名医呼ばわりのワナ
-そして藪医者呼ばわりの利得-
「自分はテレビなんか出ないから名医呼ばわりなんて関係ない」 あなたがそう思っているとしたら,それは大きな間違いだ。
たとえば、「××先生のところで風邪だと言われたんですけど、なかなか熱が下がらなくて」とおいでになることはしょっちゅうだろう。「お前は後医だから名医にして進ぜよう」という、ありがたいお申し出を、あなたはどう躱(かわ)しているのだろうか? それとも名医の称号をありがたく 頂戴してばかりいるのだろうか?
「今まで掛かった医者は全部藪だった」とあなたの目の前で平気で言う奴には要注意だ。そいつは,次の医者のところでもまた同じ事を繰り返すに決まっているからだ.
「母が△△病院に入院しているのですけれども、リハビリもろくろくやらずに放置されて」という言葉を無邪気に真に受けていないだろう か?リハビリテーションが何らかの理由でできなくなっている可能性は?リハビリテーションが必要でない可能性は?”リハビリテーションもろくろく やらず”という評価の妥当性は?
患者が持参した紹介状からは謙虚な後光が差している。もしあなたの臨床の目が盲目でなければ、その光が見えるはずだ。そうすれば、名医呼ばわりのワナが見える。「○○先生にわからなければ自分にわかるはずない」と思える。そして患者の前で堂々と「私にもわかりません」と言える。
えっ?その後どうするのかって?そんなこと,あんた考えなよ。だって、あんた医師免許持ってるんだろ。そして、これまで医者やってきたんだろ。
まあ,安心しなよ。あとは患者様が決めてくれる。「私にもわかりません」は、魔法の言葉だ。「なんだ、この藪医者め」と心の中で悪態をつきながら、疫病神が去って行ってくれればそれでよし。(*) しかし、患者がそこで踏みとどまってくれれば、それは神様だ。「わかりません」という医者を「こいつは見所があるから、一つ教育してやろう」と思ってくれる神様だ。
*疫病神はあなたが働く地域であなたの悪口をさんざん撒き散らすだろう。そしてあなたの外来はひどく暇になるだろう。医者が暇になるのは、医者に とっても患者にとっても幸せなことだ。疫病神はこうして人々の幸せに貢献している。仙台地検・高検の検察官や仙台地裁・高裁の裁判官達が再審請求棄却決定書で、私のことをさんざん藪医者呼ばわりしてくれたおかげで、私は余裕を持って診療できているのだ。
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