厳罰主義というペテン
そして裁判という名のシステムエラー

「今後、同様の事故を起こさないようにするためにも、厳罰が必要だ」

国立国際医療研究センター「ウログラフイン」事故、第3回公判(2015年6月8日)での検察官の言葉である。よく言うよ。まあ、立場上、そう言うしかほかに台詞がないんだろうけど、北陵クリニック事件で、嘘八百を並べた検察官意見書で、天下のやぶ医者呼ばわりされている私としては、決して同情できないね。

「罪 人を刑務所に閉じ込めることが罰であり、その罰が厳しければ厳しいほど、その罰に懲りて再犯率は低下する」という厳罰主義の破綻は、医療事故の分野で明ら かである。ウログラフィンの誤投与事故を1963年以来、5回も刑事裁判にしたって、結局再発を防げなかった事実だけで、後は説明は不要だろう。そして少 年事件。この点に関しては別ページを参照されたい。

医療事故にしても少年事件にしても、そこでの厳罰主義の破綻は、実は「氷山の一角」に過ぎない。厳罰主義の破綻(というより、刑事裁判というシステムそのものの破綻=裁判という名のシステムエラー)はもっと普遍的でとっくの昔に明らかになっている。

ユダヤ人という悪人どもを収容所に入れて「厳罰」に処せば、正義のアーリア人達が平和で幸せな人生を送れる第三帝国(*)。そんなキャッチコピーは70年前に破綻した ことを知らない・忘れてしまったとでも言うのだろうか?

検 事さん達よ、偏差値高かったんだろ。中学・高校の世界史の勉強、全部サボったなんて言ってくれるなよ。もしそれが本当だとしたらてめえらの法的リテラシー は中学・高校未満ってことになるじゃねえか。だから、そういうとぼけた正義の神様達の忠実な犬となっている大手メディアの記者さんたちの法的リテラシー& メディアリテラシーも中学・高校未満ってことなんだよ。
(*その意味で、死刑は国家の弱さを露呈した制度だとして、イスラエルが死刑制度を持たないことは注目 に値する)

我 々市民は、体罰が強いスポーツチームを作らないことも学んできたはずではなかったのか?死刑制度がこれからも存続し続けるであろうこの国でも、厳罰主義の 対極にある「矯正」の概念と制度は存在する。その運用と実効性に疑問符がついたままなのは、やはり心の中のどこかで厳罰主義を信奉している我々市民の責任 である。

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