肩書に関する学習障害

何になるかが問題なんじゃない.何をするかが問題だ.肩書はあくまで手段である.手段の目的化の罠に陥るな.

あなたは,自分の肩書がなくなったら,自分はどうなるか考えてみたことがあるだろうか.

大学教授が定年退官した後,職探しに必死になるのは,多くの場合,単なる経済的理由からではない.せっかく長い間大学教授をやっていたのなら,その間に,たとえ教授の肩書を失ってもフリーランスでやっていけるように自分を磨いておけばいいのに,全く逆に,教授の肩書がなくなることが自己喪失につながるという妄想に囚われてしまうからだ.

そんな妄想に囚われるのは本人だけではない.その本人の周囲にも同様の妄想が充満している.特に本人が医師免許を持っていればなおさらだ.

だから,私のように,日本のFDAの課長から,降格に甘んじて埼玉の知的障害児施設に都落ちして,しかも,五十を超えても長のつく職位に就いていない医者は,犯罪歴があるか,頭がおかしいかのどちらかに違いないと思われる.

私が日本のFDAに入った時も,同じ状況だった.マリナーズに入った当時のイチローと同様の状態だった.当然スターになるべくして入団してきたのだが,入団当初,周囲はそれを全く予想できず,ああ,またいつもの奇行癖ぐらいに考えていた.

「役所に途中入省しても,偉くなれないぞ」,「新薬審査なんて,書類仕事,どこが面白いのか」,「臨床はもう止めてしまったんですね」

バカタレ!!偉くなるために審査をやるんじゃねえんだよ!! お前みたいな木偶の坊に審査の面白さがわかってたまるか!!マッシー池田の臨床を知らない奴は,もぐり,ニセ医者!! そう悪態をつきながら,現実を見せて,PMDAに対する認識を改めるよう,愚かな人々に学習してもらうことを心掛けた.

今は昔の物語かと思うと,実はそうでもない.日本のFDAを辞めた後の私の行動に対する評価も全く同様である.

「日本のFDAとやらで(審査役止まりで部長にはなれないにせよ,一応)偉そうにしていても,結局治験の仕事にはありつけず,精神薄弱児施設に都落ちですか.(在職中の行いが余程悪かったので職を世話してもらえなかったんですね)」
「発達障害?何ですか,それ?ああ,自閉症.大変ですねえ.(治らない病気を相手にするなんて,医者の仕事じゃないよ.ご苦労さん)」

肩書に対する学習障害は,大の大人だけに発症する.こいつの治療はやっかいだが,その実例を示していく過程で,人々の認識が変わっていくのを見るのは面白いものだ.

PMDAに対する認識の誤りと発達障害に対する誤解の数々,両方相手にしてやっていけるなんて,世界中で僕1人.これを独創性と言わずして何と言おうぞ.

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