人を不幸にするエビデンス

といっても軍事科学などではない。根拠に基づく科学(というものがあるとしたらの話だが)は人を不幸にするだけだ。

evidence-basedという概念は、本来医学のようないい加減な学問ではなく、科学そのものにふさわしいはずだ。ところが、科学の世界に は、21世紀になってもevidence-based scienceの考え方が導入される気配は一向に見られない。22世紀を迎えても繁栄し続けるのは、墓石の下に決まって死体があるから墓石が死体生成の原因であるとのアミロイド仮説のよ うな、信仰に基づく科学である。

EBMの最大の弱点は、エビデンスを得ようという人自身の興味のバイアスに全面的に依存し て、エビデンスが限定されることだが、この弱点がevidence-based scienceの導入にも大きな障壁となっている。

特に、「人は結婚することによって幸せになる」、「大気中の二酸化炭素が増えると地球全体の大気の温度 が上昇する」といった仮説の検証には、下記に示すように、科学とは全く関係のない経済的事情ゆえに、ほとんどの科学者達はエビデンスの構築全く興味を示さ な い。

もし、「人は結婚することによって幸せになる」という仮説が否定されれば、結婚関連産業は大打撃を受けるし、「大気中の二酸化炭素が増えると地球 全体の大気の温度が上昇する」ことが否定されれば、地震予知と同様、スーパーコンピューターの予算を含む莫大な研究利権が消失する。

関連産業の収益や研究費・研究利権を吹き飛ばすなんて、原子爆弾開発者以上の不名誉を担うことになることがわかっていて、誰がevidence- based scienceなんてを推進しようなんてするものか。

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