疎開先から

(東京西部にある地域中核自治体病院で産婦人科部長を勤める大学同級生の悲鳴を受けて)

君はひたすら世のため人のために仕事をしてきたのだから,もう,いいんじゃないですか.引退し
たって.そこで責めるような人は,君の苦労を理解してないってことですから,そんな人に構うこ
とはありません.病院辞めたって,開業しなくたって,食っていくだけならどうにでもなるでしょ.

救世主願望からの距離感覚を大切にしましょうや.患者,所属組織,家族・・・全てに対して救世主で
いつづけることはできない.名医であり,話のわかる上司であり,家庭では優しいおとうさん・おかあ
さん・・これじゃあ,命がいくつあっても足りませんやね.もうたくさんだ.これまで50年生きてきた
んだ.それだけで勘弁してくれや.

先日,NHKに団塊の世代とやらが大量に出てきて,また御託を並べていました.”若い人が育ってこない
からまだ私達が・・・”だと.だったらてめえらで勝手にやれ.俺たちゃ,てめえらの尻拭いで散々な
目に遭ってきたんだ.もう尻拭いは真っ平ごめんだ.

私が,”気分はインパール”を執筆したのは2002年1月,もう5年半も前です.その時点ですでにインパール作戦は始まっていました
.そして,2004年4月に臨床研修必修化と国立大学独法化と国立病院独法化が同時にやってくるのもわか
っていました.私には広島・長崎・ソ連の侵攻と重なって見えました.

でも,大東亜戦争の場合にはまだよかった.玉音放送で打ち止めだったからです.我々が置き去りにさ
れている戦場では,誰も責任を取って白旗を揚げてくれません.永遠に,”日本医療の荒廃じゃなかっ
た興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ”そんでもって,只今本土決戦の真っ最中ってんだから.

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