真理教諸々
審判の結果は審判が確定してからでないと評価できない。だから、医者は医師免許を取った後が勝負所である。なぜなら診療現場で散々揉まれて初めて一人前になれるからだ。当たり前だと思うだろうか?ならば、その当たり前のことにあなたはどう関与しているだろうか?
FDA真理教にいつの間にか入信していないだろうか?
医薬品は承認後にこそ真価が問われる。なぜなら、臨床現場とは異なる実地診療の世界で揉まれて初めて安全性が確認できるからだ。ならば、どこかの偉い先生がどんなにその素晴らしさを吹聴しようとも、「期待の新薬」には、直ぐさま飛びつかず、市販後の安全性が確認されてからおもむろに使い始めるようにしているだろうか?
トップジャーナル真理教にいつの間にか入信していないだろうか?
論文は掲載後にこそ真価が問われる。なぜなら、掲載前は、ほんの数人の査読者が目を通しただけなのに、掲載後は無数の読者の目に晒されるからだ。ならば、あなたは、トップジャーナル掲載論文だからといって、白紙委任状を自動発券しないように心がけているだろうか?どこかの偉い先生がどんなにその素晴らしさを吹聴すればするほど、胡散臭いと思って、どこかにごまかしが隠れていないかと意地悪くAppendixまで目を通しているだろうか。
そして検察真理教・裁判真理教にいつの間にか入信していたあなたがいる
医療事故があれば、新聞記者は記事を書けば書きっぱなし、警察は捜査をすればやりっぱなしで検察に丸投げ、警察の捜査に対するチェック能力のない検察は起訴すればしっぱなしで、裁判所が有罪を自動発券して、「真相究明」で大団円。この間のプロセスを誰一人批判することなく、確定判決を誰一人批判的吟味することもなかった。それはあなたが検察真理教と裁判真理教にいつの間にか入信してしまっていたからではないのか?
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