ドラッグラグ論議に見る全体主義

ドラッグラグとやらを含めて、「差」を議論するときに、決まって、「差は全て悪だから、それを解消することが真のエンドポイント、正義である。だから全てのステークホルダーはその共通認識の下に、差の解消のために一致団結して邁進しなければならない」という全体主義の刷り込みが自動的に起きてしまう。

そしてその刷り込みに対する批判的な動きを少しでもすると、自動的に非国民扱いされる。その全体主義の下では、中立的、科学的議論が行われなくなる。例えば、

ドラッグラグを生じさせる要因の中でも、解消できない要因や、解消すべきでない要因がある

ドラッグラグの中でも、人々の健康に役立つドラッグラグがある

といった議論が全くなされなくなる。このように、「差」を巡る全体主義は、「差」に関わる人を馬鹿に、不幸にしていく。

それがわかると、ドラッグラグを解消運動には加わらなくなる。かといって、ドラッグラグ解消運動を阻止するわけではないから、非国民と呼ばれることもない。かくして余計なストレスがなくなり、時間の余裕もできる。

ドラッグラグ解消運動に参加しないと、自分の仕事がなくなるとか、研究費が取れなくなるとか心配する向きもあるだろうが、そういう人は、どうぞ、そのまま、ドラッグラグ解消運動を続けたらよろしい。

私はやりたくない。忙しいから。そんな馬鹿馬鹿しいこと、やってられるか。

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