フフホト・内蒙古図書館(03年8月18-25日)
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 8月の初めに妻・娘と内蒙古大草原を観光したとき、フフホトで泊まった内蒙古ホテルの真正面が下写真の内蒙古図書館だった。再度フフホトに来て調査する予定の図書館が目の前にあるので、とりあえず梁氏と下見に行ったところ、古典籍室の主任は何遠景氏という親切な方で、全内蒙古公蔵古典籍の連合目録を独力で作成している。すぐにうち解け、調査協力の約束をいただいた。また内蒙古ホテルには窓がないが、高速ネットの使える部屋が格安であり、予約を入れた。
 当図書館の古典籍はモンゴル文献と非モンゴル文献に分かれて管理されており、双方を18日から調査させていただいた。モンゴル文献は縦書きだが、行が左から右に進む。したがってオモテ表紙は下写真のように本の左側で、見慣れた古典籍と勝手が違ってやや驚いた。当書は民国24年刊の『保産機要』という産科の石印本で、蒙漢文が併記されていた。
 下写真は『本草簡解』という清末の毛筆写本。中国本にはない幅広で、内容は薬名を漢字で記し、各薬につき2-4行の主治を蒙文で記す。料紙は茅紙ないし馬紙と呼ぶという初見のもので、再生紙様。当本は中国書目になく、モンゴル固有医書と思われる。これらモンゴル版・モンゴル写本の古医書は、モンゴル固有書と漢籍ないしその翻訳がおよそ半々あり、うち18点ほど親見調査できたのは珍しい経験だった。 当図書館の非モンゴル古典籍は医書だけでも相当数ある。そこで日程の都合上、中国刊も含めた日本書、和刻漢籍・朝鮮書および珍しい中国書に限定して調査した。これは正解だった。驚いたことに和刻医書のいくつかには、右下写真のように中国医科大学図書館や遼寧中医学院図書館の蔵書票があるではないか。中国医科大学は旧満洲医科大学の後身で、ここの後に調査する予定である。しかも左下写真のように「岡西為人先生寄贈/中華民國37年5月4日」の寄贈記や、「青雲/堂藏(岡西氏蔵書印)」「南満」「國立瀋陽醫學院」の印記もあった。つまりこれらの本は満洲医大中国医学研究所の岡西教授が敗戦後に帰国の際、民国政府に接収された国立瀋陽医学院に寄贈。当学院は革命後に中国医科大学となり、さらに本書が遼寧中医学院に移管となった後に流出、それを内蒙古図書館が購入していたことになる。なんとも驚いた書物流転の発見だった。

 さらに下写真は上述の経緯をたどった森立之輯佚の『神農本草経』で、「新定新修本草ト校勘」の書き入れがある。これは岡西氏が敗戦後に瀋陽医学院に徴用され、『新修本草』の輯佚に邁進されていた時のものに相違ない。残念なことに岡西氏と面識を得ることはなかったが、その巨大な業績にはいつも啓発を受けている大先輩である。本書を見た時は言葉にならない感慨を受けたものだった。これも訪書の余禄といえよう。