←戻る 真柳誠『龍谷大学大宮図書館和漢古典籍貴重書解題(自然科学之部)』 41-42頁、京都・龍谷大学発行、1997年7月30日

〔新刊〕薬性要略大全 十巻、付〔新刊〕太医院経験捷効単方一巻
合二冊(690.9-218-2)写字台本

明・鄭寧(康、七潭)編 明・鄭献訂 明嘉靖二十四年刊(劉氏明徳堂) 毎半葉匡郭約18.1×12.5p

 当本の各巻首には「書林 明徳堂 劉氏 刊行」と記され、書末には「嘉靖乙巳歳(二十四年、一五四五)孟/夏月明徳堂刊」の木記があり、一五四五年の劉氏明徳堂刊本と認められる。同版の所蔵は他に日本の内閣文庫・武田杏雨書屋・京都大学富士川文庫・早稲田大学図書館に各一点が知られるのみで、中国大陸・台湾にはない。内閣文庫本は幕府の紅葉山文庫の旧蔵書で、正保三年(一六四六)に収められた記録が『御文庫目録』にあり、写字台本も同年前後に架蔵された可能性がある。

 当本には鄭猗の「薬性要略叙」、江廷顕の「薬性要略序」、鄭寧の「集薬性要略序」があり、いずれも一五四五年に記されている。それらはみな「薬性要略」の名で呼ぶが、巻一の巻頭は「新刊薬性要略大全」、巻二〜十は「新刊金櫃薬性要略大全」、第一冊の見返しは「金櫃要略/薬性大全」と記されている。また鄭猗の序は「数巻の薬性要略」という。すると実際に薄冊で「要略」である本書を、無理に十巻に分けて「大全」と称し、「金櫃」を付加して古典の『金匱要略』と類似した書名を使用するのは、みな販書が目的の明徳堂による作為らしい。

 著者の鄭寧の伝はなく生没年不詳だが、各序ほかによると字を康といい、七潭と号したのは明代の安徽省歙県豊陽七潭の出身だからである。祖父の代から進士で名をなし、二十歳以前の正徳二年(一五〇七)に試験に落ち、そのとき父が七十五歳の高齢だったので医に進んだが恥じていた。しかし廷顕の言により医業は百世の功と悟り、本書を出版することにしたという。

 本書は巻一が用薬の総論、巻二〜十が各薬味の論、巻十一の『捷効単方』には単味よる治療方法を薬物ごとに記す。いずれも鄭寧の編であるが、『湯液本草』と『証類本草』からの引用が目立つ。

→各巻の画像