ベクロニウムを検出したとする鑑定に科学性はありません

大阪府警科捜研鑑定におけるベクロニウム測定法はもはや科学的に何の価値もないものです。なぜなら、世界中のどこの研究室でも、追試に成功しておらず、今や世界標準の方法は、大阪府警科捜研鑑定とは全く異なるからです。公判の際には、東北大学のごく一部の研究者が鑑定を擁護していましたが、すでに2006年の時点で、その東北大学の研究者達はおろか、宮城県警科捜研さえも、大阪府警科捜研鑑定の測定法を否定し、世界標準の方法を採用するようになったことが下記の論文でわかります。

Usui K, Hishinuma T, Yamaguchi H, Saga T, Wagatsuma T, Hoshi K, Tachiiri N, Miura K, Goto J. Simultaneous determination of pancuronium, vecuronium and their related compounds using LC-ESI-MS.Leg Med (Tokyo). 2006 May;8(3):166-71

大阪府警科捜研鑑定の問題点:5例全例がベクロニウム中毒でないとすると、血液・尿などの生体試料からベクロニウムを検出したはずの鑑定結果はどう説明すべきか、との疑問もあるでしょう。大阪府警科学捜査研究所(以下科捜研)による鑑定結果は再現性がなく、客観的・科学的に検証されていないのです。そもそも鑑定のデータが鑑定書に示されていません。鑑定は高速液体クロマトグラフィーと二段階の質量分析で行われたと主張していますが、鑑定書には二段階目の質量分析の結果だけが示されていて、高速液体クロマトグラフィーと最初の質量分析データが欠けています。つまり、実験データを示さずに、「自分を信用しろ」と言っているだけの文書です。これでは鑑定ではなく、祈祷書に過ぎません。

さらに、その方法が世界標準ではなく、科捜研独自の測定法が用いられている上に、鑑定試料を既に全量消費してしまっていることから、追試・再現ができません。ですから、肝心の鑑定が、科学の基本である第三者による検証が一切不可能な、「個人的な単発実験の結果」に過ぎないのです。さらに、データの解釈の際にも、科捜研は未変化体と代謝物を取り違えていることが明らかになっています。 ですから、5人の患者全ての生体試料からベクロニウムを検出したと主張している科捜研の鑑定も第三者機関が全面的に見直す必要があるのです。

臨床検査は大学生・鑑定は幼稚園の成熟度:臨床現場では、長い期間にわたって、多くの学術機関・施設で検討され、方法が確立した検査のみが採用され、しかも、日常的に検査精度管理が行われます。それでも、病歴・身体所見・症状経過と矛盾した結果が出れば、検査結果を疑い、検体の取り違えや、検体の採取・保存状況によるエラーをチェックし、再検するのが常識です。ところが、人間の運命や死命を直接制する鑑定には科学の常識は通用しません。臨床検査よりもはるかに未熟な方法であろうと、その方法が他の研究機関で全く採用されていなくても、検証されていなくても、鑑定で得られた結果は必ず正しいとして扱われる、非科学的な世界でこの裁判は行われました。

特異度・バリデーションの問題:適切な測定方法は、感度と特異度という2つの特性をともに十分に満たさなければなりません。感度は目的とする物質の量が少なくても、あるいは濃度が低くても、検出できるかどうかの能力です。一方、特異度は、測定値として捉えられたものが本当に目的とするものと結びついているかどうかの能力です。このうち、感度を心配する人は多くても、特異度を心配する人は少ないので、特異度がしばしば検査の落とし穴になります。特異度が低い検査の結果をそのまま信用することが、即誤診につながります。

測定方法が標準化された検査でも、特異度が低い、つまりガセネタを掴まされる確率の高い検査はたくさんあります。たとえば、CEA (carcino-embryonic antigen癌胎児性抗原)という検査は、当初、血液で大腸癌がわかるとして大いに期待されたのですが、その後、CEAの特異度を検討する研究によって、大腸癌以外の消化器癌、癌以外の良性の胃腸疾患、果てはお腹の病気が全く無い喫煙者でもCEAの値が高くなってしまうことがわかりました。タバコを吸っているだけで大腸癌と誤診されて抗がん剤を投与されたり手術を受けたりしたら、たまったものではありません。ですから、大腸癌検診の方法としては採用されていません。

特異度の問題を全く考えないと、CTに映った肺病変を全て肺癌と思い込んで、良性腫瘍であろうと肺結核であろうと、全て手術して取り出してしまうなんて事故も起きます。

大阪府警科捜研のベクロニウム検出法については、全量消費で試料が残っていないので、特異度の検討ができません。ベクロニウムでなく、別のものを検出した疑いに対して、何らの客観的な反証データも示せないのです。判決でも、大阪府警科捜研の言うことは全て正しいと、信仰を表明しているだけで、鑑定の科学的検証は一切行われていません。

臨床検査のように、しょっちゅう行われる検査ではありませんから、日常の精度管理も行われていません。それどころか、同じ研究室で、再検さえできない有様です。基礎研究室であろうと、臨床現場であろうと、疑わしい値が出れば再検するのが当然なのにもかかわらずです。そんなぼろぼろな鑑定結果を全面的に採用したのが、この裁判です。

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