医者になってから、ずうーっと、自分が腕を上げたい。自分が仕事ができるようになりたい。自分が、自分が・・・・、そればかり考えてきた。”主治医たるも
の、その患者さんにとっては世界一の医者でなくちゃ”そう思ってしばらくはやってきた。
しかし,安っぽいTVドラマの主人公をいつまでも演じられるわけがない.では,”自分がいなければこの患者さんはどうなるんだ”、という言葉に象徴されるような,患者と同僚の医師の両方に対するパターナリズム(主治医という名称へのこだわり)の呪縛からどう逃れるのか?医者としてのプロフェッショナリズムと,このパターナリズムをどう調和させるか??私の場合、 その答えを見つけるのに,ひどく時間がかかった。転換点は40歳だった。
兼好が、第七段で発している警告に逆らい、四十過ぎてもまだ生きているのなら、せめて邪魔者にならず、自分のことは捨てて、若い人のお役に立てるようにならなくちゃと 思った。そこで、教育が初めて魅力的に見えてきた。
その裏には実は、次のような助平根性があった。”自分はもう長いことはないかもしれない。だから、自分の思想を若い人の頭の中に植え付け、自分の思想のク ローン作成作業を急がねばならない。論文、著書、講演、映像メディアの作成、普段の仕事での井戸端会議と、そしてメーリングリストへの書き込みと、手段は 選ばない。いつ死ぬかわからないんだから、なりふり構っていられるもんか”
なに,教育と称して,伝道することによって肉体は滅びても,他の中に生きようとする,非常に意地汚い根性に過ぎないのだが,こういう意地汚さに対しても,兼好は,”よろずに見ざらむ世まで思ひおきてむこそ,はかなかるべけれ” (第二十五段)と警告を発している.
このような切羽詰った助平根性と恥の堆積も厭わない厚顔無恥が相まってはじめて、世代という縦軸で、自分の仕事の引き継ぎを円滑にと考えられるようになった。世代という縦軸で引継ぎを考えるようになったら、同僚・スタッフという職場の横軸で も考えられるようになった。
本当に自分が大切ならば、明日自分がいなくなっても、被害(誰にとっての?得をする人間も いるだろうに)を最小限にとどめておくために、自分のバックアップをとっておく。それすなわち教育だ。それも、一箇所だけではなく、日本全国はもとより、世界中に自分のバックアップをばらまいておけば(BMJやラ ンセットへの投稿にこだわるのもそのため)、人類が絶滅しない限り、バックアップは生き続ける。結果的に不良バックアップができて,兼好の言うように,自分が死んだ後も,辱(ハヂ)が堆積していくのかもしれないが.
自分の得たノウハウを同僚にも患者にも伝え(教育)、同僚や患者自身の危機管理能力を高めることによって、自分への負荷を軽減し、そしてはじめて自分の心 と体を大切に守ることができる。