現世という名の収容所
ー人類皆アウシュビッツ・生きることは体に悪いすべてのことはどうでもいい

我々は不完全な死体として全員が死亡率100%の人生を生きている。自分は生まれたときから現世という名の収容所に生きる不完全な死体だと思えれば、下記の3つのツールは決して『人生詰んだ』『終わった』と思った人だけの独占物ではないことがわかるだろう。そういう悟りが開けないと、「健康のためなら死んでもいい」という、始皇帝顔負けの妄想に囚われたまま死んでいくことになる。
精神科医が教える「人生詰んだ」ときのための3要素 (Cadetto通信 2015/4/29)から
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(豊後荘病院(茨城県石岡市)精神科,SNC産業医事務所代表 鈴木瞬氏)
  「いつも人生につまずいた、人生詰んだと嘆いている人がいる。一見つまらなそうに見える人生を生き生きと生きている人もいる。一方で、とても幸せそうに見えるのにつまらない人生だと言う人もいる」(鈴木氏)。つらい出来事に見舞われたときも、人によって受け止め方は異なります。この差について研究したのが、医療社会学者アーロン・アントノフスキーでした。ユダヤの強制収容所から生還した人たちの健康調査を行っていたアントノフスキーが 人間のストレスに対処する能力(sense of coherence:SOC)の要素として、
(1)自分の置かれている状況がある程度理解できる把握可能感
(2)「なんとかなる」と思える処理可能感
(3)「やりがい」のように、つらいことに対しても何らかの意味を見出せる有意味感
を挙げるようになったのです。(後略)
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っていうか,それ以前にまず,「嘆くことのアウトカム評価」をやる必要があるのよ.つまり,「すでに起こってしまったこと」や「他人の好き嫌い」や「総理大臣の頭の中」に代表されるような,「自分が絶対にコントロールできないことを何とかしよう」って悩むことが,なんて馬鹿馬鹿しいことなんだろうと瞬時に判断して,「どうでもいい」と棄却し,次の瞬間には「今晩の酒の肴は何にしようか」と考えられる.そんな能力への飽くなき欲求,どうでもいいことが山のように 見つかる楽しさを味わえるようになるかどうかなんよ.

あたしはしばしば「池田先生はボヘミアンですね」って,半ば嫉妬の混じった言葉を,私より年齢が上の偉い先生方(医学系教授経験者を含む)から賜るのだが, 上記のように,「ボヘミアン」とやらになるのは,決して難しいことではない.自分自身に対して上述のような認知行動療法を継続して施行することは,私独自のこだわりのように見えるのかもしれないが,今時の若い人(特に私をボヘミアンと捉えるオヤジ,ジジイの世代の迷惑を被り続けている人)は,少なくとも思春期以降は,自分が不幸にならないために,ずっと自然にやってきていることであって,私は彼らに教えてもらっているに過ぎない.

「健康のためなら死んでもいい」Tシャツ
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