内モンゴルの大草原観光と食事(03/8/2-4)
←戻る

  モンゴルでは毎年夏に草原でナーダム祭があり、すばしいので是非とも行ってみるべきと知人がすすめる。ついては妻と長女をさそい行ってみることに した。しかしこの年はSARSのせいでナーダムが急遽中止になったが、大草原だけで十分に満足できるに違いない。そこで7月30日に北京に向かった。北京からは友人の梁永宣さんにも同行してもらい、8月1日の夜行列車に乗り、4人で2日朝、内モンゴルの首都・フフホトに到着。そこから車をチャーターして数時間、ついた大草原(名は失念)が以 下の写真である。地平線にある雲まで見え、いかに空気が澄み切っているか分かるだろう。初めて体験する景色だった。

  ここの草原はフフホトに近い観光地で、景色と涼しさを求めて中国各地から客が来る。外国人もチラホラ来ており、観光客向けに馬に1時間ほど100元で乗せてくれる。私も初めて乗馬してみたが、練習などなし。すぐに駆け出す馬で落ちそうになり、数キロ先の岡につくまで生きた心地がしなかった。

 一方、観光客宿泊用のパオが以下のように設置され、左下写真左側の白いパオがやや本物に近い。しかし狭く、慣れない人には居心地がよくないのだろう。そこでホテルに近い条件になるよう建ててあったのが右奥丸屋根の「偽パオ」。接近して撮ったのが右写真で、いささか高価だったが私たちもこれに泊まった。中にはベッド・シャワー・トイレもある。ご覧のように壁の4分の1ほどが全面の窓で豪華な雰囲気だが、もはやパオではない。夕食は近くの大食堂で羊の丸焼きが出たが、硬くてかみ切れず、観光客はみな閉口していた。

 その夜はスゴイとしか形容できない雄大な夕焼けに感動。競馬や歌謡ショーもあり、そこそこ楽しかった。しかし草原ゆえ、夜の明かりに集まる虫も大変な量で、ドアの開閉には気を遣った。翌朝3日は昨晩の羊肉にこり、みなでカップ麺を売店で買って食べた。

  朝食後ふたたび車でフフホトに戻ったが、その帰路の景色もすばらしい。停車してもらって撮ったのが以下の写真。眼前一面にナタネ畑が広がり、北海道かヨーロッパの田舎のようで、やはり中国の景色ではない。日本ではナタネの花を漬け物などで食べるが、モンゴルでは食べるかと案内兼通訳の人(モンゴル人) に質問したが、どうも食べないらしい。なんでも食べる中国人とはやはり違うようだ。

 ここはナタネだけでなく、連作障害予防のためだろうが、三種の作物を交互に植えていた。上写真で手前からジャガイモ・ナタネ、その後ろのはっきりしないのが攸麦(中国音はyou mai)という初見のイネ科植物。左下写真がそのアップで、垂れ下がった穂がイネともムギとも違う。この粉末を麺にするとソバのようだと通訳氏がいい、梁さんのご主人も好物とのこと。そこでフフホトに着く手前の郊外にある食堂に車を停め、昼に食べてみた。

  ここは市内からも食べに来る人が多いという店で、有名らしい。主菜に出たのが右下写真の2種。左側はトロトロに煮た羊肉に小麦粉の麺とジャガイモが入ったもので、やはり羊肉は漢民族料理がいいと一同納得。右側が問題の攸麦粉で作った麺、そしてギョウザの皮風を丸めたもの。たしかに風味はソバに似るが、非常に腰があって腹持ちがいい。通訳氏の話では、ここ一帯の水でこねな いと、こうならないとのこと。きっとアルカリ性の高い鹹水のことだろう。ユニークだったのは製法で、両手で糸を撚るようにして製麺し、皮風も手だけで延ば していた。しかも茹でると溶けてしまうとかで、写真のように蒸籠で蒸す。のちフフホトに再度訪書したときも何度か食べたが、さらに焼きそばや和え物にした冷麺もあった。ともあれユニークな麺である。

  フフホト到着後は大恐竜の全身骨格が展示されている内蒙古博物館などを観光し、恐竜化石を舐めさせてもらったが、舌に吸い付かない。竜のイメージと恐竜の化石観察と竜骨が関連する自説は、いささか難しいと分かる。午後は内蒙古ホテルに入り休憩。私は梁氏とホテル正面にある内蒙古図書館の古典籍室に行き、調査の下打ち合わせをした。この日はフフホトに一泊し、翌4日は土産物屋に案内されて私は馬乳酒を買った。その日の夜行列車で北京に戻り、車中で寝酒に馬乳酒を空けたが、焼酎のカルピス割りのような風味で、かなり弱い。けっきょく物足りず、車中で焼酎を買って妻にしかられてしまった。5日は北京に泊まり、妻と娘は6日に帰国。 私だけさらに滞在を続けた。ただ残念だったのは、ちょうど妻が更年期障害を発症した時期で、彼女が旅行を楽しめなかったことだった。