裁判官の優位性
ある有名な裁判官が書かれた著書の中にも、検察庁の友人から、「気楽に検事の言うことを否定しても、無駄だよ。判決は、たかだか3人で書いているだけだろう。俺たちは組織を挙げて考えている。勝てると思うな」と言われたことを、非常に怒って書いている。検察の組織防衛の思いとか、裁判所にも脅しをかけている事実を聞くと、すごい世界だと思いますよ。( 大野病院事件スペシャル対談◆加藤医師 vs.安福弁護士「東京地検公判部東京高裁出張所」◆Vol.13 裁判所と検察の関係に潜む恐ろしさ より)
有罪率99.9%,逮捕状・勾留状・勾留延長の自動発券機といった言葉を聞くと,裁判官は独立性を放棄し,ひたすら検察官の忠実な下僕として働いているかのように見える.確かに結果だけを見ればそうだ.しかし,そこには下僕としての絶対的な優位性が隠れている.つまり,刑事裁判官は,判決について,事実上の免責を確保している.
どんなでたらめな判決文を書いても,「組織を挙げて考えている検察に勝てるわけがありません.私たちは検察に騙されていたのです」と一言言えばいいだけだ.科学の原則も医学の基礎も全て無視した北陵クリニック事件の判決の責任は,裁判官にはない.
彼らは,英語論文一つ書いたことのない吏員による鑑定,守大助氏を逮捕してから9日も経ってから診療録を押さえるような間抜けな警察官の捜査,脈の取り方一つ知らずに,警察の捜査をチェックする能力も無い公判検事といった税金泥棒達の尻ぬぐいを強いられた,惨めな被害者に過ぎない.
→一般市民としての医師と法