臨床研究法が臨床研究を撲滅する
日経メディカルOnline 2017年3月掲載

今国会で成立予定の臨床研究法案の第一条は、臨床研究の推進を謳っていますが、実際には逆の効果が予想されます。なぜならこの法案は、最高で3年以下の懲役、300万円以下の罰金、またはその両方が課せられるとした刑事罰規定を設けているからです。

生物統計家の立ち去り型サボタージュ
 臨床研究法が生物統計家の立ち去り型サボタージュを招き臨床研究を撲滅する。それがドラッカーの言うところの「既に起こった未来」であることは、この法案が生まれるきっかけとなったディオバン事件裁判の被告人が誰だったかを考えれば自明です。臨床研究を手伝っただけで刑務所に送られるならば、誰が協力するものですか。

 白橋伸雄氏の無実は認められましたが、それはあくまで裁判所が、公訴事実とされた当該論文は薬機法(旧薬事法)の言うところの誇大広告には該当しないと判断したからであって、臨床研究法では明らかに有罪となります。なぜなら同法で罰則規定の対象となっているデータ改竄はこの裁判でも認定されたからです。

 ディオバン事件裁判は、来たるべき新法の効果を検証する絶好のパイロットケースでした。今後とも厚労省と東京地検特捜部による緊密な連携の下、GCPなど一切関係なく、関係医師から任意で事情聴取を行い、生物統計家によるデータ改竄を認定するだけで、有罪率99.9%は間違いなし。さらにその研究を主導した医師に検察側証人としてご登場願えれば、その確率は100%を超える(?)かも。

 刑事罰により臨床研究を推進するという倒錯したコンセプトに基づく法案に対し、ディオバン事件裁判の判決に一見失望しているように見える報道各社が大きな声援を送っているのもこのためです(関連記事1関連記事2)。医師法第21条と業務上過失致死傷罪(業過罪)のコンビネーションで医療者を吊し上げ、立ち去り型サボタージュによる医療崩壊を招いた「悪夢よもう一度」というわけです。しかし臨床研究法下で本当に生物統計家の立ち去り型サボタージュが起きるのでしょうか?そこで白橋氏が医師や報道から受けた仕打ちを振り返ってみることにします。

臨床研究法下での生物統計家の運命
 業過罪により末端の医療者を吊し上げる裁判の場合、たとえ公訴事実には争いがない場合でも、被告人を弁護する医師はいました。一方、ディオバン事件は、誇大広告という公訴事実が存在しない冤罪でした。その裁判に登場したのは、ノバルティスから資金を提供され、白橋氏の支援を受けてKyoto Heart Study (KHS)を主導した医師達でした。彼らは白橋氏を弁護するどころか、検察側証人として白橋氏を刑務所に送ろうしました。

 病院幹部により「患者殺し」の汚名を着せられた佐藤一樹氏は、心臓血管外科医としてのキャリアを台無しにされました。それでも佐藤氏は10年かけて東京女子医大から「衷心からの謝罪を引き出しましたが、それも佐藤氏を応援した医師がいたからこそでしょう。

 一方、KHSを主導しながらも検察側証人台に立って白橋氏を刑務所に送って口封じしようとした医師達は、決して白橋氏に謝罪しないでしょう。せっかく検察側証人という免罪符を研究者としての良心と引き替えたのですから。それにいまさら色褪せた免罪符を放棄して、良心を取り戻したと宣言しても誰も信用してくれません。

 2013年初頭から始まった報道合戦の標的とされた白橋氏は、1年半にわたり追い回され、仕事も私生活も滅茶苦茶にされた挙げ句、2014年6月に逮捕され1年半にわたって勾留されました。その後無実が認められ、「白橋被告」から「白橋さん」との呼び名を取り戻すまで、さらに1年余を要しました。報道による私刑が計4年以上にわたったのです。

 報道記者は、逮捕・勾留されだけで推定無罪ならぬ確定有罪扱いします。ましてや起訴され、公判で被告席に立てば真犯人も同然の扱いを受けます。白橋氏の場合も例外ではありません。その証拠に、白橋氏の無実を喜ぶ報道はただの一つも認められません。ましてや白橋氏に謝罪する記者などいるわけがありません。もし今後も報道による私刑が続き、「研究不正に手を染めながら、裁判官を騙して仮初めの無実をむしり取った狡猾な知能犯」とのラベルが白橋氏について回るのならば、彼に生物統計家として身を立てていく道はありません。

誇大広告も研究不正もなくならない
 「薬害」裁判に対する私の当事者意識は、4年間にわたる厚労省医薬品医療機器審査センター(PMDEC、後のPMDA)での新薬審査で醸成されました。イレッサ訴訟が始まったのは2004年でしたが、私が入省した2003年7月にはすでにPMDECの一角に、将来の国家賠償訴訟に備えて山積みの資料が置かれていました。

 少なくとも私の在籍当時、血友病HIV病裁判で業過罪に問われた松村明仁氏(事件当時厚生省生物製剤課長 2008年3月有罪確定)の運命を知らないPMDEC/PMDA職員はいませんでした。そこには常に「自分達が審査に携わった新薬の副作用でいつ何時訴えられるかもしれない」という緊張感がありました。国が行う新薬審査でさえもそうしたリスクを覚悟せねばならないのです。ましてや裁判に対して一切無防備な臨床研究をや。

 どんな臨床研究でもデータ管理は決して完全ではありません。言い掛かりをつけようと思えばいくらでもつけられる。それは生物統計家が一番良く知っています。刑務所送りを覚悟しながら臨床研究を支援するほど、彼らはお人好しでも間抜けでもありません。こぞって臨床研究から立ち去り、治験に専念するでしょう。では、そうして日本の臨床研究が撲滅されれば、誇大広告も研究不正もなくなるでしょうか?

 とんでもない。ディオバン事件であれほどのお祭り騒ぎを繰り返しても海外の黒幕には指一本触れられなかったことを忘れてはなりません。日本の臨床研究が撲滅された後は、FDAとNEJMが共謀してでっち上げたセレブ誇大広告が、セイタカアワダチソウやアメリカザリガニ顔負けに跳梁跋扈する世の中になるだけです。

2018/7/24追記
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臨床研究の審査料100万円は「妥当な額」  国がん中央病院・藤原副院長(日刊薬業 2018/7/23 20:21)
(前段略)
●臨床研究法の問題点、指摘相次ぐ
 同日の臨床研究法をテーマにしたシンポジウムには、法律を所管する厚労省医政局研究開発振興課の田中大平課長補佐も参加し、聴講した大学病院医師から田中氏に質問や意見が相次いだ。会場からは希少疾病の臨床研究は患者数が少なく製薬企業からの資金面の支援を得るのが困難で法対応が困難との意見や、進行中の多くの臨床研究を法律の経過措置に伴い年度内の期限までに認定臨床研究審査委員会に全て諮ることは物理的に困難で、研究を途中で強制的に終了させてしまう案件も出てきかねないなどの悲鳴が出た。
 司会役の藤原氏は「われわれも含めて法律が議論されている時に無関心で、知らない人がヒアリングに呼ばれて議論され、法律が決まったのが一番の問題だ。いまさら厚労省の人を責めてもしょうがない。これから数年かけてわれわれ臨床現場の人間がこの法律では患者が救われない、こういう実態が起きたと大きな声を上げていくのが大事だ」と述べ、機会あるごとに現場の実態について声を上げていくことが必要と呼び掛けた。
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