嘘つき村による児童虐待
「なぜ五輪はできて…」運動会中止・延期相次ぐ 緊急事態の福岡(2021/5/14 西日本新聞)(抜粋)
 「楽しみにしていた運動会は中止することにしました」。10日、福岡市の小学校では校長が校内放送で告げた。1年生のクラスでは「えー」と悲鳴が上がり、「寂しすぎる」と泣きだす児童もいたという。40代の女性教諭は「なぜ東京五輪はできて、運動会はできないのか」と憤る。

嘘つき村はもっぱら国民の皆様に向かってメッセージを発信する。その中核が情報収集をNHKのニュースと新聞に全面的に依存しネットを敵視する爺様、婆様である。一方、児童・生徒・若者はどうでもいい。彼らはテレビも見ない新聞も読まないから、日々の「感染者数」なんか、そもそも知らない。新コロはインフルエンザよりもリスクがはるかに低いことを知っている彼らは新コロワクチンキャンペーンなんぞに興味は無い。オリンピックよりも運動会をと願う児童・生徒も、教師も、全て嘘つき村を信頼しない非国民である。

 NHKのニュースも見ない。新聞も読まない非国民にとって、嘘つき村の嘘を見破るのはとっても簡単だった。だって新コロが流行するまで言っていたことと、流行してから言ったことが全然違っていたもの。マスクよりも咳エチケットって言ってたよな。テグネルと同じように。院内のユニバーサルマスクにも強い疑問を呈していたよな。その後、咳エチケットと竹槍マスクとのランダム化比較試験が行われて竹槍マスクが優越性を示したという結果は寡聞にして知らない。嘘つき村の誰も知らない。そんな試験なんてなかったんだよな。もしそんな試験結果があればワクチンキャンペーンを凌ぐ勢いで吹聴していただろうから。嘘つき村の嘘は臨床試験リテラシーの基礎を学ぶのに絶好の教材だったよ。

 「インフルエンザが絶滅したのは、マスク・手洗いの習慣を遵守した国民の皆様の努力の賜物です」って?その最中にも新コロ様の「感染者数」で新聞もテレビも大賑わいだったのに?その新コロ様がインフルエンザを退治したのであって、マスクも手洗いも全然関係ないことぐらい、学齢前の児童でもわかることなのに、そんな見え透いた嘘と恥の二重の上塗りをしてまで、国民の皆様を騙し、操縦して利権を守りたいのか。この嘘つきの恥知らず。

教師も、児童も、その親たちも、もちろん知っている。覚えている。インフルエンザで5ヶ月間で1万人以上が死亡した時でも、プロアマ問わず、サッカーも、相撲も、野球も、そしてもちろん運動会も、群衆からの大声援の中で開催されたことを。

仮にも次の世代のことを考えるのならば、COVID-19は教育の絶好の機会だと考えるはずだ。新コロをネタに科学的リテラシーを身に付ける教育を実践するはずだ阿字ヶ浦小だよりNo.31)。しかし嘘つき村のやったことは全く逆だった。「科学的な考え方」なんてどうでもいい。子供達に科学的に物を考える姿勢を持ってもらいたいなんて思わない。自分たちの利権を守るためならばどんな酷い嘘をついても構わない。これからの社会を担う世代に対する知育の放棄。これが嘘つき村の虐待手法だ。ガキどもの運動会なんかより国威発揚のオリンピックの方が大事に決まってる。自分たちの嘘がどんなに次の世代を傷つけようとも知ったことか。それが嘘つき村である。

 いい度胸だ。今までずっとそうしてきたように、これからもずっとしらばっくれ続けるがいい。嘘つき村がワクチンキャンペーンオリンピック作戦の完遂を目指す間も、楽しみにしていた運動会を台無しにされ,仕事をそして住処を失い,そしてこの国に自分の居場所はないと絶望し,自らの命を絶つ子供達や若者の数は増えていく。この虐待を生き延びた子供達、若者達は、大切な仲間を失った悲しさと,その仲間を死に追いやった者へ恨みを忘れたくても忘れられない。彼らが現在の国民の皆様の歳になっても、たとえ認知症になってもこの虐待の記憶は残る。

誰も納得してやしない。声を上げないだけだ。なぜ声を上げないのかだって?バカめ。そんなこともわからないのか?今はその時ではないと思っているだけだ。この落とし前は必ず付ける。そう思っているのは老い先短い私なんぞではない。

田部田康弘先生。阿字ヶ浦小だよりNo.31に私の拙いページをを引用してくださって、本当にありがとうございました。嬉しくて本当に涙が出ました。

嘘つき村による醜悪な性差別・児童虐待の記録
新コロバブルの物語
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