医療事故報道におびえる管理者

  「いよいよ事業者に直接取材を敢行しようかと考えていたところ、上司が私に告げた。『それ、サツに情報を渡せ。サツに事件としてやらせろ』。取材で得た情 報を警察に提供し、刑事事件として捜査してもらう。その代わり、捜査着手の際は優先的に教えてもらえるから、スクープとして記事を書くことができる。そん な理屈だった」(高田昌幸著『真実~新聞が警察に跪いた日~』角川書店)

  上記は著者(当時、北海道新聞記者)が、不法投棄を繰り返す産廃業者を記事にしようとした時の経験談です。医療事故の際、病院管理者がおびえるのは、この ように警察と密接に連携した一般大手メディアからの攻撃です。もし警察への通報が遅れれば、自分が「事故隠し」との猛烈な攻撃の矢面に立つ。逆に一般大手 メディアの手先となって迅速に警察に通報すれば、「国民感情」も刺激せずに済む。そういう計算が働いているのでしょうか。実際、ウログラフィン誤使用事故では、一般大手メディアからの攻撃は、一部では実名まで出てしまった担当医に向けられ、管理者は型どおりの記者会見だけで難を逃れました。さらに、「病院側は、事故の後、すぐに警察に事故の届出をしている。この点は、模範的な対応だったと思う」と御遺族からも高い評価を頂いています。

恫喝商法の犠牲者

 非開示情報をすべて「隠蔽」と決めつけ、その組織に「国民の皆様に対して不正を働く悪の組織」のラベルを貼って国民感情をあおる。そんな“国民感情専門家集団”よる恫喝商法の端緒が、20019月に始まった牛海綿状脳症(BSE いわゆる狂牛病)パニックでした。彼らは雪印食品(20023月従業員1000人を解雇し会社を清算) を皮切りに、赤福、石屋製菓、船場吉兆、不二家、伊藤ハム、ローソンと、2000年代以降、食品企業や飲食業を次々に血祭りに上げ、元検察官で弁護士の郷原信郎氏の追求さえはね付けるモンスターメディアに成長しました。

 いわゆる「杏林大割りばし事件」を巡って、医師に対して誹謗中傷を繰り広げた件で、後に放送倫理・番組向上機構(BPO)から「重大な放送倫理違反」勧告を受けることになる「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS)に対して、20071月、郷原氏は不二家に対する報道内容における捏造疑惑を追及しました。しかしTBSは「取材源の秘匿」を振りかざして取材経過に関する事実を覆い隠し、 公共の電波で「無償広告」を行って報道被害を受けた側を懐柔するという卑劣な手段を使ってまで、郷原氏の追求に徹底抗戦したのです(郷原信郎著『思考停止社会』講談社)。

 この恫喝商法はWHOによるメディア関係者のための自殺予防の手引きもどこ吹く風とばかりに、痛ましい犠牲者も生んできました。我々は1年前に理化学研究所の笹井芳樹氏を失いました。インペリアルカレッジロンドン上席講師の小野昌弘氏はその追悼文の中で、「科学者の君は 殺されたのだ」としています。2004年の鳥インフルエンザパニックの際には、京都府にある浅田農産の会長夫妻が自殺しました。2001年からの牛海綿状脳症(BSE)パニックの際にも5人の自殺者を 出しています。警察への通報には熱心でも、自分が回避した恫喝の矛先がどこに向かうのかも考えない。そんな管理者を生み出すのも、この恫喝商法です。そし て、「患者の立場になって考える医師」が「部下の立場になって考える管理者」になるとは限らない。そんなことを我々に教えてくれるのもまた、この恫喝商法 です。

 高濃度カリウム製剤事故の例からもわかるように、業務上過失という法の抜け穴からは、事故の「主犯」であるシステムエラーはもちろん、救命可能性や事故防止策を含めた重大な事実の数々がすり抜けていきます。モンスターメディアは「真相究明」を叫びながら、真相究明能力のない裁判を利用して末端の医療者だけを吊し上げる扇情的な報道により収益を上げます。そして判決後にはすべてを忘れたふりをして次の餌食を求める一方、北陵クリニック事件を始めとした「不都合な真実」に対しては完全黙秘する。幾多の報道で繰り返されてきたこの悲劇を、医療事故調査制度(事故調)を使って阻止できるかどうかは、ひとえに我々一人一人の法的リテラシー・メディアリテラシーにかかっています

悪循環を断ち切る鍵を握るのは?

こうして、「事故発生扇情報道の嵐真相隠蔽裁判関係者の完全黙秘事故の忘却事故再発」という悪循環が、テレビドラマ水戸黄門のように延々と繰り返されてきました。モンスターメディアが創るこの悪循環を断ち切れるかどうかは、一番の潜在的被害者である若い医療者の行動如何にかかってきます。大 切な部下のこれからの人生への配慮よりも、警察への忠誠心を優先するような管理者の下では誰も働きたいとは思いません。そんな管理者が支配する病院では、 優秀な人材が流出し、職員の士気が低下し、事故が起こる可能性が高くなり、実際に事故が起こればさらにまた人材を失う。この悪循環の被害者になるのもま た、若い医療者です。

19825月、新人研修医オリエンテーションの場で、病院長から医師になったばかりの私たちに言い渡された最初の仕事が医師賠償責任保険加入の手続きでした。今から33年前でさえ、管理者も研修医も事故に対してそれだけ敏感だったのです。ましてや、あと1カ月余りで事故調が発足するという今の時代、病院管理者の事故対応は、マッチング開始を来月に控えた多くの医学生にとって、臨床研修病院選択の重要な判断基準となっています。そんな彼らが、高濃度カリウム製剤による事故ウログラフィン誤使用事故が、どの臨床研修病院で起こり、そこの管理者が事故の際にどんな対応をしたのか、知らないはずがないのです。

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