に入っていたら、うーん、七歳の子に負けてるんですな、これが。←「三界」

老いも若きも、まして男であれ女であれ、みな本当に安らぐことのできる場所は、三界を超えたところにこそ求めよ、ということである。

「我もまた三界に家なし」なあんて大見得を切れるようになるためには、あとどれだけawayの輪廻を繰り返さなくてはならないのだろうか。「総合診療医」なんて下衆な看板を背負っているようじゃあ、極楽浄土は夢のまた夢ですな。

参考1: 堀江貴文氏が楽天三木谷社長の23億円豪邸購入に「スケールが小さい」 「三木谷さんが豪邸に23億円っていうのは、スケールが小さすぎて。俺が人類の夢に投資するんだと言って欲しいのに、23億円あるんだったら他に使う場所があるんじゃないかと言いたい」 相変わらずライバル同士ですが、塀の中を経験して「家に住むことを止めた」分、堀江さんの方に絶対的な強みがあります.自分には家があるべきだと家を探して迷い歩くのと,別に家なんか必要ないと流浪するのとでは天地の差があります.

参考2: 女子高生という価値の喪失後に 夜のオネエサンの受験論 共感するところが多いインタビューです.
高3になって卒業後を考えました。もうすぐこの日常は終わってしまう。女子高校生という価値が失われた自分に何が残るのか。女はしたたかです。刹那(せつな)的な楽しみを重視するギャルであっても、卒業後は勝っていたい。←この「勝っていたい」という気持ちはすごくよくわかります.私自身は「したたか」ではないと思いますが,もしかしたら,「日本一伝統のある」大学医学部教授を任期満了退職した後に四国の少年鑑別所に務めて学校の養護教諭役と刑務所のお医者さん役の両方を務めつつ,レギュラトリーサイエンス研究と臨床研究を進めつつ最高検と最高裁を大本営呼ばわりする,そんな私は,鈴木さんから見たら,ひどく「したたか」なのかもしれません.

女子高生から女子大生へのパラダイムチェンジ(価値の転換)を遂げた後どうなったか。結局、あの万能感が忘れられなかったというか、今度は夜の世界に吸い寄せられたというか←「あの万能感が忘れられなかった」というのも私と同じ.私にはAV男優への誘いがかからなかっただけ.

誰しもが両義性を抱えながら生きてると思いますが、私は女子高生や女子大生といった価値に、アイデンティティーを依拠していた一方、「この子はこういう子だ」といった枠に押し込まれることが嫌でしたこの気持ちはよくわかる! 私も「なんだ,ただの医者じゃねえか!!」「なんだ,ただの医学部教授じゃねえか!!」と言われるのが死ぬほど嫌だったから。

医師免許を取ったら「あいつはただの医者じゃない」と呼ばれたいと思う。大学教授になったら大学教授という肩書きに安住したくないと思う。矯正医官になったらとても矯正医官には見えないようになりたいと思う。そういうもんじゃないのか?

Home & Away:だんだんと境界線がぼやけていく風景
歳 を取れば取るほど、自分の肉体の消滅を意識するようになります。そこで現世をホームと,あの世をアウェイと決めつけてこの世に固執すれば(*)、自分の肉 体の消滅をどんどん恐れるようになってしまう。一方で、現世だけがホームなのではなく、あの世もまたホームであると考えれば、自分の肉体の消滅を恐れる必 要を感じなくなるのでは?

自分の肉体がこの世にありながら、心は極楽浄土に遊ぶ。そういう境地に憧れます。現世にいるうちに、どうでもいいことをどんどん切り捨てる(=煩悩から自由になる)。上記堀江さんも「余計なモノは全部手放したので、本当に身軽」って言ってます。

一 方で、この世から自分の肉体が消滅しても残る一番大切なこと、つまり自分の魂を、後に残る若い人と少しずつ共有していきながら同時に自分も成長していく (=教育・学習)。そういう作業を、この一瞬・今日一日積み重ねていけば、自分の肉体がこの世にありながら、心は極楽浄土に遊ぶ境地に一歩一歩近づけるの ではないかと思っています。

日野原先生御自身は、ベストセラーになった本の題名を「死に方上手」にしたかったそうですが、出版社の社長から「それでは売れないので」と懇願されて、「生き方を考えることは、同時に死に方を考えることだから」と考え直して、題名を変更したそうです。

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