主導というより徘徊

最近,希少疾病となっている神経難病に対して,動物モデルでの有効性を自分達が検討した薬,つまり未承認薬を,医師主導治験でやりたいとの相談を受けた.やめておけと答えた.神経難病と闘うその心意気やよし.しかし,治験となれば,医師主導だろうと企業主導だろうと,承認申請が大前提だ.そのことをわかって,治験を行なおうとしているとはとても思えないのだ.

そもそも医師主導治験とせざるを得なかったのは,企業が興味を示さなかったからだ.投入した資金を回収できる見込みがないと判断したからだ。特にオーファンドラッグは、市販後の安全管理、全例調査体制など、コストがかかって、旨味がない。

だとしたら、たとえ医師主導治験がうまくいって、有効性と安全性のバランスが良好な結果が出たとしても,そのパッケージを誰も買い取って承認申請してくれない事態も十分想定される。つまり、有効性が見事に証明されても、夢の新薬は宙に浮き、患者さんの許には届かないことになる.

医者の頭の中は、医師主導治験=世界に通用する臨床研究という思い込みがある。その背景には、これまで医者自身が臨床試験とは何たるかをまったく考えてこなかった伝統がある。だから、医師主導治験のスキームに従えば、臨床のトップジャーナルに載せる仕事ができる、それだけを考えてしまって、医師主導といえども、承認申請を大前提にした試験という点をすっかり忘れているのではないか?それでは医師主導どころではなく,医師徘徊治験となってしまう.

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