判決文の検証
医師達に11歳女児症例を呈示して純粋に臨床的に考えもらったところ、筋弛緩剤中毒と診断したのは1000人中3人、わずか0.3%でした。しかし、冤罪かどうか尋ねたところ、冤罪だと判断したのは2/3に留まりました(1)。臨床的には明らかに間違っているのに、判決は正しいかも知れないと思ってしまう。この投票結果は、そんな心理が医師にも働くことをよく表しています。では、判決文を検証してみましょう。
裁判でもベクロニウム中毒か否かが最大の争点でした。当時はミトコンドリア病とは診断できていませんでしたが、弁護側証人(麻酔科医)はベクロニウム中毒を否定し、何らかの原因による急性脳症であると証言していました。しかし、判決はこの証言を退け、下記のように急性脳症を完全に否定しています。
「10月31日(注:発症当日)午後8時過ぎ(注:急変から1時間余り)に撮影された頭部CT検査の結果にはA子には明らかな出血を思わせる所見や腫瘤は認められず、脳症などの発症の早い時期に出現することのある異常な低吸収を示す部分もなく、またはっきりした脳浮腫の所見が認められなかったこと、脳症においては、高熱、意識障害、けいれんが三主徴とされているが、A子の症状経過においては、当初、高熱や意識障害がなかったことが認められ、併せて、11月6日のA子のCT写真に脳浮腫が現れた原因は10月31日の低酸素性脳症による結果であると考えられる」(第一審判決文P140)
上記の判決文は以下の二点で明らかに誤っています。およそ医師であれば、下記のような誤診は絶対に許されません。それこそ裁判で負けます。しかし、裁判官は臨床に関しては全くの素人です。ですから、このような過ちが生まれたのはむしろ当然だったのです。
判決文の嘘
1)医学常識に反する二つの誤解を根拠に急性脳症が否定されていること。
A. 急性脳症では、発症当日急変から1時間余りのX線CTに必ず異常が見られる。
B. 急性脳症では、高熱、意識障害、けいれんの三主徴が必ず揃う。
2)急性脳症を否定しながら、低酸素性脳症であると断言している論理の矛盾。
1)A.について:医師にとっては説明するまでもなく「嘘」ですが、裁判官を含む素人は、「凄い検査で何でもわかってしまう」というおとぎ話を無邪気に信じ込んでいます。検査に依存する心理(2)が背景にあります。検査は万能ではありません。どんな検査にも限界があります。その限界にもいろいろな種類があるのですが、一番わかりやすいのが、感度、つまり見つけ出す能力の限界です。たとえば小さな肺癌はレントゲン写真では見つかりません。このことをレントゲン写真は肺癌に対して感度が低いと表現します。では急性脳症に対するX線CTの感度はどのくらいか?代表的な急性脳症である急性脳梗塞に対するX線CTの感度はたったの12%です。(3) つまり9割近くは見逃してしまうのです。ですから、判決とは全く逆に、「急性脳症では、発症当日急変から1時間余りのX線CTに異常が見られることはまずない」というのが正しいのです。
1)B.について:これも医師にとっては説明するまでもなく「嘘」で、今時国家試験にもこんな易しい問題は出ませんが、裁判官を含む素人は、どんな病気でも三主徴は必ず背広の三つ組みみたいに揃うものだと無邪気に信じ込んでいます。いつも揃っていたら、我々こんなに苦労しちゃいませんて。髄膜脳炎でさえ、高熱、意識障害、けいれんの3つが揃うことの方がむしろ少ないのに。
2)についても誤りは明らかです。上記判決は、「低酸素性脳症は急性脳症とは全く異なる病気である」という前提がないと成り立ちませんが、低酸素性脳症は典型的な急性脳症の一つです。なお、ここで低酸素脳症があったと判決が認定しているのは、検察側証人(麻酔科医)が、ベクロニウム中毒だけでは症状経過が説明できないので、ベクロニウム中毒により低酸素脳症が起こったと推定し、ベクロニウム中毒とは矛盾する症状を低酸素脳症に求めたからです。
誤診・誤判を生む構造的な問題
もし誤った判決により急性脳症が否定されていなければ、その原因検索のために、第三者的立場からの診療録の再検討が行われていました。そこで、それまで見落とされていた高乳酸血症や肥大型心筋症の存在が指摘されれば、正しく診断できていました。ミトコンドリア病と判明すれば、血清・尿からベクロニウムを検出したと主張する鑑定結果の検証も行われていました。ちょうど、日常診療で、症状経過を合理的に説明できない検査異常値が現れた時に、検体の取り違えや保存状態や機器の誤作動をまず検討しなければならないように。しかし、現実には、判決文では、鑑定結果を科学的に検証していません(4)。ただ、「鑑定員の証言は信用できる」そう書いてあるだけです。つまり判決は科学ではなく信仰です。それも当然です。鑑定で使われた高速液体クロマトグラフィーも質量分析装置も、操作はおろか見たことすらない裁判官が判断を強いられるのですから、科学的な検証などできるわけがなかったのです。
医療訴訟のトンデモ判決と同様の構造
私は大学医局の症例検討会で、教授と助教授の間で診断に関する見解が鋭く対立する光景をしばしば見てきました。二人とも当代きっての臨床家と言われていたぐらいですから、私にはどちらが正しいか全くわかりませんでしたし、後になって、どちらも間違っていたなんてこともありました。同様の経験をお持ちの方も多いと思います。
医療訴訟では、被告側と原告側、それぞれの専門医の意見が真っ向からぶつかります。(双方の意見が一致すればそもそも裁判にはなりません)。そして、ずぶの素人である裁判官が、対立する専門医のどちらが正しいかを判断しなくてはならないのです。これでは、いわゆるトンデモ判決が多発するのは当然です。
この裁判でも、誤判が生まれる構造は医療訴訟と全く同じでした。ベクロニウム中毒だ。いやそうではなくて急性脳症だと主張する二人の麻酔科医のどちらの診断が正しいか、素人の裁判官が判断を強いられたのです。
なぜ私がこの裁判に拘るかというと、誤判が生まれる構造は、刑事裁判はもちろん、医療訴訟でも、この裁判の一審が行われた10年前と現在とで何ら変わっていないからです。司法界からは改革の声は決して起こりませんから、医師達が声を上げなければ、医療訴訟での誤判構造は未来永劫に放置されます。誰もが医療訴訟リスクから逃れられない時代です。医師達の沈黙は、大切な仲間の、そして自らの首を絞め続けることに他なりません。
1.ケアネット症例検討会(登録医師しか閲覧できません)
2.検査に依存する心理と誤判
3.Lancet
2007;369:293-298
4.ベクロニウムを検出したとする鑑定に科学性はありません