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台北の陽明山と温泉



 台北郊外には陽明山という休火山(?)がある。ここを陽明山と名付けたのは蒋介石だそうで、かつての蒋一族の豪華な接待所もある。公園や温泉・眺望台などの施設が多く、台北市民はよく遊びに行くようだ。中腹まではバスで簡単に行けるが、ガスの吹き出る頂上付近や各所の公園には車しかない。たぶん頂上は標高500m以上とかなり高く、じっさい市内が炎暑でも相当に涼しい。私は95年に一家で温泉ホテルに泊まったことがあるが、今回も何度か凉をとりに行くことができた。うち2、3回は蔡哲茂さんに車で連れて行っていただいた。

 蔡さんは私がお世話になっていた中央研究院歴史語言研究所の助教授で、台湾を代表する甲骨文字の専門家である。奥さんが故宮図書文献館善本書庫主任の呉璧雍さんなので、その関係で知遇を得た。お二人とも東大に留学したことがある親日家で、本省人の大陸に対する複雑な気持ちも教えていただいた。

 01年の7月末、一緒に陽明山に涼みに行こうということになった。は蔡さんと故宮で待ち合わせたとき。右から蔡さん、私、呉さん。この場所は故宮博物院と図書文献館の中間にある事務楼の前で、蔡さんによると後にある大きな青銅の鼎は日本統治時代に日本人が制作したものという。写真で分かると思うが、日本の伝統的な雲の紋様が表面にある。ただし裏の銘文部分は青銅板がかぶせられていて、読めない。


 じつはこの時、蔡さんの学生時代からの友人という厳厚青さんも来ていた。彼は実業家だが、中国古代骨董のすごいコレクター。しかも相当なノンベーなので、あまり飲まない蔡さんが私の酒友として紹介してくれ、ときどき彼を囲んで飲みに出かけた。下左は山の頂上近い公園の湖にかかる橋の上で、左から蔡さん、魚を釣る気分の私、厳さん。この後、やや下ったところにある山菜料理が売りの涼しい屋外レストランで飲むのが定番である。

 下右はバスでも行ける中腹にある国際大旅館。さほど大きくもない旅館に「国際」や「大」がつくのも面白いが、看板の字体も日本式で面白い。ここには共同研究者の李建民さん一家と温泉に入りに行ったことがある。部屋は洋室と和室の二種があるので、あるいは日本統治時代に開発されたのかも知れない。入湯料を払って入る共同浴室は、日帰りの学生風若者でいっぱいだった。どうも台湾でも若者に温泉が流行しているらしい。真っ白に濃い硫黄臭の湯で、これは95年に行った少し下の中国大飯店も同様だったので、陽明山温泉の特徴なのだろう。台北で1、2日ゆっくりした時間がとれるなら、ぜひ陽明山をお薦めしたい。