発表は全て大本営である
ーゆえに新聞記事は全て良質な教材であるー
そもそもフェイクニュースという言葉自体が気に入らない.我が豊葦原瑞穂の国には,大本営発表という立派な言葉があるではないか.と粋がってみても,所詮は大東亜戦争敗戦国の人間の遠吠えと思われるだけだ.
やれWikipedia創設者ジミー・ウェールズが,Evidence-based Journalismとのスローガンの下,フェイクニュースと戦う「Wikitribune」を立ち上げるとか,やれ罰金58億円のドイツの「フェイクニュース対策法」とか,やれGoogleがフェイク記事対策に乗り出したとか,フェイクニュース「撲滅運動」が喧しい.随分と無駄なことをするもんだ.忙しいと言っておきながら,実はひどく暇を持て余している人間がこの世の中には溢れていると見える.
メディアの中では常に新聞が信頼度の第一位を占めている.では,その新聞にはフェイクニュースが少ないか?否である.新聞を含めたあらゆるメディアでは,フェイクニュースは,必ず「なかったこと」になる.
台湾沖港空戦,下山事件の真犯人,伊藤律特高スパイ説,ロッキード事件,薬害エイズ,毒殺魔守大助・・・刑事裁判が全て冤罪であるように,全てのニュースは大本営発表である.なぜなら,大切なことほど後になってわかるから.だから,フェイクニュースを撲滅するのは,フィリピン全土からゴミの山をなくすよりも困難な仕事,つまり不可能である.フェイクニュースを撲滅するためには,メディアそのものを撲滅するしかないが,メディア撲滅なんて誰もやりたくないだろうし,やるべきではない.
なぜならば,今そこにある報道記事・番組こそが,メディアリテラシー教育の絶好の教材だからだ.その記事・番組が大本営発表であることを証明することこそが,真のメディアリテラシーを育てるからだ.
→法的リテラシー