学会員であることによる機会喪失

五十代以降,あるいは,早い人は四十代後半から,人は所属学会や専門医資格を整理し始める.学会員であることで享受していた便益が失せた,あるいはそれまで長年にわたって期待していた便益が,今後到底期待できないと判断した時が,学会から離れる契機となる.もう少しわかりやすく言うと,学会費を払うだけの,専門医資格を維持するためのスタンプラリーに費やす時間と金が無駄だと感じるようになった時に,もう,やーめたとなる.

人は学会に入会する際に必ず,学会員であることから生じる幾ばくかの便益を期待している.一方,学会員であることによる機会喪失は通常意識されない.眼科医が神経学会の会員になる時は,神経眼科や多発性硬化症について学びたい,あるいは学会員として神経眼科における自分の素晴らしい業績を発表して,神経学そして社会に貢献したいと思うことはあっても,神経学会員であることが,神経学,そして社会に貢献する機会喪失になるとは決して思わない.

しかし,学会は同調圧力と予定調和が原動力とする組織である.だからこそガイドラインが出せる.そのガイドラインが如何にインチキであろうとも,学会員たるもの絶対に「インチキだ」とは言えない.そもそも学会員であるがゆえに,同調圧力と予定調和の真っ只中に置かれ続けるがゆえに,インチキガイドラインをインチキだと言えるリテラシーを得る機会を喪失する.

一方,学会員でなければ,「無症候性高尿酸血症に対して,それがたとえアロプリノールであっても,安易に尿酸降下薬を処方してはならない.ましてや誇大広告を根拠に心血管リスクが示されているフェブリクを第一選択にするなど言語道断」,「FREED研究はそもそもヘルシンキ宣言違反なのだから,そもそも研究として成り立たない.倫理審査委員会の段階でそこに気づいていれば,即刻試験は中止となり,IF23のハゲタカジャーナルの餌食にならないで済んだ」といった常識を身につける機会を喪失しないで済んだのである.

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