流行語

「日本は再生医療の開発が出遅れている.それは安全性ばかり懸念する頑迷な厚労省の規制でがんじがらめにされているからだ」.この流行語,おそらく,皆さん,耳にタコができているだろう.

耳にタコができていることほど,何のエビデンスもない.エビデンスがあれば,繰り返す必要はない.エビデンスがないからこそ,繰り返す必要がある.嘘は百回繰り返して,本当だと思わせるようにしなければならない.

だから,上記の流行語に根拠はない.「日本は新薬の開発が出遅れている.それは安全性ばかり懸念する頑迷な厚労省の規制でがんじがらめにされているからだ」という流行語に根拠がなかったのと同じように.

頑迷なはずの厚労省が作った規制は,決してがんじがらめのようなものではない.では,なぜ開発が進まないかというと,厚生労働省の指針作りが進まないからだ.つまり,お上の規制がないと,開発ができないからだ.開発が進まないのは,規制で縛られているからではなく,規制がないからだ.

しかし,私は,規制がないから開発を進められない研究者達を「お上の規制にすがらないと開発できない意気地無しども」と罵倒するつもりは毛頭無い.

むしろ,日本で最初の心臓移植のような人体実験をやる無謀な人がいないことを知って安心している.再生医療というのは,それだけ得体の知れない未知の要素に満ちた治療である.日本の研究者はみんなよくそこを心得ていることを知って安心している.

純朴な問い掛けはそれだけ時代を超えた普遍性がある.「自分の家族がもしその病気だったら,被験者となることを勧められるか?」我が国の研究者は,華岡清州の時代から,その問い掛けを受け継いできていることを肌身で感じて安心している.

だとすれば,流行語は我が国独特の文化である照れ隠しのようなものだろう.照れ隠しにはエビデンスは要らないだろうから.

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