王様を裸にしたのは誰か?
「そんなことをしていると,おまわりさん(こわいおじちゃん)が来て連れて行かれちゃうよ」
我々は,年端も行かぬ頃から,国家権力を畏怖するように育てられてきた.我々はいまだにその呪縛から解き放たれていない.
北陵クリニック事件の支援者の方々とお話しをする時に,「ロッキード事件は冤罪だ」,「小沢一郎先生は無罪だ」,「安部英殺人鬼説はデマだ」と叫ぶと,大部分の人は非常に嫌な顔をする.嫌な顔をしても私は話し続ける.だって,「守大助毒殺魔」ってそれと全く同じデマなんだから,あんた方,守さんの支援者なんだろ.
北陵クリニック事件の支援者を含め,我々市民は,検察にまつわるデマを信じてきた.それは「検察は何でもお見通しである」というデマである.このデマから,様々な妄想,空想,歪曲が派生し,グロテスクな物語がでっち上げられ,まことしやかに流布され,政治家や官僚や医師に刑務所に送られる様子,ペンを持ったお巡りさん達によって洪水の如く報道された.思い上がった政治家や役人や医者どもが「正義の裁きを受ける」姿に,国民の皆様はみのもんたと一緒になって快哉を叫んだ.
と同時に,拳銃を持ったお巡りさんも,ペンを持ったお巡りさんも,そして検察も「自分たちに刃向かう人間を社会的に抹殺できる」という恐怖感を,まだ見ぬ「こわいおじちゃん」に一生出会いませんように.そう願う善良な市民の意識の下に埋め込んだ.
中でも検察官達は自分を万能の神,あらゆる領域の専門家をも凌駕する存在と妄想するようになった.
「刑事事件というのは人を死刑にもできる仕事だ.公取委の審査に支障がある?公取委の面目だ?そんなものはどうでもいい」(郷原信郎 検察が危ない KKベストセラーズ」
ここまで検察官達が思い上がらせたのは,彼らを裸の王様にしているのは,年端も行かぬ頃から,国家権力を畏怖するように育てられてきた,我々自身である.
例えば北陵クリニック事件では,国民の皆様は
●検察官はドクターGよりも素晴らしい医師である.
●検察官は世界中の質量分析研究者よりも優れた研究者である.
●検察官はいつか必ず隠し球を出してきて再審請求をひっくり返す.
と信じて疑わない.何しろ意識の下に隠れているのだから.疑えないのである.それを意識の下から掘り起こし,デマだと明言する私の話を聞くと途端に嫌な顔になるのは,検察が万能の神であると信じていたいからである.検察という最強国歌権力=実は裸の王様に媚びへつらってきた情けない自分が見たくないからである.実はそれは情けないのではなく,幼いときからすり込まれてきた馬鹿げたデマから解放される素敵な自分が見えてくることなのだが.
→一般市民としての医師と法