何枚ものふんどし

98/10/8.朝9時から外来に呼ばれる.いつもの呼び出しより30分早い.11寮のバスハイク,環境整備といった行事が重なったこともあって,混雑する時間帯よりも早く職員が二人の患者さんを連れてきてくれたのだ.

一人は昨日,左の第四趾(足の薬指)の小裂傷で受診した.特に縫う必要がある傷でもなく,消毒してその場は帰ってもらったのだが,今日は足の甲が少し腫れて赤くなっているとのことで連れてきてくれた.確かに腫れている.しかしそんなにひどくはない.よく気づいたものだ.一日遅れれば厄介なことになっただろう.すっぽぬけのワンバウンドをキャッチャーが体で止めてくれたといったところだろうか.

足の甲の骨に骨折があるのかもしれないと思ってレントゲンの指示を出す.それから,赤く腫れているということはばい菌が入って繁殖している可能性があるから,抗生物質の注射をしなくてはならない.注射前のアレルギー反応のチェックの指示と抗生物質そのものの処方箋を書く.看護師さんにアレルギー反応検査の注射液の作成と薬局へ処方箋を持っていってくれるように頼むが,看護師の方はばたばたしていて人手が足りない. 

この時間帯は寮での巡回を終えて帰ってきたばかりで,ふだんは巡回結果の連絡の時間帯なのだ.患者さんが二人来て巡回結果の連絡ができないでいる.そしてもう一人は,きちんと体と腕を押さえつけていないと処置ができないのでそちらに人手を取られている.おまけに今日たまたま行われるバス遠足の引率と最近はじまった環境整備(つまりゴミ拾い)で別に人手がとられている. 

それでも何とかレントゲン写真を撮り,アレルギー反応のチェックを済ませた.出来上がってきた写真を読む.足の甲の骨折は・・・中足骨に注意を集中する.よかった.ない.大丈夫と宣言すると,途端に看護師から異議が出る.先生,でも磯崎さんが足の指の先の方に骨折があるって・・・えっと思って見ると確かに第四趾の末節骨,小指の頭よりも小さな骨にわずかな骨折がある.レントゲン技師のI君は控えめだがいつも的確な指摘をしてくれる.今度はピッチャーゴロエラーをセカンドが素早い動きで拾って辛うじてアウトというわけだ.早速いつもお世話になっている外部の整形外科の先生に指示を仰ぐ. 

早めに連れてきてもらったことといい,骨折の指摘といい,すべて現場の水際でこちらの見逃しをカバーしてもらっているのだ.医者はコーディネイター,調整役と言えば聞こえはいいが,要するに他人のふんどしで相撲をとっているに過ぎない.しかも,普通は借りるふんどしは1枚だが,医者の場合には4枚にも5枚にもなる.寮職員,看護師,放射線技師,薬剤師,他院の専門医,と,たった一人の診療で一体何枚のふんどしを借りなければならないのだろう.ふんどしゆえにそれがないと全く相撲がとれなくなる情けない商売である.

中でも現場の寮職員の役割は非常に大きい.なぜなら,おかしいと思って連れてきてくれるのは彼らだし,こちらが処方箋を書いて出した薬を飲ませて,その効果を判定するのも彼らだからだ.つまり,受診と,治療効果の判定という,診療の入り口と出口の両方を制するのが現場の寮職員なのだ.その現場に余裕がなければ見逃しも多くなる.役割が重要なだけに彼らの見逃しは利用者の生命の危機に直結する可能性が大である.

その大切な現場の様子を知るために,診療に一区切りをつけてから,ある寮を訪れた.職員室外には課長一人.職員室内では夜勤(一人)から日勤職員(二人;他の職員は環境整備,つまりごみ拾いへ駆り出されているのか)への申し送りの真っ最中だった.満足に歩けない人がほとんどのこの寮で,ようやく職員室外の1人で辛うじて管理できている.それでも歩ける人はうろうろしてときどき職員室の戸を開けて覗き込もうとしていた.これで利用者すべてが動き回る寮だったら,一人一人はとても把握しきれないだろう.余裕がないとつくづく思う.

気を付けろ,注意深くとお題目をとなえても実効はない.なぜなら人間はある確率で必ず間違いを起こすからだ.その確率は気持ちの余裕,時間の余裕がない時に格段に高くなる.だから一番有効な危機管理は余裕を持って仕事をさせることだ.人手が増やせない状況ならば,余計な仕事を増やさない,不要な仕事を削って必要な仕事だけに集中させることだ.それが管理職の一番大切な仕事である.それが利用者の生活を守ることにつながる.

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