大手メディアの緩慢な老化と死
ーサイレントクレーマーの立ち去り行動ー

「多くの人々は,またしばしば最も才能のある人でさえ,彼らの見聞するすべてのことについて,直ちに判断を下さねばならぬと思っている.例えば彼等は,初めて会ったあらゆる人間について,またその二・三頁をめくって見たあらゆる書物について・・・・.それだから彼等は,勿論しばしば誤ることがあり,後になって訂正しなければならない.或いは又飽くまで自説を固守して深く己の品性を傷つけ,なお一層悪いことには,往々他人の品性をも傷つけるものである.若し諸君がこのような習慣をもつなら,そして新聞通信員を職業としないのなら,かのような癖を捨てるがよい」 (ヒルティ 眠られるぬ夜のために)

速報性と誤報・虚報リスクのトレードオフの呪縛
上記の引用にもあるように,新聞にせよ,テレビ・ラジオにせよ,全ての報道には常に誤報・虚報リスクがある.5W1Hの6つの要素の全てについて,信頼できる第三者に照会し,発表前に確認を済ませておくなんてことをしていたら,日刊新聞やテレビ・ラジオは成り立たない.必然的に,警察・検察の垂れ流しをそのまま自社独自コンテンツのように見せかけて(あるいはしばしばみせかけもせずに「捜査関係者によると」との枕詞をわざわざ冠して)垂れ流す.これが新聞,テレビ・ラジオの報道である.
全国紙の発行部数やテレビの視聴率低下、スポンサー離れが言われて久しい。インターネット上のコンテンツを「ゴミばかり」と称していた当の全国紙が、電子版を発行しなければならず、かといって全国紙の電子版のコンテンツがネット上で他のメディアを圧倒できたわけでもない(それどころか完全に負けている)。テレビ・ラジオ局に至っては、ネットへの参入が自分たちの存在原理そのものを脅かすのではないかと懸念し、インターネットが始まってから20年経っても籠城戦を続けている。これは,新聞にせよ,テレビ・ラジオにせよ,紙面の記事掲載や番組収録・編成といった絶対的な時間の制約の下,速報性と誤報・虚報リスクのトレードオフの呪縛の間で,ただ立ち尽くすしかないのが大手メディアの報道である.
一方,ネットに特化した個人のコンテンツは,紙面の記事掲載や番組収録・編成といった絶対的な時間の制約がない,どこまで速報性を求めてどこまで裏を取るのか,情報発信者が全ての責任を取る,というより,やりたい放題である.事後の訂正,取り下げ,サイト自体の閉鎖といった選択肢も,どう使おうと規制や罰則があるわけではない.とにもかくにも速報性を重んじてセンセーショナルなタイトルの下に新聞よりも信頼性の低い杜撰なコンテンツを公開して自分と他人の両方を傷つけようと,ツィッターもブログもやらずに,更新頻度など一切頓着せずに,自分の納得できるものだけをこつこつ書き溜めていこうと,一切自由である.

パッケージ方式の問題点ネットと勝負にならないのはどういう点か?
よく、ネットに負けているというが、ではどういう面で負けているのか、ここでは報道コンテンツを例にとって考えてみる。
●検索効率
●タグ付け・保存
●アーカイブズ性
●複数サイトでのコンテンツの比較・裏付け・検証
●共有可能性
以上の点だけでも勝敗は明らかだ。では、なぜ報道一つとっても、上記の点で差別化が行われるかというと、報道コンテンツにせよ、他のコンテンツにせよ、ユーザーによって、状況によって、必ず各人で個々のコンテンツの必要性・重要性が異なり、その都度個別化の作業が行われるからだ。ネットでは各人がこの作業を自由に行うが、conventional mediaでは新聞は宅配でone fits forallの形でどさっとやってくるし、テレビは複数の局はあるが、一つの受像器に複数の番組が写るわけではないから、同じ事。

金太郎飴という名の報道カルテル談合
では,そんな状況を打破するために,独自の調査報道で顧客に対して他社よりはるかに興味深いコンテンツを提供しようという動きが生まれるかいうと,決してそんなことは起こらない..大手メディアの間で,各社共通の金太郎飴コンテンツ・報道カルテルは全国紙,テレビ・ラジオ局といった「護送船団」の命綱である.なんとなれば,各社が抜け駆けして競争原理が働けば,優勝劣敗の修羅場になってしまうからだ.大手メディアは大切な雇用を生む「民間公共事業」である.そうやすやすと倒産させるわけにはいかないのだ.
「真実を知りたい」との高尚なご趣味をお持ちの皆様は,どうぞ週刊誌なり,ネットなりに当たってくれ,ウチには「真実」なんてそんな高尚なもの,置いてねえんだ.ウチのお得意様はね,このご時世でも,「新聞は真実を報道する」って信じてくれている,ありがたーい方々なんだよ.あんたみたいなクレーマーとは訳が違うんだよ.

サイレントクレーマーは立ち去るのみ
どの会社もの流れを何とか食い止めたいと思ってはいるのだろうが、長期低落傾向は大手メディアの抱える構造的・本質的な問題に起因するため、その緩慢な老化は避けられない。しかも,その老化はほとんどの組織構成員(経営陣にせよ平社員にせよ)には意識されずに死に向かって進行していく.「大手」だと思っているのは当の構成員達だけだ.その影響力が本当に「大手」か,今は大手となったのはその影響力ではなく,反感ではないのか.そういう疑問はメディア構成員達には生じない.なぜなら,「お客様の声」が全く聞こえて来ないからだ.

「大手メディアの抱える構造的・本質的な問題」とは言っても、決してややこしい話ではない。なぜ、新聞が売れなくなり、テレビの視聴率が落ちたのか?それは新聞の記事もテレビ番組も、その内容に全く魅力がないからだ。彼らが「最も力を入れている」報道番組は,警察・検察による捜査機密の恣意的・選択的な漏洩(リーク)に過ぎないことは今や誰でも知っている.そして漏洩した本人の名前は「ニュースソースの秘匿」とやらで匿名である.匿名の「裏情報」の=便所の落書き=風説の流布=警察・検察の広報誌,つまり大手メディアの報道番組とは,官製2ちゃんねるの掲示だ.それは今や誰でも知っている.

ネット接続料金よりも高い金を払って毎日警察の広報誌を購入するほどの愚かな金持ちだけを相手に商売するがいい。新聞の購読を止めた人間は、新聞社に対して心の中でそう吐き捨てて立ち去った。自分の興味のある話題を検索し、そのコンテンツを視聴する時間をテレビに投入できるほどの愚かな暇人だけを相手に商売するがいい。テレビを見るのを止めた人間は、テレビ局に対して心の中でそう吐き捨てて立ち去った。立ち去った彼らはメディアに対して何ら抗議の声を上げなかった.大手メディアを見放したサイレントクレーマー達には音声は不要である.彼らはただ立ち去るのみだ.

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