矯正職員の誇り

誇りを持って仕事をしよう 矯正職員へのエール(第一回)私にとっての「得難い体験」(平成26年6月 刑政25巻6号)から

2009年の6月、私は大阪地検に呼び出されました。
それまで、事件に関連して、私の上司や部下が次々と事 情聴取を受ける中で私にだけは何も聞かれないという状況が続いていたので、これでやっと検察に自分の言い分 を聞いてもらえると思っていました。聞かれたことすべてに、ありえないこと、身に覚えのないことと答えましたが、その日の夕方には逮捕されてしまい、大阪拘置所に連れていかれました。

翌日、勾留手続のため裁判所に連れていかれる時に手錠・腰縄をつけられ、初めて「犯罪者」として扱われていることを実感しました。手錠をはめた右手が少し痛い。 我慢できない痛さではありませんが、どのぐらいの時間 手錠をはめた状態で過ごすのか分かりません。「 痛い」 と訴えたら、この職員さんはどう対応してくれるのだろ う、初日から文句を言ったとにらまれるのだろうか、そ れとも手錠をはめなおしてくれるのだろうか。迷った末 に、ここの職員さんたちはどういう人か分かるんじゃないかと思い、勇気を振り絞って、「右手がちょっと痛いんですが:::」と言ってみました。職員さんは、黙って 右手の手錠をはめなおしてくれました。ああここは大丈 夫だ、人権が守られる場所だ、そう思ってとても安心したことを覚えています。

その日の夜だったと思いますが、棟の責任者と思われ女性職員がいろいろと拘置所の生活について説明をし てくれました。その時、「泣いている暇はありませんよ。 検察と闘うんでしょう?」と言われました。法務省の職 員さんが「検事と闘う」なんて言っていいのかしらと驚 くと同時に、しっかりしろと背中を押してもらっている ことが分かってうれしくて涙があふれました。

実は逮捕を告げられた時にも泣けませんでした。そばについていた地検の女性の事務職の方と笑いながら雑談しました。泣くのは負けることのような気がしていたのです。後の取調べで検事さんから「動揺しないからびっくりしました」と言われました。もちろん動揺していましたが、泣くことだけは嫌だったのです。拘置所の職員さんにかけてもらった言葉で、初めて泣くことができました。当時付けていたノートには「やさしくされると涙が出る」と書きました。

→ 一般市民としての医師と法